第1話 運命の出会い 4
翌日、放課後のグラウンドには野球部員が集結していた。
「練習着、持ってないでしょ。あげるから、着替えてきなよ」
「いや、いいよ。この格好で十分だ」
塁は制服にローファーのままで勝負に挑もうとする。
「舐めてるの?」
昨日までと違い、美奈の表情に笑顔はない。
「言ったろ、やる気がないって」
「そんな態度を取ったら、抑えられてもこっちから願い下げなんてしないからね」
「あぁ、いいよ。ただ、バットだけは貸してくれ」
「わかったわ」
一人の部員がバットを渡そうとすると、見知った顔にあった。
「あれ、榎本? なんでこんなとこいるんだよ」
榎本兵夫。全国大会でも何度か対戦したことがあったが、まさか同じ高校に入学していたとは思わなかった。
「いいだろ、別に」
「お前なら、もっと強豪校に行くと思ってたけどな」
「その言葉、そっくり返すぜ」
「俺は中学で辞めたからさ」
「なら、なんで今日はここに来たんだよ」
「成り行きさ。入部するつもりはない。で、お前はなんで?」
「………」
「え? なんて?」
「美奈がここを受けるって聞いたからだよ」
「なんだ、女か」
「悪いかよ」
「悪くねーよ。理由なんてなんだっていい。続けていくことが大事だ」
塁は兵夫からバットを受け取ると、軽く素振りをした。引退を決めた時から、およそ半年ぶりのスイング。
辞めると決意したが、久しぶりの感触に思わず笑みがこぼれるも、すぐにかぶりを振った。
だめだ、だめだ。俺の決意はそんな簡単なものじゃない。もう、誰かの人生を狂わせるわけにはいかない。
「準備ができたらいつでもいいから」
「そうか? なら俺は大丈夫だ」
塁はバッターボックスへ向かう。
「五打席勝負して、俺が一度でも長打を打てばもう構わないでいいんだよな」
「そうね。その代わり私がすべて抑えたらこのチームに入部してもらうわ。もちろん、今日みたいな態度は改めてもらうから」
「あぁ。やるからにはちゃんとやるさ」
「なら、始めるなの」
捕手の聖歌が声をかけて、真剣勝負が始まった。
美奈は今では珍しくなったワインドアップで振りかぶり、ボールを投げる。
勢いのあるストレートが外角低めに決まった。
「ストライクなの」
審判役も務める聖歌が塁に伝える。塁はまったく反応しなかった。
二球目もストレート。同じコースに決まり、塁は反応しない。
三球目は高めのストレート。これはボールとなったが、四球目のカーブはストライクゾーンに決まり、三振となった。その間、塁はまったく反応しない。
「二打席目だけど、いいなの?」
「いいよ」
二打席目の初球。威力のあるストレートが内角の低めに決まる。塁は同様に反応せず、「そりゃ、手を抜くはずないか」ボソッと呟く。
美奈のストレートは超高校級と言って差し支えないだろう。女性選手はパイオニアであるきらりのようにアンダースローで勝負するか、高校生No.1と言われる神代花火のような変化球型が多い。女性で美奈のようなオーソドックスなフォームでストレートを多投しては男子ほどのスピードは出ず通用しないことが多い。
中学野球よりも質の高いストレートを初球に見せられ、一打席目は球筋の確認に努めることに専念したが、今日の態度、一打席目の見逃しを見て、美奈が力配分を調整してくれないかという打算もあった。
二球目。今度もストレートを放られ、さすがに打ちに行く。タイミングは少し早かったが、バットの芯をとらえたボールはライト線に痛烈な速度で飛んでいく。
「ファール、でいいなの?」
「あれはファールだろ」
聖歌の確認に、塁は断言する。さすがに疑惑の判定で勝とうと思うほど、野球を冒とくしたくなかった。
「あいつ、前ほどスイングは鋭くないくせに、眼だけはいいからな」
ファールだと自信を持って答えた塁に対し、観客としていた兵夫はぶつくさと文句を言う。
三球目、美奈のボールはストライクゾーンから大きく落ちるフォーク。初見の変化球に塁のバットが手を出すが、変化するボールを追いかけ、なんとかバットに当て、ファールゾーンに転がす。
「あぶねぇ、あぶねぇ。あんなフォーク、男子でもなかなか見れねーぞ」
塁はほっとした表情を見せているが、周囲はどよめく。美奈のフォークボールはわかってもバットに当てるのは難しい。それを知っているからこそ、ファールに逃げれた塁の技術に感嘆した。
四球目のストレートもファール、五球目のフォークもファール。
フォークボールをカットされた時は驚いたが、その後も続くファールに見ている側は美奈が押しているように見えたが六球目。内角に来たストレートを塁はうまく腕を畳んでセンター前にはじき返す。
「今のは長打に、ならないよな」
塁は聖歌に確認する前に自分で結論づけた。
「……三打席目なの」
聖歌は今の打ち方を見て、配球をどうしようか悩む。
塁が練習してないという言葉を半信半疑にとらえていたが、本当なんだろう。少なくとも、バットを振っていないことはわかった。
今の難しいボールをヒットにさせる技術はさすがだが、聖歌が知っている高松塁は長打にしていたはずだ。
塁の言う長打が勝利条件というのであればヒットは仕方がないという攻めもできるが、それを許す美奈ではないだろう。
聖歌が確認のために出したサインに美奈は首を振る。
「やれやれなの」
十年以上の付き合いになる幼馴染の負けん気に苦笑を浮かべながら、直前に打たれたコースに同じ球種を要求した。
さすがに舐めるなと振りにいった塁であったが、詰まらされたのか、打球は平凡なライトフライとなった。
塁はその打球方向を見つめながら鼻で笑う。
久しぶりのスイングなのだから仕方ないが、自分の感覚の違いに驚かされる。今の打球もボールはよく見えた。バットの芯にコンタクトする能力も衰えていない。
素振りをしていないのだから、スイングスピードがなくなっているのも理解できる。だからといって、あんなにとばないものか?
怪我をしてから飛ばす力がなくなった。
そんなこと自分が一番わかっている。
四打席目。
難しい球をファールでカットし、甘い球を捉える。それでも、シングルヒットが精いっぱい。
成績でいえば四打数二安打。単打ではあるが、決して悪い数字ではない。
しかし、それを周囲は認めてはくれなかった。
ランナー二塁でタイムリーを打っても去年までの高松塁ならホームランを打てただの、ボール球を見送って四球を得ても、それをホームランにするのが高松塁だのと言われた。
中学生ながら無茶をいうなと思った。期待をするのはいいが、野球はそんなに簡単なものじゃない。いつからか塁は周囲の声でなく、チームのためのバッティングを意地になってやっていた。
「あのさぁ」
最後の勝負に入る前、美奈はマウンドを降りて、塁に近づく。
「このままいくと、不本意ながら私が勝つんだけど」
「そんなことないだろ。まだわからんさ」
美奈はたしかにレベルが高い投手であるが、捉えられないボールではない。飛んだ場所によってはツーベースを主張することは可能だろう。
「はなから諦めてない?」
あの高松塁がこんなはずない。そう思う周囲の一人に美奈もいた。
「芯を捉える技術はやっぱりすごいよ。でも、そんな当てに行くバッティングなんてしてなかったじゃん」
「いや、俺はそんなバッティングなんて」
「してるよ!」
美奈の怒声が静寂の中に響く。
「怪我してるのはわかるよ。わかるけどさ、一回くらい、配球関係なくフルスイングしたら」
「美奈。みんなの練習止めてるなの。早く続けるの」
口論になりそうな二人を聖歌が制止し、不服そうな美奈を何も言わせずにマウンドに戻す。
その間、塁は考える。
怪我をしてからフルスイングに恐怖があるのは事実。そこから長打が減ったのも事実。いつからか、ホームランよりも出塁に重きを置くようになったのも事実。
けれど、中途半端だとはっきり言われたのは初めてかもしれない。いや、言われたかもしれないが、聞く耳を持ってなかったかもしれない。
自分はもうホームランを狙うような打者ではない。もしかしたら、自分に期待しなくなったのは自分かもしれない。
塁は久しぶりになにも考えず、ただバットを振り回す。
当然、バットは空を切る。どのくらい距離が開いていたかもわからず本能のままに振ったバットからは気持ちのいい音がした。
瞬間、塁は当然のこと、美奈からも自然と笑みがこぼれる。
塁がもう一度構えた時、その顔つきが変わった。
美奈も力を入れなおし、聖歌のミットめがけてボールを放る。
バットはもう一度空を切るが、初めて振り終わった後の姿勢が崩れた。
そうだよな。この感じだったよな。
フルスイングに塁の右ひじは痛む。それでも、痛みより初めてバットを振り回していた頃を思い出す。
美奈に遊び球を使う気はない。ツーナッシングになってもアウトローに自慢のストレートを投げ切る。
カキーン!
しかし、それを塁は見事にはじき返した。
今までの打球速度、角度とはまったく違う。誰の目から見ても明らかなホームラン性の打球だった。
「………」
言葉が出なかった。ここまで完璧な感触は怪我明け以来初めてかもしれない。
「私の負けね」
美奈は塁の元に近づき、声をかける。
「私からはもう誘わないから」
結果に準じた言葉を投げかけ、塁も「そうだな」とだけ呟く。
「今日は帰るわ」
塁はそういうと、バットを返し、そのままグラウンドを後にする。
「で、諦めるなの?」
潔かった美奈に対し、聖歌が聞くと、「まさか」という言葉が返ってきた。
「明日も誘うなの?」
「ううん。もう誘う必要もないでしょ」
美奈は確信を持って答えた。
「それにしてもすごいよね。私もこのままじゃいけないよね」
「悔しくないなの?」
あれだけの負けず嫌いである美奈が笑っている。初めての光景に聖歌は思わず聞いた。
「悔しいよ。悔しいけどさ、やっぱりあいつは野球をするべきなんだとわかったよ」
美奈は続けて、「私とおんなじようにね」と聖歌に言う。
「こんなにメンバーが揃うなんてすごいよね」
その表情には期待が広がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます