第7話 事務所の概要
午後7時の東京都原宿。夏だからかまだ空も明るい。ただ細い路地に入れば薄気味悪い。
田中。に指定された場所は普通のオフィスビルの地下3階だった。部屋は一つ。そこに田中。がいるということだろうか。
3階扉をノックしてそろりと中へ入った。
部屋の中には小さなデスクが一つ。その上に大きなテレビが置かれていた。
バタンッ
自動で鍵が閉まった。スパイ事務所であることが分かったからちょっとのことでは驚かなくなった。
ヴォン
テレビ画面に田中。のアバターが映し出された。本体は出てこないのね。
『やあ、やあ、如月さん。こんばんは。今日は来てくれてありがとねー。その部屋は盗聴の心配はないし、カメラとかもない。安全な部屋やで。このテレビも普通のテレビや。』
『どうも。』
早く帰りたかった。バーチャルアバターではなく、リアルな私は仮面も鎧もなく、萎縮気味になる。それにこの部屋、空調機はあるけど湿度が高くて少し暑い。
『お茶でも出してあげたいけど早速本題に入らせてもらうで。
如月さんが何も知らない前提でゼロから話していくわ。』
私はゆっくりうなづいた。
『僕らが所属してるパフェミラ事務所は表面ではよくあるVTuver事務所や。かなり小規模やけどな。
裏ではスパイ、諜報員達の事務所になってる。ここに集まってくる人はだいたい個人でスパイしてたり、前の団体から異動してくる人が多いねん。僕も元個人スパイやで。
不定期に募集してて、表ではVTuverの面接やけど、一般人はまず落とされる。今までの経歴とか家族とか色んなこと調べられて、有能やと判断されたら合格や。もちろんVTuverとしてもちゃんとやってける奴じゃないとあかんけどな。』
「じゃあ私はおかしいじゃん。一般人の象徴たる人間だよ?」
『まあ、まあ最後まで聞いてや。
実はあんたは特別やねん。社長がスパイ育成のためっちゅう理由で無理やり合格させてん。』
帰りたいと思った。
2年間色んなことを勉強して、面接に合格したとき、やっと憧れの姿になれると思った。自分の努力が報われたと感じた。それなのに、勝手にスパイの世界に巻き込まれただけだった。それなら落ちたほうがまだ良かったかもしれない。
『勝手に巻き込むな!って思ってるんちゃう?たしかにその通りやけどな、素人のスパイなんていくらでもいんねん。それやのにわざわざ普通のお嬢さんを巻き込むなんておかしいやろ。特別な戦闘スキルもないし、一から色んなこと教えるなんて手間がかかるわ。
でも社長は、いやボスは採用した。これは僕個人の勝手な意見やけど、なんらかの意図がある気がすんねん。
なんか心当たりある?』
『あるわけない。実家は農家。生まれた時から祖父母もいないし、兄妹もいない。』
『そっかぁ。まあ、事務所のことは軽く分かったやろ?
んで、これからは未来の話をしていこか。
僕らは基本的に事務所の指示に従って動いてる。連絡とかは事務の人から送られてくる。よく暗号とか使うからいかなる連絡も注意深く見といたほうがええで。この前のパーティーの招待状は水に浸したら文字が出てくる手紙やったなぁ。触り心地がおかしかったもん。』
なるほど。私だけ仲間外れにされてたわけではなかったのか。
『あの時みたいに事務所全体で任務にあたるのは滅多にないらしいで。貴重な機会やったなぁ。
これからは如月さんも任務に当たってもらうらしいけど、繊月さんからの連絡で如月さんには教育係が付くらしいわ。『灰見ゆたか』っちゅう3期生の先輩やって。』
教育係が付くのか。ちょっと安堵。スパイに関して乗り気じゃないが海斗様に一生ついて行くと決めたのだ。手は抜かない。
でも戦闘とかはイヤだなぁ。
『そうゆうわけで未来の話はおわり。何か質問ある?』
「話とはあまり関係ないのだけど、なんで田中。はスパイをしているの?日本はそんなに危ないの?」
『...僕はなぁ、妹を捜してるんや。妹を見つけるためやったら何でもする。ヤクザになった時もあったで。でもそのうちに分かったんや。妹はもっともっと社会の裏、闇に呑み込まれたんやと。やからスパイとして闇の中を歩いてるんや。
日本が安全やと思ってるんやったらそれは間違いや。目に見えてない所ではかなり残酷な事態になってる。
平和という光には闘い、暴力、嘘、苦しみ、憎しみ、妬み、いろんな影もあるんや。
誰かが幸せになったら、その代わりに誰かが苦しむ。
影は消せへん。やけど、支配することはできる。制圧するのが僕らの仕事や。』
このとき、少しだけ、何もない部屋に優しく、儚い風が吹いたような気がした。
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