005

「太陽がまぶしいぜ……」


 ほぼ一週間ぶりの空を見上げ、思わず俺は呟いた。

 通い慣れた通学路のはずなのに、何だかやたらとギラギラ輝いて見える。

 昇りきった太陽が頭上で頑張ってくれているが、今の俺には目にも肌にも痛い程だ。

 ずっと地下に居たせいで、すっかり吸血鬼みたいな体質になってしまったらしい。

 あれから数日が経過し、俺は停学が明けて登校していた。

 あの後、録音が終わった夏音は家に帰し、それからはずっと一人で作業を続けていた。

 良いものを作ろうと思ったら、いくら時間があっても足りるもんじゃない。

 連日徹夜を続け、今日も明け方まで曲作りに勤しんだ結果、ようやく一曲の歌が完成した。

 それをひっさげて俺は一週間ぶりの通学路を歩く。いやぁ、ずっと引きこもってたから通行人でさえ新鮮に見える。地球って俺以外にも人がいたんだな。

 ちなみに朝にちょっとだけのつもりで寝たら盛大に寝過ごしたため、現在時刻はすでに昼を過ぎている。

 停学明け初日に大遅刻とかロックすぎですわ。ていうかこれで退学になったりしないよね?

 普段は何気なく通る道を歩きながら、俺は緊張を隠せずにいた。

 結局この一週間、冬雪との連絡は一切とれずにいた。

 曲作りに集中するようになってからはスマホの電源も切っていたため、あの後どうなったかすら分からない。

 たまに小春子がきて何か言ってた気もするが、熱中しすぎてほとんど記憶になかった。

 ただまあ、今日やる事は変わらない。

 冬雪に曲を聴かせて、俺達と一緒に創作をしないかと勧誘する。

 答えは一つしか求めていない。ただ、本当に冬雪が応えてくれるかは分からない。

 本当に俺はやりきったか?

 きちんと伝わるものが出来たか?

 もっと頑張れる所はなかったか?

 ともすれば引き返しそうになる足を無理矢理動かしながら、俺は学校を目指した。

 やがて学校の校門に辿り着くと。


「……夏音?」


「おっ、遅いですよ! 何でお昼になってから来るんですか! どこの社長ですか!」


 怒った顔で夏音が門の前に立っていた。


「電話しても全然繋がらないし、何かあったんじゃないかと心配したじゃないですか!」


「いやすまん。スマホ放っておいたら充電切れてた。ていうかこんな所で何してるんだ?」


「綾瀬さんを待ってたんです! た、大変なんですよ!」


 慌てた様子の夏音が、声を震わせながら言う。


「さっき冬雪さんの親が呼び出されて、今冬雪さんと一緒に職員室に居るんです!」


「は? え、冬雪の親が? 何でまた……?」


「動画制作部の件です!」


 夏音は悔しそうに顔をしかめた。


「かねてからの話の通り、冬雪さんは美術部に戻ると仰ってたんです。その代わりに、動画制作部を存続させて欲しいと」


「あ、ああ」


「でも美術部の部長が、急に手のひらを返したんです。もし動画制作部を作る気なら、美術部への入部は許さない。代わりにプロの画家のアトリエに通わせると言い出して……。それで校長先生と部長が散々揉めたりしてて……」


 何だそれ!? もう完全に目的が置き換わってるじゃねーか!


「それで冬雪は了承したのか? まさか俺は、間に合わなかったのか……?」


「まだです! 今日冬雪さんの親が呼ばれたのは、その辺りの話をするためなのです! ですからまだ勧誘は間に合います! 綾瀬さんの曲は持ってきていますか!?」


「あ、ああ。ちゃんとお前達の動画とも合わせて編集してきた。けど……」


 俺は鞄からUSBメモリを取り出し、それを見た夏音が天を仰いだ。


「お、おばかあ! これでは曲を聴かせる事も動画を見せる事も出来ないじゃないですか!」


「急いでどっかからノートパソコンを調達してきて……」


「それでは間に合いませんよ! 曲を再生する手段は夏音が何とかします! 綾瀬さんはすぐ冬雪さんの所に行って話をしてきて下さい!」


「わ、分かった! 頼む!」


 俺は頷くと、夏音にUSBメモリを渡す。

 どこか冷静さを欠いているのを自覚しながらも、急いで校舎に向かって駆けた。


「……冬雪!」


 何でこんなに気持ちが急くのか分からない。それでも、足も気持ちも止まらなかった。

 一週間運動らしい運動をしていなかったため、足がもつれそうになる。

 それを何とか誤魔化しながら、全力に近い早さで校庭を駆け抜けた。

 急ぎ校舎に入り、上履きに履き替えるのももどかしく職員室を目指す。

 もし、まだ間に合うのなら、伝えたい事があった。

 あいつが俺に伝えてくれた事に対して、ちゃんと返事をさせて欲しい。

 やがて職員室の側まで来ると、丁度冬雪が職員室から出てくる所だった。

 そのすぐ側にはもう一人、着物を着た美しい女性が居る。

 どことなく冬雪とも面影がある女性。多分、あの人が冬雪の母親だ。


「ふゆ――」


 声をかけようとする。が、それより早く彼女達に近付く影があった。

 扉のすぐ側に居た男子生徒。冬雪を待っていたのか、美術部の部長が駆け寄り冬雪に話しかけていた。

 そこに割って入りたい気持ちを抑えて、俺はゆっくりと廊下を歩いた。

 その途中、ふと学校のスピーカーからノイズが響いた。

 直後に、まるでこの時を待っていたかのように、ふと空から音楽が降ってくる。

 高い声で優しく歌う、一曲の歌。流れるのは紛れもなく、俺が作ったあの曲だ。


「……あいつ」


 まさかの放送室ジャック。こちとら停学明けなのに、これぜってー怒られるやつじゃんか。

 にわかに職員室がざわめき、冬雪も不思議そうに辺りを見渡していた。

 が、やがてその目は俺を捉え、見開かれた。


「ゆ、悠一君!?」


「久しぶりだな、冬雪」


 息を切らせながら言う。ほぼ一週間ぶりの冬雪は、以前とそう変わりない。俺を見てどこか戸惑いつつも、ホッとしたように息をついている。

 けれど、やがて何かに気付いたようにハッとした顔になると。


「この曲……。それにこの声。これってもしかして」


「ああ、俺が作った。俺が作って、夏音が歌ってる」


 俺の言葉を聞いた冬雪が、手を口に当てて目を見開いた。

 正直、緊張で今にも崩れ落ちそう。

 いや、緊張、なんて言葉では全然足りない。

 自分が作ったもの見せて、今から気持ちを伝えるのだ。

 きっとこいつらも、自分の絵を見せた時はこんな気持ちだったのだろう。


「そっか……。悠一君の曲を、夏音ちゃんが」


「どうだ? 楽しそうだろ?」


「……っ!」


 俺が言うと、冬雪は唇を引き結び、鞄を持つ手にぎゅっと力を込めた。

 ここが勝負所だ。


「冬雪、聞いてくれ。お前は美術部に戻らなくてもいいんだ」


「え? で、でも……」


「俺もお前と同じだ。この曲を作っている間、楽しかった。楽しかったけど物足りなかった。きっと冬雪がいなかったからだ」


 ありったけの勇気を振り絞って言う。


「やっぱり俺は冬雪と一緒に居たい。俺は動画制作部を潰して、校外で創作をする。だから一緒に来てくれ」


 その言葉を聞いた冬雪の目にジワリと涙がにじみ、頬が赤く染まった。


「わ、私……」


「待てよ! 話を聞いていれば何を勝手な事を! 君達の部活は出来るようになるんだ! だったらもう、それでいいじゃないか!」


 けれど、冬雪が何かを言うよりも早く激昂した様子の部長が割り込んできた。


「大体、動画制作なんてくだらない事に、本当に彼女の才能を費やすつもりか! 所詮君達は、好きだからというだけで始めたお遊び部だろう!」


 好きなだけのお遊び。ぐうの音も出ない正論だ。

 実際、部長が言っている事は正しい。

 俺達がやろうとしているのは、所詮好きだから始めた遊びでしかない。


「――だから、こそ」


「芸術はそんな遊びとは違う! 人に自分を認めさせる素晴らしい行いなんだ! 何の価値もない遊びに時間を費やすより、芸術のために絵を描いた方が彼女のためになるだろう!」



「好きな事だからこそ、本気でやりたいって思うんだろ!」



「な――っ!?」


 俺の声に怯んだ部長が後ずさった。

 まるで時が止まったようだ。気が付けば曲ももう聞こえず、皆が動きを止めている。

 そんな中で、俺は。


「好きだから続けたい! 好きだから高みを目指したい! 好きだからこそ誰かと一緒にやりたい! それの何が悪いんだ!」


 忘れていた……、いや、忘れかけていた想い。

 昔、音楽を続けられたのは、楽しかったからだ。

 たったそれだけ。それだけで良かったんだ。


「貴様……!」


「俺には気高い目的も、誰かを救いたいなんて身の程知らずな願いもない! それでも好きな奴らと好きな事を一生懸命やりたい! 例えそこに価値がなかったとしても! 俺達だけは、それを望んで作っているんだから!」


 俺は、傍らで固唾をのんで見ていた冬雪に視線を移した。


「冬雪! 部活を続けるために好きなやつと……、冬雪と離れなきゃならないなら、俺達は部活なんていらない!」


「ゆ、悠一君!」


「他のもんならいくらでもくれてやる。けど、冬雪はダメだ。俺にとって冬雪の代わりはない。だから――!」


 俺は唖然とする部長に視線を移した。そしてハッキリと、伝わるように言った。


「冬雪は俺達のだ! あんたには少しもやらん!」


「――っ!」


 言いたい事を言いたいように言った後、残ったのは静寂だけだった。

 天使が通るなんてもんじゃない。

 部長は憎々しげに俺を睨み付けてるし、冬雪の母親は興味深げに俺を眺めている。

 肝心の冬雪はというと、顔を真っ赤にしながらチラチラと俺を見ており。


「あの、あのね悠一君」


 やがて冬雪が、どこか気まずそうに、おずおずと切り出した。


「ぶ、部活の事、なんだけどね……」


「冬雪、お前が何と言ったって、部活はもう潰すぞ」


「う、ううん、悠一君、お願い聞いて」


「俺達はお前が思ってるより、ずっとずーーっとお前と一緒にいたいと思ってるんだ!」


「だ、だからね悠一君」


「別に絶対動画制作部じゃないといけない理由はないだろ? だったら――」


「美術部にはもう入らない事になってたの!」


 …………。


 一瞬、冬雪が言ってる言葉の意味が分からなかった。

 え、なんて?


「美術部の件は、実はもう断ってたの」


「はぇ?」


「それで今、やっぱり考え直してくれって言われてて」


「………………へぇ?」


「あの、夏音ちゃんと小春子ちゃんが悠一君に全部伝えたって言ってたけど、聞いてない?」


 きいてない。

 俺が狐につままれたような思いで冬雪を見ると、冬雪はどこか気まずそうに言った。


「あのね、佐藤君と亜衣ちゃんが悠一君の噂は全部嘘だったって証明してくれて……」


 冬雪が語った所によると、こうだ。

 そもそもの噂の信憑性を疑った佐藤君と亜衣ちゃんは、わざわざ秋葉原まで出向いてあのメイド喫茶のメイドさん達から話を聞いたのだそうな。

 そして何とか頼み込んで店内のカメラから俺達が四人でいた証拠を得た上、メイドさんにも証言してもらったらしい。

 それでも噂の出所は分からなかったが、噂を追っていく上で一つ分かった事があった。


「実は最初の噂で流れた画像と、後から流れた画像は少しだけ違ってたみたいなの。最初は四人で写ってる画像で悠一君が私を泣かせてるって内容だけだったんだけど、途中からまるで二人きりのように画像が切り抜かれて、噂も悠一君が私に付きまとってるって変わってたんだ」


 冬雪がそう言った途端、急に美術部の部長がソワソワしだした。


「つまり噂をねつ造して広めた人が居て、それで、その……。その犯人が部長だって、佐藤君と亜衣ちゃんが皆の前で証明してみせたの」


 冬雪は元々の話の通り、動画制作部を存続させようとしていたらしい。

 そんな中で部長は、夏音が言っていたように俺の存在を理由に、校長にすら背いて冬雪を美術部の外に置こうとした。

 けれど佐藤君達が部長の企みを暴いて、阻止してみせたんだってさ。

 佐藤君ってばまるでラノベ主人公の立ち回りじゃねーか。

 俺? その間も家に引きこもってましたが何か?

 結局その後は冬雪達が証拠を持って各所に説明して回り、俺の疑いは晴れたそうな。


「実は、あの件は先生達の間でもちょっと問題になったらしくて、中野先生が先頭に立って校長先生に直談判してくれたんだって」


「で、でも、冬雪の親が呼び出されたって……」


「今日、三者面談……」


「じゃあ、部活は?」


「潰さないって話になってた……」


「…………」


 ふと視線を感じて振り返ると、廊下の曲がり角に二つの影を見つけた。



『ふひゃっ、バ、バレました! どどどどどうしましょう!』


『どうもこうもないでしょ。練習が思いの外辛かった仕返しって言って自分でやった事でしょ? ちゃんと騙した事を怒られなよ。許して貰えないと思うけど』


『な、夏音はちょっとしか嘘は言ってませんよ! 小春子さんこそ責任重大です!』


『あたしはちゃんと本当の事を教えてたし。にーちゃが聞いてなかっただけで』


『そ、そんな事言わずに一緒に怒られて下さいよ! 動画制作部の部員は一蓮托生ですよ!』



(あ、あのやろおおおおおおおおおおお!)



 恥ずかしさの余り思わず両手で顔を覆った。いっそ死なせて欲しい。


「わ、私、悠一君のものにされちゃうの、かな?」


 やめてやめてやめて!

 これ絶対一生の思い出として記憶に残っちゃう奴だから!


「い、いや、あれは言葉のアヤというか……」


「じゃあやっぱり、私はいらない?」


「要る! 欲しい! ください!」


「……ふわぁぁぁぁ」


 冬雪は顔を真っ赤にさせたかと思うと、急にモジモジしだした。

 その視線はあちこちに向いていたが、やがてチラリと俺を見ると。


「ど、どら焼き……」


「はい?」


「悠一君、どら焼き、しゅき?」


「す、すき、だけど」


「どら焼き買ってくゆ!」


「まてまてまて! 何で急に!?」


「買ってくゆーー!」


 あかん、冬雪がわけ分からんモードになってる!

 と思っていると、それまで静観していた冬雪のお母さんが。


「落ち着きなさい冬雪。どら焼きならここにあるわ」


 あんのかよ! さすがお母さん!

 どら焼き(お母さんのおやつ)を受け取った冬雪は、どら焼きで顔を隠しながら、上目遣いで俺を見た。


「悠一君、いっしょに、たべよ?」


「え、えっと……」


「冬雪、後になさい」


 ぴしゃりとお母さんが言う。いや、おせーよ?

 やがてお母さんは、平然と部長に視線を戻した。さすがかーちゃん。全く動じてない。


「話の途中で脱線してしまって、ごめんなさいね」


 頬に手を当て、申し訳なさそうに言う。その所作はさすが冬雪の母親、非常に見目麗しい。


「確か、冬雪は絵を描き続けるべき、というのがそちらの主張でしたかしら?」


「そ、そうです! 彼女の才能を埋もれさせておくのは学校にも彼女にとっても損失でしかない! 彼女であれば第一線級で活躍出来るのです! お望みとあらば、すぐにでも僕の知り合いのプロの画家にご紹介もしましょう!」


「そう。聞いた所によると、冬雪にも再三そう仰っていたそうね」


「ええ! きっと彼女にとっても良い経験になると思いますよ!」


 部長が興奮した様子で言う。一方で、お母さんはどこか冷めた眼差しでいた。

 やがてお母さんは、持っていた鞄の中から一冊の雑誌を取り出し。


「そちらが仰るプロの画家の方というのは、この方よね?」


 お母さんが見せる雑誌のページには、とある画家の写真がデカデカと記載されている。


「え? ええ、そうですが」


「そう。実は私もどういった方なのか気になって調べてみたの。そしたらこの方、以前女子高生に手を出して、起訴されているそうじゃない」


「そ、それは……!」


 お母さんが広げるページには、有名な画家が逮捕されたという見出しが出ていた。

 部長の顔が歪む。しかしすぐに表情を戻すと、殊更強く笑みを浮かべ。


「だ、大丈夫です! この程度の事、大した問題ではありません!」


 誤魔化すように大きな身振りを交えながら、声を張り上げた。


「画家は名が売れてナンボですからね! むしろこれは名を売るチャンスとすら言えます!」


「……そう」


 涼しい顔で返事するお母さん。でもその額に青筋が走った気がした。

 やがてお母さんは誰が見ても見蕩れるような、それでいてともすれば恐怖すら感じる笑顔を浮かべて部長を見る。


「でも残念ですわ。実は私はあなたに反対ですの。あなたがこの方とお知り合いなのは勝手ですが、当家の娘をこのような方とお近付きにさせるわけには参りません。それに――」


 お母さんは雑誌を鞄にしまうと、一度目を閉じてから、ゆっくりと目を開く。


「あなた、冬雪を売り込みつつ、あわよくばおこぼれをもらおうとしているだけでしょう? 悪いけれど、大事な娘をそのような人に預ける気はないわ」


「なっ!?」


「これ以上の会話は不要です。二度と冬雪に近付かないで」


 お母さんは眼光を鋭くさせてキッパリ言い切ると、もう部長には興味がないといった風情で視線を外した。


「冬雪」


「は、はい」


「そういう事ですから、冬雪は自分のやりたい事をなさい。でもやるなら中途半端にならないように。いいですね」


「はい!」


「それでは、私は帰ります。冬雪も遅くならないようにね」


 お母さんはそう言うと数歩歩き、俺の横に並ぶと。


「悠一さん、といったかしら」


「あ、は、はい」


「良かったら今度うちに遊びにいらっしゃいな。是非お父様にも会ってもらいたいわ」


 ひぇっ。

 思わず縮こまっていると、そんな俺の反応を楽しむように見た後、お母さんは優美にその場を後にした。

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