004

 それから数日は、ずっと家にこもって歌の練習をする日々だった。

 基礎の基礎から始めて、一つの曲を歌うまでとしては、あまりにも期間が短すぎる。

 同じ曲を何度も歌えば上達も早いが、それでもやはり思うようなクオリティにまでは達せず、途中からは夏音の泣き言も増えていった。

 にも関わらず一度も止めると言わなかったのは、夏音も冬雪の為に頑張りたいからだろう。

 そして、歌い始めて五日目。

 様々な機材が運び込まれてすっかり様変わりした部屋の中で、夏音がグッタリした様子でソファにうなだれていた。


「ハァ、ハァ……。も、もう、これ以上は無理ですよぉ。おっきな声出ません。元々夏音はインドアのくそおたくなんです。分不相応だったんですよぉ……」


 今もインドアやんけ。


「夏音」


「ひぃっ!?」


 俺が声をかけると、夏音の肩がビクリと跳ね上がった。

 やがて恐る恐るといった感じで振り返り、俺を見る。


「な、何ですか。これ以上はもう本当に無理ですよ! 誰が何て言おうと夏音はもう歌えません! 素人に求めるレベルはとっくに過ぎてるんです! もうテコでも動きません! でも綾瀬さんが優しくしてくれるなら、もうちょっとは頑張ります!」


「そうか。夏音――」


「な、何ですか!?」


「よくやった。これで録音は完了だ」


「……へ?」


「お前が頑張るのはここまでだ。後は任せろ」


 俺がそう言うと、しばらくの間夏音はキョトンとしていた。

 けれど俺が親指を立てて見せると、やがてようやく理解したようで、ヘナヘナとその場で崩れ落ちていく。

 きっと、ずっと張り詰めていたんだろう。まるで泥のように眠りにつく夏音に毛布をかけてから、俺はパソコンの画面を睨んだ。

 本当に夏音はよくやってくれた。だから、ここからは俺の番だ。

 メロディが決まっていても、曲に必要な音は沢山ある。

 この数日間、夏音の歌の練習をする傍ら、ずっと曲をアレンジし続けていた。

 夏音の声に合うように。冬雪が描いたあの動画に合うように。そして少しでもいいから、想いが伝わるように。


(まだ、一緒にいたい)


 主人公の男と、幽霊の少女の気持ちが伝わるように。

 今となっては、もう最初の面影すらどこにもない。それでも、まだ足りない。あいつの心を動かすには、まだ足りない。

 二年ぶりの作業に難儀しながら、手探りでも形にするために俺は必死にもがき続けていた。


「届け……」


 俺が作っているこの曲は、かつてと違い自分のためのものだ。

 エゴをぶちまけ、本音を表明し、自分の一方的なわがままを他者に押し通すためのものだ。

 正直、こんなに自分を晒すのは初めてだ。クセになっちゃいそう。

 自信なんて欠片もない。うまくいく保障なんてもっとない。誰かに分かってもらえるなんて思わない。

 それでも――、全人類が首を傾げたとしても、ただ一人。

 最近出会った一人の少女の心だけは、必ず動かせると思い込んで!


「届け……!!」


 ただそれだけのために、ひたすら手を動かし続けた。

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