008

 一人のメイド姿の少女が、慌てた様子でキッチンへ駆け込んだ。

 よほど急いでいたのだろうか、頭に乗せたブリムは傾き、エプロンも崩れてしまっている。

 けれどそれを直す余裕もなく、少女は息を弾ませながらキッチンの暖簾をくぐった。


「うそ。なんで綾瀬君が、ここに……?」


 高鳴る胸を押さえて立ち止まると、少女は今来た店内へと視線を戻す。

 その先にいるのは、先程店に入ってきた少年。女の子を二人連れ、どこかおのぼりさんのようにキョロキョロしている。

 少女の記憶にある姿より、かなり背が伸びている。声も随分低くなったようだ。

 それでも、ひと目見ただけですぐに分かった。

 雰囲気は昔とそう変わっていない。ずっと見つめ続けていた、あの頃のままだ。

 何とか取り繕って対応したが、変ではなかっただろうか。

 鼓動は多少落ち着いたが、それでもまだどこかドキドキしている気がする。

 メイド服は定期的に洗濯するようにしているが、昨日はついそのままにしてしまった。匂わなかっただろうか。こんな事ならちゃんと持ち帰って洗濯をするべきだった。

 声をかけたい。

 けれど急に話しかけられて戸惑われないだろうか。それ以前に覚えてないと言われたらどうしようか。そんな想いが頭の中を駆け巡る。

 けれどそんなフワフワした気持ちは、少年をしばらく見ていたら消えてしまった。


「ねえ、かがっち! あの席見た!? なんかすっごい可愛い子達が来てるの! やばいよ!」


 やがてキッチンに戻ってきたバイト仲間の子が、興奮した様子で話しかけてきた。

 彼女も少女と同じ辺りを見ている。けれど見る対象は違う。


「観光かなー? あんまりアキバに慣れてないっぽいよね。でも、なーんか見覚えあるんだよねー。もしかしたら芸能人かなぁ?」


 バイト仲間は一団の中でも、女の子達の方に目がいったようだ。

 視線の先で少年に言い寄る彼女達を見て、少女はギュッとスカートを握った。


「……ねえ、あの人達、私の事何か言ってた?」


「おりょ? 何も言ってないけど、もしかしてかがっちの知り合いだった?」


 問われた少女は黙って首を横に振る。

 それを不思議そうに見ていたが、やがてバイト仲間はハッとした顔になるや店内を見て。


「あ、思い出した! あの子、女郎花冬雪だ!」


「女郎花冬雪?」


「うん、間違いない! 私が通ってる大学に大山高校を卒業したOBがいるんだけど、今年入って来た新入生にめっちゃ可愛い子がいるって画像を送ってきた事があるんだ。ホラ!」


 バイト仲間はスマホを取り出して画像を見せてくる。

 明らかに無許可で撮ったであろう手振れ気味の画像の中で、とても同じ生き物とは思えない美少女が誰かに微笑んでいた。


「……そう、この子、大山高校の生徒なんだ」


「そうそう。なんかすっごいモテるらしいよー。うちの店に入ってくれないかねー? え、ていうかあの人達揉めてない? ていうか女郎花冬雪泣いてるし!」


 狼狽するバイト仲間の視線の先では、何かあったのか女郎花冬雪が涙を流していた。


「ふわわ、ど、どうしよう。修羅場? 修羅場なのかな? 行った方がいいかな? ちょっと私様子見に行ってくるね!」


 慌てた様子のバイト仲間は、少女が返事する間もなく店内へ駆けて行った。

 少女は未だ店内を。少年を見つめ続けている。

 けれどその目に先程までのような柔らかさはなく、険しく濁り。

 やがてその手はスマホを取り出し、少女は再び少年に目を向けた。

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