第四章 伝わらぬ想い
001
土日が明け、月曜日。
全国の子供達が、等しく五日間の登校刑に処される日。
空に広がる雲は鉛色。その雲よりも暗い表情で、俺は学校への道のりを歩いていた。
「学校行きたくねぇぇぇよぉ……」
「もう、まだそんな事言ってるの?」
俺の呟きを聞いた小春子が、足を止めて振り返ってきた。
足は重いし、溜息ばかりが多く出る。こんなに学校に行きたくないのは、小学生の時にかがりさんにオタクメガネのあだ名を付けられた翌日ぶりっすわ。
今日に限って一緒に登校すると言ってきた小春子がいなければ、さっさと家に引き返していたかもしれない。
理由は当然。
「……なあ、お前マジでウチの部活に入部する気なの?」
「当然でしょ。にーちゃと一緒に音楽やれるなら、あたしはどこへでも付いていくし!」
今までカリカリしていた小春子はどこへやら。今はまごうことなきデレモード。一方俺はダレムード。
あの日、あのメイド喫茶で音楽を続けて欲しいと言われた俺は、答えを保留して逃げるように帰宅してしまった。
それから休日を過ごし、夕方の国民的アニメを見て鬱になり、飯を食って風呂に入って今日になって今に至る。
そして今、すっげぇ学校行きたくなかった。
というか部活をやりたくない。どんな顔してあいつらに会えばいいんだろ。また音楽やれって言われんのかな。
何かもう、プールを嫌がるカナヅチの子供の気分だ。ぽんぽん痛いとか言ってサボっちゃおっかなー。
でもあいつらの事だから、何か不思議な力を使って居場所を特定してきそうだなー。
そんな事を思ってると、不意に小春子に袖を引かれた。
「ねえ、にーちゃ」
「ん?」
「にーちゃはさ、やっぱり音楽の話をされるの、イヤ?」
「んー……」
イヤというより、心が苦しくなる。
どう言葉を取り繕ったとしても、俺達の家庭が崩壊した根本の原因は俺にあるのだから。
けれどそれをどう言えばいいか分からず曖昧に濁していると、小春子が優しく俺を見た。
「この前も言ったけど、あたしはにーちゃを恨んでなんかないからね? にーちゃと一緒に曲を作るのも、にーちゃが作ってくれた動画を見るのもいつも楽しかった。そりゃあ結果は大団円だなんて言えなかったけど、あたしはにーちゃがあの動画を作ってくれて、すっごく嬉しかった。にーちゃが歌ってくれて、すっごく暖かい気持ちになれた」
小春子は顔を上げて俺をじっと見る。
「動画制作部だっけ? 作るのはアニメらしいけど、もしそこで昔と同じようににーちゃと何かを作れるなら、あたしは嬉しい」
「でも、俺は」
「また誰かを不幸にするのが怖い? でも、にーちゃの音楽が誰かを不幸にした事なんてないよ? あたしは不幸になんてなってない。あたしは今、にーちゃと一緒に住んでてすっごく幸せだからね!」
「小春子……」
上目遣いに俺を見る小春子。やばい可愛い。俺の妹がメインヒロインすぎる。
「小春子、結婚しよ」
「ばっ!? ばかじゃないの!? ム、ムリに決まってるでしょ!」
俺の誘いはすげなく断られてしまった。死にたい。
「ま、全くもう。いきなり何を言ってるのよ。ま、まあ、あたしもにーちゃには色々感謝してるし? 今の生活も文句ないし? 結婚出来る歳になったら、また考えても……いいけど?」
やっぱ生きるわ。
生きてきちんとした職に就いて、嫁さんに苦労させずに生涯を全うするわ。
その為にもしっかり勉強すべく学校へ行かなければ。うおおおお!
とか思ってるうちに、もう校門に辿り着いてたのだが――。
「……ねえ、にーちゃ。何かすっごい見られてない?」
何故か、見知らぬ生徒達から、妙に視線が集まっているのを感じた。
やけにこちらをチラチラと見ては、何かをささやき合っている人達がいる。
最初は小春子が可愛すぎるせいで注目を集めているのかと思ったが、生徒達の視線はむしろ俺に集まっているようだった。
「何だ? 俺、何かしたっけか?」
「あ、悠一! 良かった、見つけた!」
そんな中で聞こえた少女の声。振り返ると亜衣ちゃんが小走りでこっちに向かってきてた。
「亜衣ちゃん? そんなに慌てて、どうした?」
「悠一、こっちこっち! ってあれ、小春子もいんの? 何か珍しい組み合わせだね」
「亜衣? 亜衣って、にーちゃ……こ、このあんぽんたんと知り合いだっけ?」
「うん、親友だよ! っていうか悠一、ちょっと早くこっち来て!」
「お、おいっ!?」
亜衣ちゃんは俺の腕を掴むと、そのままグイグイと引っ張っていく。
そのまま連れて行かれたのは職員室の前だった。ただし、いつもより騒然としている。
職員室の前には多くの人だかりが出来ており、それを遠巻きに見る生徒達も合わせると、かなりの人数がいるようだった。
そんな中に佐藤君の姿も見つけ、俺は首を傾げる。
「佐藤君? 何なんだ、この騒ぎは?」
「おお、悠一。良かった、来てくれたか」
「? 俺に用なのか?」
「用っていうか悠一が当事者というか。とにかく、アレ見ろ!」
佐藤君が指差す方を見ると、扉の向こう、職員室の中にチラリと冬雪の姿が見えた。
その背中に隠れるように夏音がおり、二人に対峙するように校長、そして何故か美術部の部長がいる。
雰囲気が決して和やかではないのは、冬雪の表情を見てすぐに分かった。
『納得出来ません! 何で動画制作部が廃部にされないといけないんですか!』
始めて聞く冬雪の険のある声が、職員室の外まで響いていた。
微笑みが常の冬雪が、今は眉を吊り上げ怒りを露わにしている。
その事にも驚いたが、俺が更に驚いたのはその内容の方だった。
「ど、動画制作部が廃部? どういう事だ?」
俺の言葉に、亜衣ちゃんが言い辛そうにしながら答えてくれた。
「あのね、その……、悠一が冬雪に付きまとってるっていう通報が学校にあったみたいなの。それで校長達が冬雪を呼んで事情を聞いてたらしいんだけど」
「はぁっ!?」
寝耳に水もいい所の話だった。
「何だよそれ。俺が冬雪に付きまとってるって……」
「これを見てくれ」
佐藤君がスマホを取り出して俺に見せてくる。
「ウチの生徒達の間で拡散されてるらしくて、俺の所にも今朝来た。何でも、悠一が本当はオタクで、部活を建前に女郎花さんを強引にメイド喫茶に連れて行ったとかって話だ」
見せられた画面をよく見ると、そこには確かにメイド喫茶にいる俺達が写っている。ただし、冬雪がさめざめと泣いている場面が。
「な、なんじゃこりゃああ!?」
「グループチャットでもこの噂ばっかりでさー。ほら冬雪、泣いてるでしょ? だから悠一が何か酷い事をしたんじゃないかって皆が息巻いてて」
言いながら亜衣ちゃんはどこか複雑そうな顔をした。
「冬雪に聞いてみたかったんだけど、あの子スマホ持ってないじゃない? だから今日聞こうと思ってたら、冬雪と夏音が朝っぱらから呼び出されたって聞いてさ。それで慌てて来てみたらこんな事態になってるわけ。ねえ、これってどういう状況?」
「いや、どうと言われましても……」
答えるための言葉を探しても出てこない。現状については俺は何も知らないし、俺達の関係は言えない事が多すぎる。
「というか誰が撮ったんだよコレ。あの時店内に居たって事だよな」
「ねえ、にーちゃ。これ夏音やあたしが写ってないよ」
「……ほんとだ」
確かに、写ってるのは涙を拭う冬雪と、その横で気まずそうにする俺だけだった。
こうして客観的に見ると、俺が美少女を泣かせているクズ男に見える。写ってるのが俺じゃなかったら俺も俺を叩いてたね。その位、涙を流す冬雪の表情は辛そうに見えた。
「でも、何か変なんだよね。この二人はどういう関係だーってなってた矢先に急に悠一がオタクって話が出てきて、あっという間に冬雪が付きまとわれて無理矢理部活に入れられたって話になっちゃったんだ」
亜衣ちゃんが首を傾げる。
「まるで誰かが意図的に噂を流してるみたい。ねえ悠一、誰かに恨まれてたりしない?」
「記憶にはないけど……」
「で、でも、にーちゃが悪いわけじゃないってすぐ分かるでしょ! あの子が、そんな事されてないって言うだけじゃん!」
冬雪を指差して言う小春子に、佐藤君が首を横に振った。
「ダメなんだ。さっきからずっと女郎花さんがそう言ってるんだけど、校長達がどうも納得してくれないんだ」
佐藤君の視線の先では、今もまだ冬雪が校長に噛みついていた。
『ですから、私は悠一君に付きまとわれていないんです! どうして私達の話を聞いてくれないんですか!』
『では、この画像の君は、何故泣いているのかね?』
『それは……』
言いよどむ冬雪。それを好機と見たように、校長が続ける。
『生徒の交友は大事だが、いたいけな女子を泣かす程となるとさすがに度が過ぎる。特に君は女郎花家の子女だ。このままでは君のご両親にも申し訳が立たない』
『い、家の事は今は関係ないじゃないですか!』
『大いに関係ある。この学校は君の家に大変良くして頂いている。ご両親も君に悪い虫が付く事を望んでいないはずだ』
校長は自慢のアゴ髭をさすりながら、鼻を鳴らす。
『これも全て君を守る為だ。どのみち動画を作るなどという遊ぶだけの部活は君には相応しくないと思っていた。今まで通り美術部でコンクールに向けた絵を描く方が為にもなるだろう』
ていうかこの人達、どんだけ俺を極悪人だと思ってるの。泣くぞ。
校長が言うべき事は言ったとばかりに溜息をつくと、やがて横で黙っていた美術部の部長が後を継ぐように口を開いた。
『女郎花さん。君が優しいのは分かるが、付きまとってくる男までかばう必要はない。突然君が退部したいと言い出した時は驚いたが、事情を知って合点がいったよ。大丈夫、これからは僕が常に君の側に居て、この男が近付かないように守ってあげるから』
部長の言葉を聞いて、いよいよ冬雪の身体も怒りで震え始めた。
けれど部長は、むしろ冬雪に同情するかのような顔で言う。
『もし校内ではこの男が怖いなら、僕の知り合いの画家のアトリエに通ってみるのはどうだろうか。君なら紹介するのに何の問題もない。きっと君にとっても良い勉強になるはずだよ』
部長はさわやかな笑顔を見せながら、冬雪に手を差し伸べた。
けれど不意に夏音が冬雪の背中から出てきて。
『シャアアアアア!』
その手をペチリと叩き落とした。猫かよお前。
『っ! な、何をするんだ!』
『な、夏音は動画制作部の部長です! ウチの部員を勝手に変な人の所に連れて行こうとするのは、夏音が許しません!』
『変な人とは何だ! 美術に関わる者なら一度は名を聞いた事がある人物だぞ! その人に僕が口をきいてやると言っているのに、何が不満なんだ!』
『不満しかありませんよ! そもそも、あなた達はただ冬雪さんに絵を描かせたいだけじゃないですか!』
『それの何が悪い! 皆が彼女に期待している! そんな彼女の才能を、動画制作などという馬鹿げたものに遊ばせておけるはずがないだろう!』
『ぐぬーー!!』
夏音が怒りに髪を逆立てながら、部長と睨み合う。
そんな夏音達を尻目に、俺の隣では佐藤君が合点がいったように頷いていた。
「……そういう事か」
「拓真? 何か分かったの?」
「ああ。さっきから話してる感じだと、美術部を辞めるという女郎花さんの意思は固い。けれど学校側としては、学校の実績になる美術部に居て欲しい。それなら今回の件を利用して新しい入部先を無くしてしまえばいい、ってのが校長達の思惑なんだ」
乱暴すぎだろ。ギャングかよ。
「彼らの中では、もう結果は決まってるんだ。だから誰が何を言おうと何も変わらない。いや、変える気がそもそもない」
「……悠一を悪者に仕立て上げて、冬雪の意思も無視して?」
「それだけの価値が、彼女の絵にはあるという事だよ」
佐藤君の言葉に、亜衣ちゃんが眉間に強く皺を寄せた。
やがて殊更真面目な顔になると、俺の顔を覗き込んで。
「ねえ、悠一。いっこだけ教えて? 冬雪が泣いてるのは、悠一のせい?」
真っ直ぐ俺の目を見て言う亜衣ちゃん。
「私、冬雪の事は本当に心配してるんだ。だから、もし悠一が冬雪を悲しませるような奴なら、悠一をかばったりは出来ない」
「ああ」
「でも、もし悠一が冬雪を悲しませたんじゃないのなら、噂をどうにかするのに協力してあげる。で、実際どうなの? 冬雪が泣いてるのは?」
「に、にーちゃは何も悪くない!」
「何で小春子が答えるかな?」
「あたしもあの時一緒にいたもん! にーちゃは何も悪い事してない!」
「私は小春子が悠一をにーちゃって呼ぶのも気になってるんだけどなー?」
「うぐっ……」
亜衣ちゃんの探るような目に、小春子が息を詰まらせた。
やがてその目は再び俺に向けられる。
俺は。
「あの時、冬雪は――」
ちょっと考えてみたけれど、答えなんて一つしかない。
「俺が泣かせた。冬雪は、俺のせいで泣いた」
「……そっか」
俺の返事を聞いた亜衣ちゃんが、佐藤君と視線を合わせる。そして、すぐに頷き合った。
「悠一、生徒達へのフォローは俺達がやってやる。だからお前は校長達の思惑を打ち砕け」
「へ? いや、ありがたいけど。俺が泣かせたって言ったのに、いいのか?」
「いいよ。どうせ最初から亜衣の気持ちは決まってたみたいだし」
佐藤君と共に亜衣ちゃんを見ると、亜衣ちゃんはニッコリと微笑んだ。
「冬雪も夏音も小春子も、皆が悠一をかばってるしね。冬雪が泣いた理由は分からないけど、それが全ての答えでしょ? それに私、これでも悠一の事かなり信頼してるし!」
じゃあ最初から聞きなさんな。でも、ぶっちゃけかなり嬉しい。
「亜衣ちゃん……、結婚しよ」
「いーよ? 来世でね?」
「よし、じゃあ約束……、いってぇぇぇぇ!? な、何でつねるんだよ、小春子!?」
「べっつにぃ。ただ、ちょっとイラっとしただけだし? 死ね」
面白くなさそうにそっぽを向く小春子を、亜衣ちゃんが撫でてなだめている。
それを呆れたように見ていた佐藤君が、やがて俺に視線を戻した。
「ひとまず女郎花さんは付きまとわれてないって証明出来れば校長達の思惑を崩せるかもしれない。せめて自分の意思でメイド喫茶に行った事だけでも説明出来ないか?」
「冬雪が自分の意思でメイド喫茶にか……。ん?」
思わず声が出た。これはもしかしたら、マズいのでは?
同時に部長の声が聞こえてくる。
『大体、僕達は何も理由無く君が無理強いされたと言っているわけではないよ。この画像に写っている場所は、いわゆるオタクと呼ばれる軽薄な者達が行く特殊な店らしいじゃないか』
それを聞いた瞬間、冬雪と夏音が息を飲んだ。多分同じ事に気付いたのだ。
『そのような場所に、君のような人が望んで行くとは考え難い。涙を流しているとなれば尚更だ。けれど、この男に無理矢理連れて行かれたと思えば全ての辻褄が合う』
冬雪は品行方正であり、オタクであるはずがない。だからこそ無理にメイド喫茶に連れて行かれたはずだ。
そんな部長の言葉に、冬雪が身体を抱きしめた。
ただ一つの事実さえ告げてしまえば、その前提は崩される。
そう、冬雪がずっと隠し続けてきた秘密を言ってしまえば、俺の疑いは晴れる。
けれど、俺の脳裏に、かつてオタクがバレた時の冬雪の怯えた姿が蘇った。
ほんの一年前まで、オタクとしての扱いを受けていたと言った冬雪の姿が。
同じ事を思い出したのか、冬雪が何かを恐れるようにグッと拳を握りしめる。
けれど、やがて顔を上げて前を見据え。
『そ、それなら、ハッキリ言っておきます。私は、部長が軽薄と仰ったそのオタ――』
「ちょおおおおおっと待ったあああああああああああ!!」
周囲にいる生徒達の目が、一斉に俺に向かった。
叫んでから自分が叫んだと気付いた。けれど、もう止まらず。
「俺はオタクだ!」
皆に聞こえるように、大きな声で言う。
「オタクな俺が、オタクじゃない冬雪を個人的にメイド喫茶に連れて行ったんだああああ!」
辺りには静寂が舞い降りた。そうして誰かが。
「……は?」
素っ頓狂な声音で言うのが聞こえた。
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