007

 語り終えた後も、しばらく口を開く者はいなかった。

 どんな事でも、話してしまえば楽になる、なんてきっと嘘だ。

 心の澱を晒したところで変わるものは何もない。ただ口の中の苦さが増しただけだ。


「まあ、そういうワケだから、音楽に関しては他を当たって欲しい」


 だからあえて気軽にそう言ってやるしかなかった。

 こんなの、絶対に誰にも言うつもりはなかったんだ。

 言ったって相手を困らせるだけだって分かってるから。

 事実、雰囲気は最悪だった。

 何か葬式みたいな雰囲気すぎてヤバいんですけど。冬雪も夏音も俯いたまま黙り込んでる。


「あ、あのさ、こんな話をしておいて何だけど、そこまで深刻に受け止める必要はないぞ? 今は小春子と二人でハッピーに暮らしてるわけだし?」


 そう言って何とか場を盛り上げようとするも、効果はイマイチ。

 何なら痛ましげな顔をされる体たらく。

 そんな中で夏音が、ゆっくりと息を吐いてから口を開いた。


「……二年間、ずっとYUIさんが急に居なくなった理由を探していました。それを聞けたのは、良かったです」


 言いながら、少しも嬉しくなさそうに眉をひそめる。


「そして、ようやく綾瀬さんが察しが悪い理由が分かった気がします」


「うん?」


「何で世の中は、こんなに痛ましい事が多いのでしょうね」


 ボソリと呟いた夏音の言葉の意味は、俺には分からない。

 ただその顔は、まるで泣きそうな子供のように見えた。


「PTSD。トラウマ。心の傷。言い方は色々ありますが、綾瀬さんの心には深い傷が刻み込まれてしまっている。ご自身の考えすら歪めてしまう程に。その事にすら気付けない程に」


「……どういう事だ?」


「先程の言葉を借りるなら、綾瀬さんは一連の原因が全て自分にあると思っている。そして今後も自分が音楽を続ければ、また誰かを不幸にしてしまうと思っている。そうですね?」


「あ、ああ。そうだけど」


 夏音の言葉に、俺は首を傾げた。そんなのは、とても当たり前の事だ。


「そして、そんな事があったせいか、自己評価もとても低い。それ故に自分が誰かに好かれるとは思っていない。それゆえか、小春子さんに至っては綾瀬さんの事を恨んでいるはずだとすら思っている?」


「ああ。当然だろ? こんな結果になった元凶を、普通は許さない」


 よく今一緒に暮らしてくれてると思うよ。マジで。


「あんな動画、作るべきじゃなかったんだ。歌うべきじゃなかった。あんな事は、すべきじゃなかった」


「……っ」


 不意に二人が息を飲み、身体を強ばらせた。

 何だか変な雰囲気を感じて横を見る。隣に座る冬雪の目には、大粒の涙が溜まっており。


「お、おい、ちょっと。ふ、冬雪?」


「……わかんない」


 ぽつりと冬雪が呟いた。


「わかんない。こんなの全然わかんないよ! 何でさっきので悠一君が悪い事になるの!」


「え、いや、でも」


「私、YUIさんが急に居なくなって、すっごく辛かった! それでも居なくなったYUIさんの動画を見ながら、ずっと願ってた。YUIさんが歌わなくなったのは、きっとYUIさんがもっと幸せになれる何かを見つけたからなんだって、ずっと思ってた! だから歌わなくなっただけなんだって! なのに、何でっ!」


 握られた手に、強く力が入るのを感じた。


「皆が悠一君に救われた! 皆が悠一君に励まされた! なのに何で肝心の悠一君だけが、ずっと救われないままでいるの!」


「ちょ、ちょいと冬雪?」


「こんなの……! 許せるわけ、ないじゃないっ!」


 言い切った後、ついに冬雪の目からは涙がこぼれ落ちた。

 再び静寂が舞い落ちる。それを嫌うように夏音が。


「夏音も同感です。全く、どれ程おばかだったらそんな結論に至るのでしょう」


「いや、そうは言ってもな、俺が小春子に辛い想いをさせた事は事実なんだよ。実際、それからずっとあいつ怒ってるし」


「ほほう。そういう事らしいですよ。いかがですか、小春子さん?」


 何を思ったか、夏音が後ろを振り返って言った。直後。


「にーちゃの、ばかああああああああああああああ!」


「ぬおっ!?」


 唐突な大声。同時にガシャリと背後で音が鳴った。

 慌てて振り返ると、背後の席には目に涙を溜めて立つ小春子が居て。


「にーちゃのバカ! あんぽんたん! あたし、にーちゃの事恨んだりなんてしてない!」


 何だか怖い顔して叫んだ後、小春子が俺を睨みつけてきた。


「こ、小春子? 何でここに?」


「割とずっといましたよ? 大抵背後十メートルにいたので、分かりやすかったです」


「外野うっさい!」


 夏音の言葉に、小春子は険のある視線を投げる。けれど、その目はすぐに俺に向かう。


「何でそんなの勝手に決めんの! あたし、にーちゃが音楽やってたのを恨んだ事なんてない! にーちゃを嫌いになった事だって一度もない!」


「い、いや、だってお前いっつも怒ってるじゃんか」


「それは、にーちゃがあたしの事をすぐ妹扱いしてくるからでしょ!」


「そんな事言ったって、小春子が妹なのは本当の事だし……」


「違うもん! あたしがまだにーちゃの妹じゃなかった頃から、ずっと妹扱いだった!」


「悠一君が悪い」


「綾瀬さんが悪いです」


 なんでやねん。


「……なんでやねん」


「見て!」


 小春子はスマホを取り出して素早く操作すると、俺に見せてきた。


「これ、にーちゃが作った動画! 色んな人がにーちゃにコメントをくれてる!」


 そこに表示されていたのは、俺がかつて作った動画だった。

 罪悪感からこの二年間、ずっと目を反らし続けていた。きっと、もうすっかり忘れ去られたものとばかり思っていた。けれど。


「皆が今もにーちゃにすっごく感謝してる! またにーちゃに歌って欲しいって言ってる!」


 思わず息を飲んだ。そこには、YUIへ向けた感謝のメッセージが大量にあった。

 新しいもので、つい数分前に書かれたコメントすらある。

 皆が、辛いときに救われたのだと。苦しい時に励まされたのだと。

 そんなコメントが、いくつも。いくつも表示されていく。

 ふと一つのコメントが目に入る。二年前に書かれたそのコメントは、一番辛い時にYUIの歌に救われた、これからも多くの人を救って欲しいと書かれている。


「あたしも、にーちゃに感謝してる! ずっと励ましてくれて、沢山感謝してる!」


「じゃ、じゃあ、小春子は俺の事嫌いじゃないのか?」


「当たり前でしょ!」


「なら何で昨日はあんなに怒ってたんだよ?」


「だ、だって、にーちゃがこの子達に、YUIの事を教えたじゃん!」


「う、うん」


「YUIの事は、にーちゃとあたしだけの……、二人だけの秘密だったじゃん!」


「うん……うん?」


「悠一君、そこで首を傾げないで」


「小春子さん、この鈍感にはもっとハッキリ言わないと伝わりませんよ!」


「つ、つまり! あたしはあの思い出を大事にしてたの! それを人に知られて嫌だったの!」


「??」


「伝わらないね……」


「嘘でしょう?」


「だ、だから、つまり、あたしは小さい頃からずっと、にーちゃの事が、す……す……」


「す?」


「す……酢を飲み過ぎて死ねバカこの鈍感!」


「レアすぎる死に方!?」


 やっぱこいつ、俺の事嫌いなんじゃないの?


「あ、あのー、ご主人様? 店内であまり騒がれますと、他のご主人様の迷惑になるので」


「あ、すいません」


 しかも何故か俺がメイドさんに怒られるし。

 結局、小春子もこっちの席に移動して、対面に座った。


「とにかく、あたしはにーちゃを恨んでなんかないし、にーちゃには音楽を続けて欲しい! もし部活をやって音楽が出来るなら、またやって欲しい!」


「俺は別に、もう音楽なんて……」


「うそ! さっきにーちゃが動画を見てた時の目、すっごく真剣だったもん! 部屋でえっちな本を読んでる時みたいに真剣だったもん!」


「お、おおおおお前なんでそんなん知ってるんだよ!」


「本当はまたやりたいんでしょ!? だったら、また音楽やってよ!」


 狼狽えていた俺に、小春子は真剣な顔で言い放つ。


「あたし、にーちゃが好きな事してるのを見るのが好き。アニメが好きならアニメ見てて欲しい、ゲームが好きならゲームしてて欲しい! だから音楽がしたいなら、また音楽やって!」


「け、けどそんな事言ったって、YUIの曲は俺達が二人で作ったやつじゃんか。俺だけじゃ無理だよ」


「じゃあ、あたしも一緒にいればまた音楽やれるんだよね?」


「そうだけど。お、おい、お前まさか……」


「それなら、あたしも――」


 俺の返答を聞いた小春子は大きく息を吸って。


「あたしも、部活に入部する!」


 そう言い放った。

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