004

「ふぁ……。おはよう」


 翌朝。どことなく漂うパンが焼ける香りに起こされた俺は、あてがわれた部屋から出てリビングに顔を出した。

 挨拶に同時に振り返るのは、もうすっかり身だしなみを整えた二人の少女。


「おはよう、悠一君」


「おはようございます、綾瀬さん」


 朝日が照らす中で、冬雪と夏音がキッチンに立ちながら挨拶を返してきた。

 二人は朝食を作っている最中で、いつものセーラー服の上にエプロンを着けている。

 卵の焼ける音や食器の重なり合う音。二人が動く度に、色んな音がリズミカルに鳴る。


「あー、俺は大分寝過ごしたか?」


 手伝った方が良かったかという意味を込めて聞くと、冬雪は一度瞬きをしてからフワリと微笑んだ。


「ううん、大丈夫。丁度良かったよ」


「綾瀬さんのお仕事はこれからですからね。しっかりと働いてもらいますよ」


「何だ、どういう事だ? お、おい?」


 夏音がトテトテと寄ってくると、俺の袖を掴んでソファの方へと引っ張る。

 そのままソファに連行され、座らされる俺。


「何だよ急に。ていうか冬雪はともかく、何で夏音まで制服着てるんだ?」


「だって綾瀬さんは制服が好きなのでしょう? じゃあ不公平じゃないですか」


「いい加減その誤解忘れて欲しいし、不公平の意味も分からない」


 休日なのに二人ともエプロンの下が制服のままだ。似合ってはいるけど意味が分からない。

 とか思ってると、やがて冬雪が皿に乗ったちょっとびっくりする大きさのオムレツをテーブルの上に置いた。


「あ、あのね、今日までが賞味期限の卵がいっぱい残ってたのでござる。だから全部使い切ろうと思って、いっぱいになっちゃったでござる」


 と言いつつ、何故か目を泳がせる冬雪。何で時代劇風の喋り方してんのこの子。

 いや、というかまじでかなりでっかいんだけど。どんだけ卵を余らせてたらこうなんの。


「お、男の子がどのくらい食べられるか分からなかったから、ついこのような大きさになってしまい候。もし無理そうなら言って下され?」


「しょ、承知……。まあこの程度の量ならいける、と思う。育ち盛りだし」


 確かに凄い量ではある。けれど、正直それより気になる事があった。


「なあ、これケチャップ多くない?」


 オムレツにはケチャップで二つのハートが描かれている。それが何かめっちゃデカい。皿にまではみ出してるし、量が凄い。


「そ、そんな事ないよ! ささ、それより早く食べて! ね? ね?」


「お、おい?」


「綾瀬さん綾瀬さん、これは重要な局面ですからね。慎重にお願いしますよ」


「何だお前ら」


 挙動不審な二人にスプーンを持たされ、やや強引にオムレツに向き合わされる。


「……ごくり」


「ど、どっちから先に食べるのでしょう……」


「すっげー食いにくいんだけど」


 何故か神妙な顔で俺の手元を見つめる冬雪と夏音。

 そんな二人に見守られながら、俺はケチャップを崩してまんべんなく伸ばした。


「は?」


「はぁ?」


「え? な、何?」


 怪訝な声を出す二人。何か間違えたかと思って二人を見るが、反応はなかった。

 仕方なく普通にオムレツをすくって食べるが、やっぱりちょっと酸っぱい。でもまあ、こうして均等にケチャップを伸ばせば、そこそこ平気。


「……今、私達のハートが崩れました」


「この鈍感クズ野郎」


「何でけなされてるんすかね俺は?」


 よく分かんないよね、この二人。


「むー、悠一君に何かを期待したのが間違いだったのかなぁ。ね、口には合う?」


「不味かったらとっくに吐き出してる」


「もっと素直に」


「めっちゃおいしい」


 いや、まじで美味しいですわこれ。

 オムレツ自体が少し甘めに味付けをされているので、多めのケチャップがよく合う。

 中はトロリと半熟で、細かく刻まれた野菜も入っており、味も食感も複雑に楽しめるようになっていた。

 そんな俺の返答と反応に満足したのか、やがて二人は満足そうに微笑んだ。

 それからパンや飲み物なども運んできて、自分達もテーブルに着き食事を始める。


「んで、今日はどうするんだよ? 確かパソコンを買いに行くとか言ってたけど」


「それなんですけど、夏音はパソコンはあまり詳しくありませんので、綾瀬さんに選んでもらおうかと思いまして」


「ほーん? じゃあネットで選んで取り寄せるか?」


「いえ、そうではなくて、選びに行きましょう」


「んお?」


 怪訝な顔で夏音を見ると、夏音が不適にニヤリと笑う。


「綾瀬さんは秋葉原って行った事ありますか?」


「ない、けど……」


 オタクの聖地、秋葉原。オタクであれば一度は行ってみたいオタク文化が集まる地。

 そこは皆がオタクであるため、無条件でオタクである事が許されるのだ。

 けれど俺は行った事はない。

 一人で行く勇気はなかったし、オタ友もいないので誰かと行く事も出来なかった。

 ただ指を咥え、テレビで見る度にいつかは行く事を夢見ていたのだ、が。


「ま、まさか、行くのか? 秋葉原に……?」


「そのまさかです。部活の一環として、今日は皆で秋葉原に行きましょう」


「うっひょおお! マジかよお前、最高じゃねぇか! ごめんな夏音! 俺お前の事、アニメ馬鹿な腹黒ロリだとばっかり思ってたけど、めっちゃ良い奴じゃねぇか!」


「……ほほう、綾瀬さんが夏音をどう思っているか興味ありましたが、ほほう」


 何かちょっと睨まれてるけど今の俺には気にならなかった。

 なんたって、部活で秋葉原に行けるのだ。ずっと行きたかったんだよ秋葉原!

 部活の一環としてなら仮に知り合いと会っても「いやー、部活で使うパソコン買いに秋葉原に来たんだよねー」と言い訳が出来る。最高かよ。


「で、いつ行くんだ? 今か? すぐ行くか?」


「さすがにすぐには行きませんよ。ご飯を食べてからです」


「そっかー……」


 浮きかけた腰をストンと落とした。


「あ、それと小春子さんも誘っておきましたので、現地で合流しましょう」


「へ? お前小春子の連絡先知ってたの?」


「はい。クラスのグループチャットがあるので、お互いに知ってます」


「へー。まあいいけど、あんだけ怒ってたし、あいつ来ないんじゃないか?」


「そこはまあ大丈夫でしょう。彼女があの内容で煽られて来ないとは思えませんから」


 どんな内容なんだ。


「ちなみに夏音も秋葉原に行くのは始めてなのですが、冬雪さんは行った事ありますか?」


「私も始めてだよ。すごいね、緊張するね」


 という事は始めて秋葉原に行く隠れオタが三人。

 何かを最大限楽しむコツは、それを好きな初心者同士で一緒に楽しむ事だと思うんだよな。

 それに目を盗んで同人誌を買う時間くらいは作れそうだし、これは楽しくなりそうだぜぇ!


「それと一応言っておきますが、あくまで部活で行くので、えっちな同人誌を買うのはダメですからね」


「ふへっ!?」


 とか思ってたら先に釘を刺されましたとさ。

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