第三章 錆びた心

001

「つーわけで、成り行きで部活する事になってさー」


 時刻は夜の八時過ぎ。

 自宅のリビングで夕食のカレーを食いながら、俺は今日あった事を簡単に説明していた。


「……ふーん」


 相手はテーブルを挟んで座る妹の小春子。

 色素の薄い髪を一つにまとめてサイドに流し、部屋着のキャミソールを着ている。

 冬雪が純和風のお姫様とするならば、我が妹はさしずめ西洋のお姫様だろうか。その肌は透き通るように白く、頬には少しばかりの桃色が付いている。

 もし髪をほどいてドレスでも着せれば、さぞや似合うだろう。実際小さい頃はエプロンドレスを着せられており、それはもう天使のように可愛かったんだ。

 まあ、そんな日本人離れした美しさを持つ我が妹も、今は何故か非常に不機嫌そうにカレーをつついているわけだが。


「だからこれからは帰りが遅くなるから、夕飯遅れるけど勘弁な」


「ふーん」


 一応返事はするものの、表情はやはり面白くなさそう。顔はそっぽを向いているし、テーブルを指で何度も叩いていた。


「何だよ、随分そっけない返事だな。カレーは嫌だったか」


「別に。あんたのカレーはそこそこ美味しいからいいけどさ」


 あまりにも嫌そうなせいで、よっぽどカレーがマズかったのかと思ったが。


「それで?」


「んお?」


「言うべき事はそれだけじゃないでしょ?」


 カレー以外に機嫌が悪くなる理由があるだろ、と言いたげに小春子が仏頂面で言う。


「何の事だよ。おお、そうだ。お前、先生に兄貴を売るなよな。そのせいで部活しなきゃならなくなったんだぞ」


「別に売ってないし、さっさと適当な部活に入れば良かっただけじゃない。というか、あんた中野先生に何言ったのよ。帰り際に会った時、『お義姉ちゃんって呼んでいいですよ?』って言われたんだけど?」


「ひぇっ……」


 先生なりの冗談だと思いたい。冗談だよね?


「それで? いつまで誤魔化す気?」


「な、何がだよ」


「はぁ……」


 俺の下手な芝居にイラついた様子で、小春子は大仰に溜息をついた。


「じゃあ、あえてこっちから言うけどさ」


 こいつも普通にしてたらマーベラス可愛いのに、最近はいつ見ても不機嫌なんだよなぁ。なのに学校では友達と普通に喋ってるし、何でですかね。

 やがて小春子は一度俺を睨んだ後、そのままツイっと俺の隣に目を滑らせた。


「何でこいつらまでカレー食べてんのよ」


「……しょうがないでしょ。ついてきちゃったんだから」


 俺の両隣には、一緒にカレーを食べる冬雪と夏音の姿。いや、ほんと何でいるの君ら?


「悠一君、このカレーとっても美味しいね。今度は私も手伝うから後で作り方教えて?」


 微笑みながらカレーを食う冬雪。謙虚に見えるだろ? また来る気なんだぜ、これ。


「ふひゃっ、こ、小春子さんがこっち見てます。怖いです」


 夏音に至っては、隣というより俺の後ろに隠れながらカレーを食ってる。


「夏音、お前三組じゃないっけ。じゃあ小春子と同じクラスだろ」


「そ、そうですよ?」


「なのに喋れないのか?」


「だ、だって小春子さんはリア充グループで話す機会なんて滅多にないですし。それに何か怖いですし」


「……きこえてんだけど?」


「ひぃ!」


 怯えた顔で俺の背中に隠れる夏音。それを小春子がイライラした様子で見ていた。


「あのさぁ、そいつにくっつくのやめてくんない? ていうかあんた、クラスでは普通に喋ってるじゃん」


「だ、だって、今まではとりあえず笑っておけば周りが会話を回してくれたので。そのシステムを全世界に実装したい……。夏音が何も言わなくても面白い会話を夏音に振って欲しい」


 そんだけ臆病者なくせに人の家のカレーはパクパク食ってるコイツです。


「で、何でこの子達がウチにいんの?」


 やがて小春子は夏音とのコンタクトを諦めたようで、再びこちらに目を寄越してきた。


「いや、それがさ、さっき部活の打ち合わせをしようって言われて……」


「うん」


「ご飯を作らなきゃいけない時間だからって断ったらこうなった」


「何でよ」


 知らんよ。俺としては打ち合わせを後日にしようって言ったつもりなんですけどね。

 なのに何故か二人とも家まで付いてきて、そのまま一緒に飯を食っている。

 そんな首を傾げる俺達に、冬雪がカレーを食べる手を止めて。


「というか、聞きたいのはこっちだよ、悠一君」


「んお?」


「何で悠一君の家に行ったら、志乃宮さんが住んでるのかな?」


 ちなみに志乃宮というのは小春子の名字だ。志乃宮小春子がフルネーム。


「妹がいるってのは聞いてたけど、二人は同い年だよね? 名字も違うし、どういう事?」


「あー」


 少しばかり答えを探して逡巡する。

 そんな俺の態度に、小春子は殊更つまらなそうにしながら答える。


「……あたしらは義理の兄妹ってだけよ」


「お、おい!」


「いいでしょ別に。隠すような事でもないし」


 結局カレーを口に運ぶ事なくスプーンを置いて、小春子はまた溜息をついた。


「二年前にあたし達の両親が再婚して、それ以来兄妹になったのよ。だから誕生日は三ヶ月しか違わないのに、あたしは妹でこいつは兄ってわけ。ほんっとに不本意なんだけどね、こいつを兄貴だなんて呼ぶの」


「三ヶ月違いだろうと俺が兄貴なのは間違いないんですぅ。何だよ、小さい頃は俺の事『にーちゃ』って呼んでずっと後ろを着いてきてたくせに、何で今更そこを不満に思うんだか」


「なっ、ば、バカ! いつの話してんのよ!」


 あの頃の小春子はほんと可愛かった。いや、今も可愛いよ? たまにバカとかあんぽんたんとか鈍感クズ野郎とか言わなければ。


「えーと、二人は小さい頃からの知り合いでもあったって事?」


「ああ、まあ幼馴染みってやつだな。昔からよく一緒に遊んでたよ、俺ら」


「へぇ……」「ほう……」


 あれ、何だろう。急に部屋の温度が下がった気がする。

 やがて夏音がさっきまでの怯えなど忘れたように、目を細めて小春子を見た。


「ほっほーう、幼馴染みですか」


「な、なによ」


「別にぃ。ただ、昔は兄のように慕っていたのに、今は違うんだなぁと思いまして」


「そ、そうよ。それが何?」


「いえいえ、どういう心境の変化があったのかなぁと思っただけですよ」


「べ、別にそんなの勝手でしょ! ていうかあんたあたしが怖いんじゃなかったの!?」


「それはそれ、これはこれです」


「ていうか私が悠一君の制服に匂いを付けた時に怒ってたっぽいし、それが答えだよね」


「はぁ!? あの匂いはあんただったの!? てっきりこいつに彼女でも出来たかと思ったのに!」


「うわー、冬雪さんってちょいちょいドン引きするような事しますよね」


「えー? 普通だよー」


 ねえキミたち、少しはボクともお話して?

 女三人寄れば姦しいとは言うが、その中に男が混じっても無視されるらしい。

 でも小春子だけは俺に目を向けてきた。さすが俺の妹、愛してるぅ!


「……ねえ、ていうか夏音はまだいいとして、何であの女郎花さんまで一緒にいるのよ」


 言いながら冬雪を見る小春子は、何故か少しキョドってる。

 違うクラスでもさすがに冬雪の事は知ってるらしい。まあ家でも話題にした事あるしね。同じクラスにめっちゃ可愛い子がいるぜーって言ったらすげー蹴られた。なんでかな。


「いや、何か冬雪も動画制作部に入る事になって」


「は?」


 怪訝を通り越して呆気にとられた顔で、小春子が冬雪を見る。


「な、何で? あんた美術部じゃないの!?」


「うん。でも、この部活に入りたい理由が出来たから」


 言いながら冬雪は俺を見てニコリと笑った。


「……なんでよ」


 それを見た小春子が、呆然と呟く。


「小春子?」


「な、何でこいつなのよ。こいつなんてバカでオタクで鈍感なクソじゃん!」


 ひどいんですけど。


「言っとくけど、こいつと一緒にいたって全然つまらないんだからね! すぐオタクっぽい話するし、ジョギングから帰ってきた時すっごい汗臭いし、パソコンの隠しフォルダにえっちな画像とかいっぱい保存してるし!」


「なあ、小春子? お兄ちゃん、あんまり私生活を暴露されたくないなー?」


 あとえっちな画像はあれだよ。3Dで女の子を作る時の参考にしただけだよ。ホントだよ!


「ていうか、あんただったらもっといい男をよりどりみどりじゃない! 何でわざわざこんな趣味の悪い奴の側にいようとしてんの!?」


 たかが一緒に部活をするってだけでこの言われよう。ちょっと泣きそう。

 そんな小春子の言葉に、冬雪は一度息を吸ってから微笑むと。


「昔ね、一番辛い時に助けてもらったの。だから恩返しがしたいの」


「……は? なにソレ。あんたら知り合いだったの?」


「ううん。直接は知らないよ。でもYUIさんの曲は聴いてたから」


「は、はぁっ!?」


 小春子がギギギと音が鳴りそうな動きで、俺へと首を回した。


「あ、あんた、もしかしてYUIの事、全部喋ったの!?」


「いや、喋ってはないけど、バレた」


「はああああああああ!? 信じらんない! バカ! あんぽんたん! 鈍感クズ野郎!」


「お、おい小春子?」


 やばい、何か小春子がマジでキレてるっぽい。


「ど、どうしたんだよ、急に」


「何で平然としてんのよ! ばか! ばかばかばかばかばかああああああああ!!」


「な、何でそんなに怒るんだよ。別にそんな大した話じゃないだろ?」


「っ!」


 俺の言葉に、小春子が思わずといった様子で言葉を詰まらせる。

 ふと見ると、その目にうっすらと涙が浮いていた。やがて震える声で。


「だって……だってあれは、にーちゃとあたしだけが知ってる、あたし達だけの……おもいでだったのにっ!」


「小春子?」


 けれどその事を言及する暇もなく。


「……てけ」


「へ?」


「全員、この家から出て行けえええええええええ!」


 小春子は、そう叫んだ。

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