005
かつての話だが、俺はYUIという名前で歌の動画をネットに投稿していた事がある。
まだ中学生の頃、当時病弱で入院していた妹を元気付けるために始めた歌を、妹の求めに応じて動画として編集し、ネットに投稿するようにしていたのだ。
それがそれなりに楽しかった事もあって、そのうち3Dや動画の編集について独学で学び、徐々に動画のクオリティを上げていったんだ。
歌う事、3Dを作る事、動画を編集する事。
全てを一人でやっていたけれど、全部がとても楽しかったんだ。
まあ結局その後なんやかんやあって歌う事は止めてしまったわけで、今は完全にただのオタクである。まる。
時刻はそろそろ六時になろうかという頃合い。長くなった陽も随分傾き、物置の中は夕日に照らされていた。
「ふっふっふ、ようやく綾瀬さんがYUIさんだと認めてくれましたからね。これからは毎日面白くなりそうですよ!」
そんな中で、夏音がウキウキしながら何かの準備をしていた。
その横で、まるで囚人の気分で俺は座っている。
結局俺は夏音を誤魔化す事が出来ず、最終的に自分がYUIであると認めざるを得なかったのだった。
冬雪や佐藤君達を騙してでも名乗り出るつもりはなかったのに、ついにこのちびっ子にはバレてしまった。
「まだ拗ねているのですか? 画像は消したのですから、そろそろ機嫌を直して下さいよ」
「やかましい。こんな事されて怒らずにいられるか」
意外な事に、夏音は俺がYUIで認めるやあっさり画像を消してくれた。
というか元々俺が正体をゲロったら消す予定だったらしい。
ただまあ握られている弱みが俺の正体に変わっただけなので、ありがたみはない。
「んで、これから何をするんだよ? 言っておくけど、画像が無くなった今お前の言う事を黙って聞いたりしないからな」
「先程言った通りですよ。夏音はここをアニメを作る場にしたいのです!」
「そうか、頑張れよ。じゃあな」
「待って待って! 待って下さいってば! 綾瀬さんは栄えある部員第一号なんですから! もう入部届も受理されてるんですよ!」
なにソレ聞いてない。普通に私文書偽造だし。
「はっ、じゃあ入部はしているとしよう。だが、いつ部活に来るかは各々の都合によるはずだ。そう、俺がその気になれば、次に部活に来るのは一年後、いや十年後だって……!」
「何浪する気なんですか。絶対クラスメイトからおじさんって呼ばれるじゃないですか。それより、これを見て下さい」
手渡された分厚い紙の束。それを見て俺は首を傾げた。
「何コレ?」
「絵コンテです」
「はん?」
「夏音が描きました。綾瀬さんには、これを読んでからやるかどうかを決めて欲しいのです」
渡された絵コンテをパラパラと捲る。
絵コンテというのは、映画やアニメ等で使う設計図のようなものだ。
一ページにおよそ五つ程のコマを描き、どのシーンでどのキャラクターがどういった動きをするかをその中に描く。
何故そんな事をするかと言えば、アニメとは複数人が関わって作るものだからだ。
複数人で作品作りをする場合、その作品のイメージの共有が何よりも大事になる。
そのためアニメ作りの現場では、こういった設計図を作る事で全体のイメージの共有を行うらしい。ソースはインターネッツ。
「綾瀬さんには3D作業の全般をお願いしたいと思っています。ですが、もしこれを読んでも乗り気にならないと言うのなら、その時は夏音もひとまずは引き下がります」
「へえ?」
大きく出たな、というのが正直な感想だ。
向こうに部が悪いのは明らかだ。
もし本当は良いと思っても、駄目だと言ってしまえば俺は自由になれるんだから。
逆に言えば、それだけこの絵コンテに自信があるという事だ。
見てみると、絵コンテにしては絵も文字もかなり描き込んである。
絵コンテは描く人によって描き込み具合は全く変わるらしいが、ぶっちゃけここまで描き込むのは相当珍しいだろう。それだけ本気で時間をかけたという事だ。
「分かった。その言葉、忘れるなよ?」
俺が言うと、夏音は意を決したように唇を引き結び、小さく頷いた。
見る前に一度、深呼吸をした。それから、ゆっくりと紙をめくり、一枚目を見た。
内容自体はよくある話だ。
事故で恋人を亡くした主人公の男と、幽霊となった少女の話。
男は恋人である少女の死から立ち直れず、苦悩の末に感情を失ってしまっていた。
けれどそんな男の前に、ある日突然少女が幽霊となって現れる。
絵はうまい。
けどそれ以上に、キャラクターに華がある。
表情もそうだし、動きも構図もとても生き生きとしている。
どのシーンでどのようにすればそのキャラクターが活きるか、しっかり考えられている。
再会に心の底から喜び、奇妙な同棲生活を始める二人。
少女は時には男を叱り、時には励まし、それでもあくまで普通な日々を男と過ごす。
男は最初はそんな少女に依存していたが、共に過ごすうちに少しずつだが感情を取り戻し、周りにも心を開けるようになっていった。
少女はそれを喜んで見ている。
やがて少女は、社会に馴染めるようになった男を見て、一つの決心をした。
自分はもう要らない。だから成仏する、と。
突然の事に動揺して止める男。
しかし少女の意思は強く、最後の約束を果たしてから成仏すると言う。
キャラクターはただ可愛いだけじゃない。
その時どのような考えを持っているか。
男がどれだけ苦悩しているか、そして少女が本当はどれだけ悔しいかが伝わってくる。
二人は昔果たせなかった、花火の約束を果たそうとする。
季節は冬。降りしきる雪の中で、二人は黙ったまま花火を消化していった。
絵コンテには当然、描く側の想いが込められている。
この話はシナリオも夏音が書いたものだ。
だから、ここには彼女の心情が込められているはずだった。
やがて最後の花火が無くなった時、そこには男一人だけが残されていた。
少女は最後の言葉すらなく姿を消し、男は打ちひしがれてその場で声を殺して泣き続けた。
結局男は、その後少女がいなくても充実した日々を送る事が出来るようになる。
それでも、男は毎日願わずにはいられなかった。
ひょんな日に、バツの悪そうな笑顔を浮かべながら、少女が戻ってきてくれる事を。
天国よりも、君の隣が良いと言って。
「ど、どうでしょう? 夏音としては悪くはないと思うのですが」
「…………」
最後のページを見終わると、夏音が口を開いた。
最初に思ったのは、これはきっと、たった一人のためだけに描かれたものだ、という事だ。
世の創作は、余さず誰かの心を引っ掻こうとしている。当然、これもそうだ。
ただ一つ、夏音の想いを伝え、共有するために作られた絵コンテ。
ひどく身勝手で強引な気持ちの押しつけ。
『帰ってきて』
そんなメッセージが、俺の心を引っ掻いていく。
ふと見ると、夏音の手が震えていた。決してふざけて見せたわけではないのだろう。
ただ。
「後味わりぃ。あんま面白くないぞ、これ」
「ぐ、ぐぬぅ! 仕方ないじゃないですか! 現実なんてそんなもんですよ!」
創作にはリアリティより面白さを追求して欲しいよね。
この絵コンテに関しては、良いも悪いもない。
ただまあ、話しかけられるまで夢中で読んでいたのも確かだ。
絵コンテを見ていただけで、頭の中で勝手にアニメが出来上がっていった。
同時にそれに合う音楽が降りてきて、それを押し止めるのに必死だった。
作ってみたい、という気持ちはある。
けれど、どうしても乗り気にもなれず、俺はわざと斜に構えたように言ってしまう。
「けど、仮にこれでアニメを作ってどうする気なんだよ。動画サイトで金でも稼ぐのか?」
「しませんよ、そんな事」
未だ憮然とした表情を崩さぬまま、夏音は言う。
「誰かを楽しませたいんです! 誰かの心を動かして、もっと一杯にしてあげたいんです!」
「じゃあ駄目だろコレ」
「い、今は最高のアニメを目指せるだけで良いのです!」
何気ないその言葉に、胸の内をかきむしられた気がした。
よくある話だ。ただ作るだけで楽しくて、出来上がったら嬉しくて。
結果なんて後から付いてくるものでしかなくて、それだけで良いんだ。
俺も昔はそうだった。いつしか失ってしまった気持ち。何より大事な強い想い。
「あの……、綾瀬さん」
「ん?」
「ど、どうでしょう? 部活の方は……」
「あー……」
そういやすっかり忘れてたけど、俺が入部するかどうかって話だった。
断るのは簡単。つまらなかったからやらないと言えばいい。
けど、さっき見た夏音の手。
自分が作ったものを見せるなんて緊張しただろうに、それでも俺に何かを伝えに来た。
その真摯な気持ちに嘘をつく気には、どうしてもなれなかった。
「3Dを作るだけならやってもいい、……かも」
「……ほんとうですか?」
何かもう、色々とどうでも良くなっていた。
ただ今は、この小さな同級生に少しは応えてもいいかなとか思ったり思ってなかったり。
やがて夏音は先程までとは一変して、みるみる笑顔になっていき。
「ありがとうございます! 見かけによらずチョロッチョロですね!」
「……そういうトコだぞお前。って、ひょわ!?」
急に夏音に抱きつかれ、思わず変な声が出た。
「んっふっふっふっふー! もー、綾瀬さんってば焦らすだけ焦らしちゃってぇ。そんなに夏音の気を引きたかったんですかぁ? このこのぉ」
「おい、お前テンションおかしくなってんぞ」
「そーんな事言って仕方ないですねー。仕方ないので飴をあげちゃいます!」
「いらねぇ!」
「むぅ、せっかくのイチゴ味なのに。じゃあ代わりに手を繋いであげますよ」
「何が何の代わりなのか、よく分からんのだが」
よほど嬉しかったのか、夏音は満面の笑顔で俺の手を握って鼻息を荒くしていた。
「あの、綾瀬さん」
「んお?」
やがて夏音は、俺に背を向けて身体の力を抜き、俺の胸にそっと夏音の背中が乗った。
「こらこら。人を椅子代わりにしないでくれませんかね」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい。それよりその、こ、これを読んで、夏音の言いたい事って伝わりました、よね?」
「……ああ、痛い程な」
あの絵コンテを読んで、ハッキリ分かった。
夏音はきっと、ずっと誰かを待ち続けている。
その相手に、自分の所に帰ってきて欲しいと思っている。
それを伝えるのがこのアニメの目的だ。
随分迂遠な方法を取るものだと思うが、クリエイターなんて大なり小なりそんなもんだ。
「じゃ、じゃあ……、夏音の気持ちも伝わりました?」
「ああ、多分」
きっと夏音は、その相手を憎からず思っているんだと思う。
それでも直接言えないのは、こいつが不器用だからか。
「……ずっと前に、夏音が一番辛い時に助けてくれた方がいたんです」
「うん」
「その人を、ずっと待っていたんです」
「うん」
「その人に、伝えたい事があるんです」
「ああ」
「だから、その……綾瀬さん!」
「うん、協力する」
「……は?」
思いの外怪訝な声を返された。そんなに意外だったかな。
「夏音が誰を待っているかは知らないけど、その気持ちは確かに共有した。だから、出来る限り手伝うよ」
「…………」
「何だよ、そんなに変かな。まあ、あんだけやらないって言ってた割に随分と心変わりをしたもんだと自分でも思うけどさ」
あの絵コンテを見てしまえば、夏音がどれだけ真剣だったかは分かる。
その真剣さに当てられてしまっている自覚はあるけど、それでも手伝いたいと思ったのは事実なんだ。
「このアニメを作りたかったのは、その誰かに見つけてもらって、気持ちを伝えたかったからだろ? ちゃんとアニメを完成させて、想いを伝えられたらいいよな」
「……………………………………………………………………はぁ」
何かすっごい溜息つかれたんだけど。
やがて夏音はチラリと振り返って俺を見た。
「綾瀬さん」
「うん?」
「……おばか」
えっ、ひどい。
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