第93話 余裕

第93話 余裕


 何かあったら直ぐに首に刃を入れる事ができる最高のポジション。丸腰の相手に対して絶対的な有利を取っている筈なのに手の震えが止まらない。相手の存在が異質すぎるのだ。


『アララ、震えちゃって可愛い』


 ワザと首にナイフの刃を触れるように身体を動かし、カタカタと震える刀身からのキノの情緒を読み取る。


 その行動に理解し難い感情を抱き、ナイフを引きながら半歩後ずさる。


『だめだろ? チャンスを逃しちゃあ』


 キノの眼前に顔が近づけられる。それに驚きを隠せずに自分の体勢が整う前に逆手でナイフを握り直し、力の限り振り下ろす。


 しかし、手首を掴まれ嘲笑われるかのように風景が宙を仰ぎ、自分が投げられた事に気が付いた。



 吹っ飛んでいく最中に猿と名乗る男が指を鳴らすと黄色い火花が爆ぜる。呼応するように馬車の扉に黄色い文字が浮かび上がり、開くとキノが馬車の中に突っ込まれる。



『さて、あんまり時間もないんだけど君も放り投げられたい?』


『え、遠慮します!!痛いのは嫌いなので....』


『そう。 だったら早く乗り込んで? その間に二人の馬も繋いで走り出すから』


『は、はい....』



 何が起こっているのかイマイチ飲み込めないまま、馬車へエナが脚を運ぶ。目立たないための黒い内装を否定するかのように目立つ大きな窓が広がり中には高級感漂う赤い絨毯が敷き詰められ、座席からも悪趣味な程に豪華さが伝わってくる。



 一歩踏み出すごとに身体が僅かに沈むほど床に敷かれたカーペットが柔らかく、そこでひっくり返っているキノに手を貸す。


 中に入ったことを確認するとシルクハットの青年が扉を閉めた。


『あんたまで来てどうするの?』


『だって、乗れって言われたし....』


『閉じ込められるとは考えなかった?』


『はっ!』


 考えもしなかったのか、奇想天外な表情を浮かべ驚きを禁じ得ない。


『やだな〜、そんなことしませんよ〜』


 さっきの青年が馬を操る位置に座り、小窓を開けて中を覗く。


『貴方は私達を知ってるみたいだけど、私は貴方を知らない』


『これ見て下さいよ? シルヴィからのお願いで来たんだから....』


 小窓から紙切れを渡し、覗き込むように二人がそれに目を通す。


(送りににいけ)と言う言葉が殴り書いてあるだけの紙切れ。それだけしか書かれておらず、本当にシルヴィからの物なのか気になる。


『こんな紙切れ一枚で良く来る気になりましたね。よっぽどの暇人なんですか?』


『灰色の髪の毛の子、敬語なのに口悪!? もう一枚の紙に仕入れやら何やら書いてあったからきたんだよ!そこまで暇じゃ無いから!』


『へー』



 エナが疑いの瞳でじっとりと見つめる。


『さて、二人の馬も加えたし出発〜!』


 叫ぶと、4頭の豪勢な黒い馬具を付けた馬に混じって一頭だけみすぼらしい格好をした馬が混じった奇妙な馬が走り出す。


 そして、小窓を勢いよく閉めて中の様子を伺おうとはしない。


『逃げた』


『やっぱり図星だったんだ』


 キノとエナが呟く。向かい合って座った二人も苦笑するように顔を見合わせた。


 二人きりで顔を見合わせる久しぶりの機会。話したいことは多いはずなのに、エナはうまく言葉が出てこなかった。


『にしても、だいぶゆっくり走るね』


『数頭で引く馬車のスピードなんてこんなもの....一頭に騎乗する方が断然早い』


『へぇー、風切って走るのも好きだけどこう言うのも好きかも....。外から見れば私達の姿は見えないから気を遣っているのかもね』



 馬車を初めて体験するエナが興味深々で辺りをキョロキョロと見回す。


『流石は生まれつきのお嬢様、こういう時間も楽しめるなんて格が違うわ』



 キノと同じ時間を長く共有できると言うニュアンスで言ったものが、どうやら嫌味に聞こえたらしい。



『豪華な物が好きなんじゃなくて! キノと一緒にいる時間が楽しいって言うか....』


 恥ずかしく照れてモジモジ下を見ながらも想いを口にする。


『本当にそう思ってる? スラムで育った私を馬鹿にしてるんじゃ無い?』


『そんなこと....!』


 そこまで言ってようやく、キノがニヤニヤしているのに気が付いた。


 そして理解する。キノに対する惚気話を聞きたいが為に、わざとこう言う質問をしたんだと。


『ちょっと!! またやったな!』


『えー? 何ー? 私はお喋りしてただけなんだけど....?』


『嘘つけこのやろー!』


 馬車の中からはギャーギャーと猛獣でも飼っているのかと思えるほどの奇声が聞こえてくるが、基本的には馬車に触れている人しか関与できない魔法が施されていた為、馬主にしかその声は聞こえない。


 いくら顔が魅力的であってもこの喧騒を楽しめる猛者など存在しないであろう。


『嗚呼、お願いだから早く着いて....』


 そう祈っても、無情にも横の道からいくつもの馬車が横切り足止めを食らっていた。



 スラムに近くなるにつれて魔石で動く街灯は少なくなっていき通る馬車は少なくなる。そんな中を走るのは誰しも心細いのだが、この時ばかりは辺りが不気味に鳴れば中の2人も少しは静かになっていくのか?などと言う事を心の中で考えていた。

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