第86話 萎えた身体
第86話 萎えた身体
「お気に召したようで良かった。秘密は中に入っている石」
「石?」
キノの言葉を聞き、グラスを水がこぼれない程度に横にしてうまく中に入っていた石の1つを取り出す。
指でつまむと固定術式として石に刻まれた溝に赤い文字が浮き上がり、指先からひんやりとした冷気を感じる。
「キャ!」
急な冷たさに石をテーブルに放ってしまいキノの前へと転がっていく。
「冷たい? その石に組み込まれた魔法が作用しているみたいですけど、原理が分かりません。そもそも、冷やす属性なんて聞いたことありませんよ?」
「これは火属性の魔法。火属性で物を冷やすなんて面白いでしょ?」
キノがその石に触れると再び文字が浮き上がり石から冷気が迸る。あれが先ほどまで水の中に入っていたなんて考えられない。指先を刺した凍てつくような寒さは氷をも連想させた。
「なるほど。触れている物の熱を急激に外に放出する原理ですか」
「そう。無属性の魔力じゃ単純な作用しか生まないけど魔力を帯びた物で術式を描けば、細かい固定術式で繊細な動きができる。ま、体内で無意識に術式を組んで放出した方が早いし、戦闘じゃ役に立たないけどね」
「固定術式と物に宿るマナの活用。私は素晴らしいとおもいますよ....。それより、先程から私の主は元気がありませんけど、どうしたんですか?」
「そんな事ないよ? 元気元気!」
「いつもなら、こんな紙袋を持っていたら、散々私に偉そうな事言ってたくせに自分は何買ってるの? とか言って見てくるのに....」
「えっと、なんて言うか....』
「キノにお姫様だってバラされた上に自分の興味のあることばかりやっているだけだって言われてへこんじゃってます」
キノを庇う事なくエナが思ったことをスラスラと告げ口をする。
メイドがエナの方を向く。キノが口走っていた事なのに、エナに何が言いたげな神妙な顔つきをしていた。
「それが何か悪いこと何ですか?」
『『え?』』
キョトンとしながら当たり前の事を何言ってんの?と言うスタンスで言い切り、エナと姫が面食らったような朧げな表情を浮かべている。
「世の中は理不尽ですし、平等じゃない。幾ら取り繕っても人間結局は自分のことにしか関心が持てない自己中心的な生き物ですし、普通ですよ。それに一喜一憂している方がおかしい」
「で、でも....」
弱音を吐こうとする姫の下唇を人差し指で軽く押しながら話を続ける。
「人に何を言われても異世界から来た思い人にまた会いたい一心で自分で異世界との扉を開こうとしている姫さまと、生まれながらの境遇に立ち向かって事をなそうとしているキノ様。どちらも素晴らしい人格者だと私は思います。接客してくれた子供達からも産まれの境遇を聞きました。それを軽い笑い話程度で済ませられるように幸福を与えるのは私が計り知れないほど大変な事でしょう」
「境遇?」
「ちびっ子達から聞きませんでした? 髪の毛が何で冒険者でもないのに金じゃないのかと、捨てられた話について」
「聞いてない」
メイドからの言葉にお姫様が答える。
紙袋の中からこんがりと焼けたパンに挟まれた両手で持つのがやっとのサンドイッチを取り出して品のある顔からは想像できないほど大きな口で貪りながら口を動かす。
「あの子達は人体実験の末スラムに捨てられた子供で、生きてることが知れたら殺されるような境遇を持ってます」
「じゃあ、何でこんな目立つようなことしてるの!? 憲兵の中にその子達を捨てた家の出身の人でもいたら....」
「間違えなく人体実験の証拠として殺される....よ」
訴えに無表情でキノが淡々と答えると温室育ちの姫様の顔から血の気が引いていく。
「なんでそんなひどい事を平然とできるの? 家族同然なんでしょ?」
「家族だからこそ、日の当たる仕事をして欲しい」
「だからってこんなむごい事をするの!? こんな....こんな....」
キノを叱責しようともそんな資格自分にはないと頭で理解する。今まで何も助ける事をしてこなかった。なのに、関わった途端に可哀想だの酷いだのとやかく言う資格はない。
自分のこれまでの行いを悔やみ、大粒の涙を視界がぼやける程に流す。
指で目を拭い止めようとしても一向に止まらない。そして、ぼやけていた真前の視界の色が幾つも抜け落ちた。
「あの子達の為に涙を流してくれてありがとう。お姫様は優しいんだね」
涙を流していてよく分からないが背後から誰かに抱きしめられている。それだけは理解でき、耳元ではキノの声が聞こえる。
涙を通して見る視界に慣れてきたのかキノが抱きしめる手が急に現れたように感じ、温かな体温が伝わってくる。
「だって....。だってぇー....!」
声を振り絞ってもそんな言葉の切れ端しか浮かばない。
ただ、キノが首に回してくれた手を掴み泣くことしかできない。それが偽善者と自分を至らしめる行為であっても涙を止めることはできなかった。
知らないと言う事がこんなにも苦しい事なのか、身が張り裂けそうなほど感じる胸の痛みに悶えながらもただひたすらに涙を流す。
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