11 迎えの夜
儀式の準備の間にリリーはすっかりラウラに溶け込んだ。特に年少組はリリーになついて、ラウラの踊りを教えようとしていた。
大人たちもリリーがラウラの生活のあらゆること、儀式の準備の全てに興味を持って、手伝っていたので、リリーをラウラの一員として扱いはじめていた。
ルルドの父さんもリリーを気に入ったようで、無口な父さんにしてはリリーとよく話をしていた。ルルドはそんな様子になんだか嬉しくなった。
儀式前日の夜、リリーはリョーのおばさん始め、ラウラの女衆に囲まれて何かを相談していた。
ルルドが何の相談をしていたのか尋ねると、リリーは笑って答えた。
「髪だよ。ナルーとして踊るならこのままでもいい。でもトランとして踊るなら切ったほうがいいってね」
ルルドは驚いて目を見開いた。リリーの、豊かで美しい金の髪を切るのはもったいないと思ったのだ。
「リリーはどうしたいの?」
「うん……アルバンさんに言われて伸ばしてたつもりだったけど、こうなってみると自分の一部になってたんだなあって。でも切るよ。明日は、おれがトランとして人前で踊る、初めての踊りだからな」
リリーはそう言って自分の髪を、いつまでも慈しむように撫でた。
その日のうちに、リリーの髪は短くなった。
一晩が明け、儀式の当日、踊りのためのやぐらも組まれ、リリーもラウラの踊りを覚えた。
あらかたの準備も終わり、あとは月が昇るのを待つばかりとなったとき、女衆がまたリリーを取り囲んだ。
「リリーさん、あんたの切った髪をカツラにしてみたんだ。もらってくれないかね」
「男とはいえ髪を切るのは辛かったろう。こんなことしかできないが……」
そう言ってリリーに渡されたカツラは、リリーがいつもしていた、右前髪だけを残してあとはひっつめた一つ結びの形をしていた。
リリーは一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべて、頭を下げた。
「ありがとうございます」
女衆は笑顔を浮かべてリリーの肩を叩いた。頭を上げたリリーははっ、と何かを思いついたような顔をして、ルルドに言った。
「ルルド! おれ、これをつけて踊るよ」
「えっ、それじゃ、ナルーとして踊るの?」
「いや。ナルーとして踊るのは最初だけだ。途中でカツラをとって、トランに戻る。ただ、おれがナルーをしている間、お前がトランとして一緒に踊ってくれないか」
ルルドはどう答えたらいいのかわからずに、迷った末に、うなずいた。自分もシンツァオを迎えなくてはいけない、と思った。
そして、いよいよ空に月が昇った。ノダーリのあちこちにたいまつが掲げられ、ランプとは違う明かりが揺れている。
やぐらの上のリリーとルルドは踊りの衣装を身につけて、カロナの実の汁を目元と額と頬に塗った。踊りの時の化粧だ。
「なんだか夜に二人で踊るなんて、こないだの祭りみたいだな」
あの時は飛び入りだったけどな、とリリーがいたずらっぽく笑った。ルルドも同じことを思っていた。あの楽しい夜のホタレックの味までありありと思い出せる。
「来年も、踊れたらいいね、あのステージで」
「ああ、絶対踊ろうな」
なんとはなしに二人の視線が合った。
たった数日前に初めて出会ったのに、こんなに信頼できる人間はこの世のどこにもいないと思った。
「行こう、リリー」
「行くぜ、ルルド」
やぐらの下で合図の大太鼓がドォム! と鳴った。
カカン! と木を打ち付ける音がする。
その音に合わせて二人はやぐらの舞台の上におどり出た。
ルルドは母さんのスカーフを、リリーはいつも使っている薄紫の衣を手にしていた。それを絡ませるように交差させると、太鼓の音が響いてルルドが跳びはねる。
するり、とスカーフは布を撫で、リリーの腕がしなり、布はその腕に巻きついた。大きく沿ったリリーの背を支えるように、ルルドが低い姿勢を取り、腕を伸ばした。リリーの体はぽん、と跳ね、次いでルルドも跳ねた。
それはふしぎな感覚だった。
ルルドにはリリーが、リリーにはルルドが次にどう動くか分かるようだった。二人の間の空気が溶け合って、あたたかくなっていく。
ミカルの町で踊った時はただただ楽しかった。
今は違う。二人の気持ちがひとつになっていた。
(シンツァオ……)
ルルドは心の中で呼びかけた。
(シンツァオ、君を迎えに行くよ。リリーと二人で。今度は一緒に外に出よう)
リリーの手のひらが空気を撫でるようにひるがえる。シャン! と、チャンの音がして、その手がぐっ、と髪を引っ張った。金色の波が光の尾を引いて空を舞う。
リリーが、トランになった。
二人のトランの踊りはより激しく、やぐらの床を蹴り、さらに高く跳躍する。月に届けとでもいうように。風は冷たいのに体中が熱い。ルルドもリリーも汗だくになって踊り続けた。
やぐらの下から歌声が聞こえる。それは、旅立ちの前に長老のホロゥで聞いた、あの詩だった。
「母なるムーアに抱かれし子よ
ムーアの涙はもう満ちた
空も 大地も 海も
人の子の行く末を祝福しよう
聞けよ はじまりの呼び声を
踊れよ 迎え火の舞を
この世のすべてはムーアの中に
この世のすべてはムーアの外に」
ふ、とルルドの胸の中に呼び声が響いた。それはリリーも同じだったらしく、二人ははじかれたようにムーア火山を見た。
その途端、何かに吸い込まれるような感覚がして、目の前がまぶしく光った。ルルドは反射的に目を閉じた。
呼び声はだんだんはっきりと、ルルドの名を呼ぶようになっていた。
目をあけると、そこは真っ白い空間だった。やぐらも、ラウラの仲間も、ムーア火山すらない。
そこにはルルドとリリーと、シンツァオがいた。
「シンツァオ!」
リリーの声にシンツァオはぼんやりと首をひねった。
「リリー! それに、ルルドも! ここはどこ? 私、母様とお話していたの。そしたら急に……」
その時、真っ白な空間にわん、と声が響いた。それはいつもルルドが聞いていた呼び声と同じ声だった。
『シンツァオ、お迎えが来ましたよ』
「お迎え……?」
不安そうなシンツァオに、リリーがうなずいた。
『その二人があなたの迎えです。あなたは外に出るのです』
「外に……? それじゃあ、母様はどうするの? 本当の本当にひとりになってしまうの?」
『いいえ』
声が空間の中で渦巻く。ルルドは何か大きなものに包まれているような心地よさを感じた。
『私はいつでもあなたを見守っています。あなたもいつでも私を見守ることができます。離れるからといって、それがなくなることはありませんよ』
声はまた渦巻き、リリーに寄り添った。
『リリード、彼方に憧れる愛し子。あなたにならシンツァオを任せることができます。どうかシンツァオに広い世界を見せてあげてください』
リリーがうなずくと、声はリリーのそばを離れ、今度はルルドに寄り添う。
『ルルド、母をなくした愛し子。あなたを迎えに選んで本当によかった。私はあなたに世界と、人と、出会わせたかった。それはあなたの母から頼まれていたこと。私自身が願ったこと。……ルルド、あなたの母ができなかった分、私にあなたの頭を撫でさせてください』
ルルドはドキリ、とした。なんだかとても優しいものが頭に触れた。そっと髪を撫でていくその感触に、涙が溢れそうになる。
(ああ、母さんも、こうして頭を撫でてくれた)
ほとんど覚えていなかった母の面影がよみがえる。
今までずっと母がいないことをさみしく思っていなかったのは、さみしさと向き合っていなかっただけだと気付いた。
『私はあなたの母でもあるのですよ、ルルド。リリー。シンツァオ。私の愛おしい人の子ら。あなたたちの行く末が、祝福で満ちあふれますよう』
声は不意に遠ざかり、追いかけようとしたシンツァオがバランスを崩した。リリーがあわててシンツァオを抱きとめる。二人を包み込むように白い光があふれた。
ルルドは目をつぶって、どくんどくん、と鳴る自分の鼓動に耳をすませた。
胸の中の呼び声は、ゆっくりと薄れていった。
――――ドォム!
大太鼓の音にハッとして目をあけると、元のやぐらの上にルルドはいた。リリーもいる。そして、シンツァオも、リリーに抱かれたままやぐらからムーア火山を見つめていた。
「……母なるムーアよ! あなたの娘を、もらいうける!」
リリーが叫んだ。その声はどこまでも響いて行くようだった。ラウラの演奏隊も手を止めた。
リリーの声の余韻が消えかかった頃、ドォン! と大きな音がしてやぐらが、いや、地面が揺れた。みんな一斉にムーア火山を見つめた。
ムーア火山は炎ではなく、灰を噴き上げていた。一所に積もらぬよう、強い風が吹いて灰を運ぶ。散っていく灰は月明かりに照らされて、キラキラと七色に輝いた。
「恵みの灰だ……」
誰かが呟いた。
その声は次第に歓喜の声になって広がってノダーリを包み込んだ。ただルルドだけが、その灰を、祝砲のようだ、と思っていた。
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