10 覚悟を決める日
その夜はじじ様の家に泊めてもらうことになった。
ほとんど丸に近くなっている月は明るく、窓から光が入ってくる。ルルドはベッドの上でさっきの話を思い返していた。
「ルルド、起きてるか」
ルルドはリリーが寝ているはずの長椅子を見た。リリーは壁の方を向いていて、ルルドからは背中しか見えない。
「起きてるよ」
そうか、とリリーがつぶやき、また静かな時間が流れる。ぽつり、ぽつりと長椅子の方から声がした。
「じじ様が言ったろ? おれがシンツァオに同情してるって」
「うん」
「あれ、同情とか、そういうんじゃないんだ。たしかに、シンツァオはかわいそうだと思ったけど……何て言えばいいのかな。
本当にかわいそうだと思うのは、今までシンツァオに出会ってなかった自分、シンツァオのそばにいられない自分だったんだ……」
隙間風が吹いているのか、薄いカーテンが揺れて月明かりがリリーを照らした。耳が赤い。
ルルドは、やっぱり、と思った。
「リリー、ぼくが考えたことを、話すよ」
そう言ってルルドは天井を見た。板の木目が今まで歩いてきた道のように見える。
「ラウラの詩と、ムア神の伝説と、シンツァオの母様の言葉……『呼び声』はムーアが預けられた子の『迎え』を呼ぶ声なんだと思う。ぼくが聞いた『呼び声』は、シンツァオを迎えに来いっていうムーアの声だ。どうしてチェンジャンじゃなくてぼくに聞こえたのかはわからないけど……」
「じゃあ、ルルドは本当にシンツァオが海の向こうから来たって思ってるのか? ムーアの神の奇跡とやらで。この集落のやつらがシンツァオをあそこに閉じ込めてるだけかもしれないんだろ!」
リリーが体を起こす。ルルドは天井を見つめたまま答えた。
「リリーはぼくに『呼び声』が聞こえることを信じてる?」
「当たり前だろ。ルルドの言うことなんだから」
「その声も、ムーアの奇跡みたいなものだよ。信じようと信じまいと、あそこにシンツァオがいて、『呼び声』は聞こえたのは事実だよ」
ルルドは大きく息をした。自分の指先が熱くなっているのがわかる。
「ムーアは、娘を連れ出すから噴火するんじゃない。迎えなかったら噴火するんだ。でも迎えるのもただ連れ出せばいいわけじゃない。……ぼく、ラウラの成人の儀の話はしたよね?」
「ああ、十三歳になったことをムーア火山に報告するために踊る儀式だろ?」
「そう。踊りはムーア火山に届くんだ。ラウラの言い伝えはそういうことだったんだ。
ぼくらがやるのは、鎮めの儀式じゃなくて、迎えの儀式……ぼくが探さなきゃいけなかったのは、シンツァオを迎えるナルーだったんだ」
そう言って、ルルドは体を起こしてリリーを見つめた。
「君は女じゃないからナルーじゃない。でもムーアがぼくを呼んだように、ぼくは君を呼ぶよ、リリー。
シンツァオを迎えるのは、君の役目だ」
しん、とした沈黙が部屋に落ちる。すっ、とリリーが右手を差し出して、ルルドはその手を握った。
言葉は、いらなかった。
ルルドとリリーは夜明けを待ってじじ様の家を出た。
外はまだ薄暗く、見張りのたき火も燃えていた。ルルドは荷袋の中から枯れ草を取り出し、見張りの男にことわりを入れて、燃え盛る炎に枯れ草を放り込んだ。細く、長い赤みがかった煙が立ち上る。
「なんだよ、これ」
「のろし、だよ。ラウラの、緊急用のやつなんだ。これでここから一番近い草原に出れば、ラウラの仲間が馬で来てくれるはずだよ」
ルルドの案内で急いでも、森を抜けたころにはもう昼を過ぎていた。
ようやくたどりついた草原にはラウラの駆け馬が二頭と、バルデとリョーが待っていた。二人とも、ルルドの顔を見てぱっと笑顔を浮かべる。
「ルルド! お前ののろしだと思ってたよ!」
「その人が鎮めのナルーか? 綺麗な人だなあ!」
ルルドはたった数日離れていただけなのに、すっかり懐かしくなった仲間の笑顔に喉の奥が熱くなった。だが、今はそんな場合じゃない。
「紹介するよ。この人はリリー。ぼくが見つけてきた、踊り手だ」
リリーが頭を下げると、バルデとリョーも会釈を返した。
「ノダーリの様子は?」
「長老の指示で鎮めの儀式の準備中さ。でも古い書物ひっくり返してもやり方がわからないんだ。しょうがないから成人の儀と似たような感じでやることにしたよ」
そうか、とルルドは呟く。早くノダーリに戻って、長老に自分の知ったこと、気付いたことを伝えなければ。
「バルデ、リョー。早くノダーリへ行こう」
バルデとリョーがうなずくと、馬がぶるる、と頭を振った。
駆け馬を使ってもノダーリに到着するまで時間がかかった。
カロナ草の原っぱを越えるときはもう夕暮れで、呼び声を聞いたあの日と同じように、カロナ草は金色に輝いていた。
(ムーア火山……)
馬をあやつるリョーの後ろにしがみつきながら、ルルドはムーア火山を見た。
雄大で、どっしりとしたムーアの姿は旅に出る前と変わらないはずなのに、ルルドには違って見えた。
あの山は、自分たちを見守り、その身の内に激しい愛と涙を潜ませた、母だ。
ノダーリは緊張感が漂っていた。本当にこれで噴火が鎮まるのか……ラウラはみんな、不安を抱いているようだった。ルルドはリリーを連れて長老のホロゥを訪れた。
「ルルドです。長老、今、戻りました」
さっ、とホロゥの入り口の布を開け、中に入ると、長老は書物と織物の山の中で香草キセルをくゆらせていた。
「ルルドか。その方がナルーじゃな。わしがこのラウラの長老ですじゃ。こっちに来て座ってくだされ」
リリーは少し緊張した面持ちで敷物の上に座った。頬が紅潮している。
ルルドはちらりとそんなリリーをみやって、心の中で笑った。どうやら、ラウラに憧れていたというのは本当らしい。
「長老、ぼくが旅に出て分かったことをお話しします」
ルルドはそう言って語り始めた。チェンジャンの事、ムア神の伝説の事、そこから分かった『呼び声』の意味、そしてリリーの事、シンツァオの事……。長老は黙って話を聞いていた。
ルルドが語り終えると、長老はふう、と香草キセルの煙を吐いた。
「母なるムーアは、母神であったか……」
煙がゆらゆらと空気に溶けていく。ルルドはこくり、と力強くうなずいた。
「迎えの儀式は、迎えに参ずるという意思の表明なんじゃろう。儀式をしてから、そのシンツァオという娘を地下から連れ出すほうがいいじゃろうな。しかし、その前に、」
長老は厳しい表情でリリーを見つめた。
「リリーさん……、いや、リリードさん。あんたは覚悟ができているかの」
「覚悟、ですか」
「そうじゃ。ムーアの娘を迎え、その娘のこれからの責任をとる覚悟じゃ」
リリーは一瞬、ひるんだような表情を見せた。そして目を伏せ、ひざの上で拳を握り、顔をあげてまっすぐに長老の目を見た。
「これを覚悟というのか分かりませんが、おれは、シンツァオのそばで生きたいです」
しばしの沈黙が流れ、長老がホッホッ、と声をあげて笑った。
「二人とも良い目をしとるの。よし、言い伝えの完全なる再現というわけにはいかないが、迎えの儀式は明後日、満月の夜じゃ。
月の力も借りて、迎えの舞を母なるムーアに届けようぞ!」
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