7 ウェイニン村の廃墟
祭りの後、ルルドとリリーは、二人の踊りを気に入ったというホタレック屋のおばさんの家で宿を借り、夜明けの頃に町を出た。
もうノダーリを出てから4日目だ。まだ鎮めのナルーのヒントもつかめていない。
「思ったんだけどさ、」
シンとした朝の空気の中、リリーが口を開いた。
「ミシュア以上のナルーは多分いないよ。そしてある程度踊れる大陸人なら昨日の祭りに出てるはずだし。ラウラにもいなくて、大陸人にもいないなら、もしかしたら鎮めのナルーはチェンジャンなんじゃないか?」
ルルドは目を見開いた。
そういえば昨日の祭りにチェンジャンの踊り子はひとりもいなかった。カリョウが「大陸人はチェンジャンに厳しい」と言っていたが、そのせいなのだろうか。
「でも、チェンジャンのナルーは、どこに行ったら……」
「カリョウに聞いたことがあるんだ。ここからそんなに遠くないところ、森の中にチェンジャンにゆかりのある村の廃墟があるんだって。その近くに大陸人と触れあわずに暮らすチェンジャンの集落があるはずだって。そこに行ってみないか」
ルルドは少し迷って、うなずいた。そういえばカリョウは「大陸人に交わらないチャンジャンはムーアを強くあがめてる」とも言っていた。災いの噴火について何か知っているかもしれない。それに迷い道をする時間は最初からない。どんな道であろうと、今、目の前に現れたのは何か意味があるはずだ。
「よし、決まりだな」
リリーがルルドの肩を叩いて歩き出した。
カリョウの話によると、その廃墟の村の名前はウェイニン村といい、ミカルの町から森へ入って進んだ先にある大きなケヤキの木を左に曲がるとあるのだという。
石畳の道を半日歩くと、足元は土の道になり、緑のにおいが濃くなってきた。目の前に森の入り口がある。ふ、とリリーの足が止まった。
「どうしたの、リリー」
ルルドが尋ねると、リリーは困ったように笑った。
「……おれ、この森の入り口ってやつで怖気づいたんだよなあって思ったら、なんか感慨深くてさ……。ルルドが来てくれなかったら、おれはずっと森の入り口から目をそむけて生きたような気がするよ」
そしてリリーは深呼吸をして、「よし」と呟いた。前方からざわざわと葉ずれの音が聞こえる。
森がいざなう中、リリーのその呟きは、まるで神聖な儀式のようだとルルドは思った。
町とは一転して、今度はルルドがリリーを案内する番だった。注意深く辺りを観察し、道を探っていく。
「苔の上にウサギの足跡がある。ウサギは人と同じ道を使うことがあるから、そっちに行ってみよう」
リリーが感心したようにうなずいた。ルルドは自分の知識が役に立つ嬉しさで体がむずむずした。
そうやって丁寧に進んでいくと、突然ぱっ、と森が切れ、大きな広場が広がった。あれだけうっそうと生えていた森の木々は、ここに入ってはいけないと命令されたかのように広場を取り囲んでいる。ぽっかり空いた空間には丈の低い柔らかな草が生え、その中央にはカリョウが言った大きなケヤキの木がどっかりと腰をおろしていた。
(こんなところ、初めて来た……)
ルルドとリリーはぼおっ、とケヤキの木を眺めていた。ごつごつした幹は見ただけで膨大な年を重ねていることが分かる。太く大きく伸びた枝は広場に広々とした影を落とし、さわやかな風がだいだい色に染まった葉を揺らしていった。
(ムーア火山みたいだ)
燃え立つような紅葉と、畏怖を抱くほどの存在感。ムーア火山のそばで生きてきたルルドには、このケヤキがまとう空気がムーアと近いように感じられた。
おそるおそる広場に足を踏み入れると、靴の裏からでも土の柔らかさが分かる。ルルドとリリーは息をひそめて、そっとケヤキの左へと広場を抜けた。ケヤキの先の道も広場と同じ、時が止まったようなふしぎな空気が流れていて、二人は言葉なく進んでいった。
後ろを歩くリリーが緊張しているのがわかる。一方のルルドは自分が何かあたたかなものの中を進んでいるような気がしていた。そのあたたさかさに導かれるほうへ、導かれるほうへ、足を運んで行く。
やがて道の向こうに朽ち果てた壁が見えた。ツタが茂り、表面に触れるとぼろぼろと砂が落ちる石壁だった。
「廃墟の、一部か?」
ひそひそ声でリリーが言った。ルルドは小さくうなずいた。
右手を壁に当てて、壁に沿って歩いて行く。壁はぐるりと大きな円を描くように建っているらしい。しばらく歩いて行くと、ふと壁が終わり、囲われた中への入り口があった。
「ここが、ウェイニン村……」
そこは本当に時が止まっているようだった。
石造りの住居も、くみ上げ式の井戸も、かろうじてまだ形を保っている机といすも、すべてが強い風ひとつで崩れ去ってしまいそうなギリギリのところで切り取られているような光景だった。
ケヤキの広場のところからずっと感じていた神々しいほどのさみしさはここにあったのか、とルルドは思った。
ルルドとリリーは鳥の声もしないウェイニン村の廃墟をゆっくりと歩いた。元は何色だったのか分からないほど色あせたカーテンがふわり、と風に揺れる。住居の一つを覗き、案外しっかりしている階段をそっと上ると、誰かが暮らしていたあとがありありと残る部屋があった。
「チェンジャンが暮らしていたのかな……」
リリーがつぶやく。ルルドは床に落ちていた、もうぼろぼろの本を拾った。中はもうほとんど読むことができないが、書かれている文字は見たこともないふしぎな形をしていた。きっと海の向こうでチェンジャンたちが使っていた文字なのだろう。
(ここにいたチェンジャンはどこに行ったのだろう……)
住居を出て、廃墟を進むと、リリーが何かにつまづいて転んだ。
「リリー!」
あわててルルドが駆け寄ると、リリーは恥ずかしそうに笑う。
「へへ、何かに足を取られちゃったよ。一体何だ……」
リリーの足元にあったのは鉄でできた丸いものだった。そっとその周りの土を払っていくと、それが取っ手であることが分かった。ルルドとリリーは顔を見合わせて、土を掘り返した。
「扉だ」
そこにあったのは木でできた扉だった。朽ちた村の中でこの扉だけは何かに守られているかのように頑丈なまま残っている。
上に開けるようになっているその扉を開くと、ひんやりとした空気とともに地下へ続く階段が現れた。
その途端、ルルドの胸の中であの呼び声が響いた。泣き出したいほど懐かしい、息が詰まるほどに優しい、呼び声が。
「ルルド……」
リリーがそっとルルドの手を取る。その手の震えが、リリーもまた何かを感じ取ったことを伝えてきた。ルルドはしっかりと地下を見すえた。
(この先で、何かが待ってる)
ルルドの頭からナルー探しのことが消えた。それよりも大事なもの……この地下の道の先に何が待つのか、それを知らないといけないと思った。
リリーとルルドは互いの手をしっかりと握って、地下への階段を下りて行った。地下は薄暗く、奥に行くに従ってだんだんと闇が濃くなっていく。
「ランプをつけようか」
リリーの提案の声が狭い地下の道でわん、と反響した。二人は立ち止まって、荷袋の中からランプを取り出し、火をつけた。ランプの明かりは闇に吸いこまれ、ほとんど役には立たなかったが、二人を少しだけ安心させてくれた。
ルルドが右手で地下の道の壁に触れ、リリーが左手でランプを持ち、二人はゆるやかに下っていく道を進んでいった。壁はじめじめとしているが、土でできているわけでなく、石よりももっとつるつるとした素材でできているようだった。
ランプの明かりがもう一歩先も照らせなくなったころ、ルルドはずるり、と足を滑らせた。床もまた、壁と同じつるつるした素材に変わっていたのだ。ルルドに引っ張られるようにリリーも転び、二人はそのまま闇の中へ滑りおちていった。
(手を離しちゃいけない……!)
長い長い下り坂を滑りながら、ルルドは懸命にリリーの手を掴んでいた。リリーもルルドの手を、力を込めて握り返してきた。
風が頬を切るように冷たい。ぎゅっとつぶっていた目をうっすら開けると、光が見えた。出口だろうか。
「わあっ!」
下り坂を抜けた二人は、折り重なるように地面に投げ出された。いや、それは地面ではなかった。柔らかな干し草の上に二人はいた。
(ここは……)
辺りを見ようと顔をあげたとき、遠くからか細く、可愛らしい響きの声がした。
「あなたたちは……だれ?」
そこにいたのは、褐色の肌に豊かな黒髪を持った、少女だった。
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