6 年一番の踊り子

 ルルドとリリーはここから西に一日歩いたところにあるミカルの町に向かうことにした。

「ミカルの町は踊りが盛んなんだ。コンテストもしょっちゅうやってるし、あたってみて損はないはずだよ」

「リリーは、なんでも知ってるね」

 ルルドがそう言うと、リリーはぶんぶんと首を横に振った。地毛だという金色の長い髪がきらきらと輝く。

「おれが今言ったのは、たまたまルルドが知らなかったことだよ。おれはルルドみたいに羊の世話の仕方も、森の歩き方も、太陽の位置で時間を計る方法も知らないもんな。だから、お互い様だ」


 そうやって、ルルドとリリーはいろいろ話をしながら石畳の道を歩いて行った。ルルドより二つ年上のリリーは成人の儀をやっていないという。

「うちの田舎にも、ヴェルナールの町にも、そんな習慣ないからね。成人の儀って何するんだ?」

「満月の夜に、十三になることを、ムーアに報告するんだ。化粧をして、成人の儀にだけ踊る踊りで」

「へえ! どんな踊りか見てみたいなあ! ルルドの成人の儀は結局どうなるんだ? 来月の満月の夜にやるのか?」

「本当は今月の満月の夜がそうだったんだけど、災いの噴火がくるから中止って……!」

 ルルドがそう言った時、どぉん! と腹の底に響くような音がして、地面が揺れた。ムーア火山をみると噴煙が細く立ち上っている。小さな噴火だ。だけど、ここまで地面を揺らす噴火は久しぶりだった。

(……災いの噴火は、もっと、もっと大きい……)

 そばにある木がはらはらと葉を落とすのを見て、ルルドはゾッとして身を固くした。今の噴火はムーア火山からのメッセージのように思えた。

「……風は北に吹いてるから、ミカルの町に灰は来ないだろうな」

 リリーは冷静に言ったが、その声は少しだけうわずっていた。


 しばらく歩くと、ルルドたちの後ろから乗合馬車がゆっくりとやってきた。御者のおじさんがリリーを見て、おや、と声をあげる。馬車は二人の前でゆっくりと止まった。

「あんた、アルバンの酒場のリリーかい?」

「そうだけど、どうかしたの?」

「いやあ、やっぱりそうか! 前に一回あんたの踊り見たんだよ。すごかったよ! ところであんたたちもやっぱりミカルの町に行くのかい?」

 ルルドとリリーは顔を見合わせた。なんでこのおじさんはそれを知っているのだろう?

「もしかして違ったかい?」

「う、ううん。違わないよ」

「そうだろう、そうだろう! あんたならナルー・デ・サフゾールになれるよ! 今からおれたちもミカルの町に行くんだ。乗っていけばいい!」


 ごとごととゆるやかに馬車は進む。馬車の中にはルルドたちのほかに数人の客が乗っていて、窓の外を見たりおしゃべりしたりしていた。皆一様にめかしこんで、女性はきれいに化粧をしている。

「やれやれ、助かったね。馬車なら夕方までにはミカルの町につきそうだ。それにしてもナルー・デ・サフゾールの祭りが今夜だったなんて! ルルド、あんたの運は本物だね」

 からからと笑うリリーにルルドは尋ねた。

「その、ナルー・デ……なんとかって、何?」

「ナルー・デ・サフゾール。古い言葉で、『年一番の踊り子』って意味さ。毎年、ミカルの町で行われてる祭りでね、いろんな町から踊り自慢のナルーが集まって年一番を選ぶんだ。おれ……じゃなかった、あたしも何度も出場を勧められたけど……例の秘密もあるし……行ったことはないんだ」

「じゃあ、ナルーがいっぱい来るってこと?」

「そう。たぶん、今回のナルー・デ・サフゾールがルルドの探すナルーなんじゃないかな」

「そうだと、いいな……」

 ルルドは窓の外を見た。景色がゆるやかに、でもどんどん早く移り変わっていく。時間はたくさんあるわけではない。そのナルー・デ・サフゾールが、鎮めのナルーであることを祈った。


 到着したミカルの町は、ヴェルナールの町以上に人が多く、その誰もが派手な衣装をまとっていた。きらきらとした灯りの飾りが石造りの町を彩る。まだ夕方だというのに、あちこちのステージの上から音楽が流れ、何人ものナルーやトランが踊りを披露している。

「すごい活気だな! 屋台もいっぱいある!」

 嬉しそうなリリーに対し、ルルドは人の多さと音の大きさに目を白黒させていた。なんとかリリーからはぐれないように人波をかきわけて進む。リリーは、ミカルの町の名物だというホタレック(温めた牛乳にスパイスを混ぜた飲み物)の屋台に立ち寄った。

「おばちゃん、ホタレックふたつお願い!」

「あいよ!」

 屋台のおばさんは木でできたコップにホタレックを注いで手渡してくれた。少し熱いホタレックは日が落ちかけた空気にちょうどいい。リリーがお金を払いながらおばさんにしゃべりかけた。

「すごい盛況だね。毎年こんな感じなの?」

「いやあ、今年は特別さね。なんたって噂の《踊りの神の娘》ミシュアが出場するんだからね。ミカル中が楽しみにしてるし、ほかの町からもいつも以上に人が集まってるわいな」

「へえ! ミシュアが!」

 リリーがこっそり、ルルドに耳打ちした。

「ミシュアっていうのは踊り手の間で有名なナルーだよ。まだほんの少女なのにものすごい踊りの技術を持ってるんだってさ! こりゃ、いよいよ期待できるな!」

 ルルドはこくり、とうなずいて、ホタレックをすすった。ぴりぴりとしたスパイスが牛乳の甘みを際立たせていて、じんわりと腹の中がぬくもっていった。


 完全に日が沈むと、町の中の一番大きなステージから、ドドォム! と大太鼓の音が響いた。

「これより、ナルー・デ・サフゾールを決める祭りを行う!」

 重そうな帽子と服を着た偉そうな人が声を張り上げた。町じゅうから、どしゃぶりの雨の音にも似た歓声が巻き起こる。

 リリーはルルドの手を握り、人波をすりぬけて、ステージから遠くない塀の上によじのぼった。

「ここならよく見えるだろ。ミシュア以外の踊り子がルルドが探しているナルーかもしれないしな」

 もう一度、大太鼓の音がして最初のナルーが現れた。体のラインがはっきりとわかる黄色の衣装のそのナルーの踊りは、リリーほどではないが、ルルドの心を魅了した。くっ、くっ、とかたい首の動きなんて初めて見た。

「すごいね、リリー! この人、とても、上手だ」

 ルルドがリリーに耳打ちすると、リリーは当たり前だろう、と大きくうなずいた。

「年一番の踊り子を決めるんだぜ? 生半可なやつは出てこないさ!」

 リリーの言葉通り、その次に出てきたナルーも、その次のナルーも、それぞれに魅力的だった。大胆に肌を露出した衣装のナルーの時は、ルルドはどこを見たらいいのかわからず赤面し、そんなルルドの様子にリリーは腹を抱えて笑っていた。

 しかし、幾人ものナルーを見ても、ルルドの胸に呼び声は響かなかった。観客がどんどん盛り上がるにつれて、ルルドの心はだんだんと沈んでいった。

「ルルド、次だ」

 リリーの声におおいかぶさるように、町中が期待の声に包まれた。

 ステージの上にはルルドと同じ年頃の少女が立っていた。黒い上品なスカートを身に付け、銀色の髪をひっつめておだんごにしたその少女こそ、《踊りの神の娘》と呼ばれる、ミシュアだった。


 歓声と拍手が引いて、弦楽器の音が長く細く滑り出す。

 ミシュアの腕がつい、と空へと伸び、だいぶ満ちている月の輪郭をなでるように指先が動いた。

 その途端、音楽家の弓が弦の上で踊りだし、ミシュアもまた月に引っ張られるように高く跳ねた。見事な跳躍に観客たちもはっ、と息をのむ。リズミカルな太鼓も加わって、ミシュアはますますチェルの泡のように弾けた足取りで踊る。時折見せる挑発的な笑顔は、人々を惑わすいたずら妖精のようだった。

(すごい……)

 飛び跳ねる踊りはラウラの中でもよく踊られるが、こんなに見事な踊りは初めて見た、とルルドは思った。まるで宙を飛んでいるような、体重を感じないミシュアの踊りは、ひとつひとつのポーズも美しい形になっている。

 ふ、とミシュアの視線がルルドのほうへ流れてきた。あ、と声を上げるうちにミシュアがルルドに笑いかけた。ルルドの心臓が跳ねあがる。


 ――――ジャンッ!


 盛り上がったまま音楽が終わり、大歓声が町中を包み込んだ。ルルドは、まだ跳ねまわる心臓を服の上から押さえた。隣でリリーが手を真っ赤にして拍手をしている。

「噂に違わず、すごいな! おれもなんだか踊りたくなってきたよ!」

「う、うん……」

「どうした、ルルド? もしかしてミシュアが例のナルーだったのか?」

 ルルドの様子のおかしさに、リリーが心配そうに言った。ルルドはようやく息を整えて、さっきの踊りを思い返す。

(すごかった……。でも、この胸の熱さは呼び声とは違う……ぼくの、胸の熱さだ)

 そう思った時、また心臓がドキドキして耳が熱くなった。リリーはまだおろおろした表情でルルドの顔を覗き込んでいる。

「どうだったんだ?」

「……ミシュア、は、……鎮めのナルーじゃないみたいだ……」

 そうか、とリリーが肩を落とした。

 その時、ステージの上から司会者の声がした。

「ナルー・デ・サフゾールを決める間、審査対象にはなりませんが、飛び入り参加の時間にします!」

 わっ、と何人かがステージに上がって、音楽隊が奏でるにぎやかな曲に合わせて思い思いに踊っていた。リリーの目がきらり、と輝く。

「行こう、ルルド! おれたちも踊ろう!」

 ルルドの手を引いて、あっという間にステージにたどりついたリリーは、荷袋を司会者に押しつけて普段着のまま踊り始めた。あっけにとられていたルルドも、だんだん体がむずむずとして、リリーのそばに走った。

 着の身着のままの二人の踊りは飛び入りたちの中でも群を抜いていて、二人はいつの間にかステージの中央で踊っていた。観客たちも二人の踊りに惜しみなく歓声を送った。

 ルルドは楽しかった。リリーと一緒に踊るのは初めてなのに、練習を重ねていたかのように息が合う。こんなに素晴らしい踊り手と踊って観客から拍手をもらえるなんて、ノダーリにいた時には想像もしてなかった。ミシュアのことも、探していたナルーではなかったけれど、ルルド自身が出会いたかった人だったような気がする。

 ルルドは心の底から、旅に出てよかったと思った。


 汗びっしょりになるまで踊って、ステージの裏でルルドたちは座り込んでいた。司会者が「すごいなあ、あんたたち」と笑いながら荷袋を返してくれた。はあはあ、と息が切れるまま、頭を下げる。隣でリリーも同じように荒い息で笑っていた。

「楽し、かった、な」

 息切れの中でリリーが言った言葉に、ルルドは大きくうなずいた。

「すごいじゃない、あなたたち」

 物陰からかわいらしい声が聞こえてきた。そっちを見ると、夜の暗がりの中で銀色の髪をいっそう輝かせるミシュアだった。

「あなたたちの踊りのせいで私の優勝にけちがつきそうだわ」

 ミシュアは、そんなことちっとも思っていないような表情で二人に近づいてきた。ルルドは息を整えるのに必死だったが、心臓が高鳴りだしてうまくいかない。

「あんたの踊りもすごかったよ! 《踊りの神の娘》は伊達じゃないな!」

 一足先に息を整えたリリーが言うと、ミシュアはほほ笑んだ。

「ありがとう。なんであなた、この祭りに参加しなかったの?」

「旅の途中なもんでね」

「ふうん、そうなの」

 ミシュアはルルドの前にしゃがみこんで、小首を傾げてにっこり笑った。

「私、あなたの踊り、好きよ。私はしばらくこの町にいると思うわ。だからまた会いましょう。その時は旅の話を聞かせてね」

 そう言って、すっ、とミシュアの手が差し出された。ルルドはおそるおそるその手を握った。小さくて、柔らかな手だった。

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