3 ヴェルナールの町へ

 翌朝、ルルドは父さんと共に、長老へ挨拶をしにそっと自分のホロゥを出た。ノダーリはまだ霧雨の中で寝静まっている。


 昨日、あの後に五人で話し合って、ルルドはラウラの皆に事情を説明する前に出発することになった。

 今回の事態は大人も年少組も、ラウラ全員で対処をしなくてはいけない。長老は全員がしっかり話を受け止められるよう、寝ぼけのない昼に話すことにした。ただ、時間がいくらあっても足りない使命を負ったルルドだけはいち早く動き出すことになったのだ。

 ホロゥの布をあげると、長老はきれいな石たちをぱちんぱちんと指ではじいていた。石は敷物の上を滑り、他の石に当たったりして止まった。ラウラの占いのやり方だ。リョーとリョーのおばさんもやってきた時、占いの結果が出たらしく、長老はやさしく頬笑みながら言った。

「森の外にはいくつもの町があるが、わしの占いには南西の町に行くといい、と出た。ここから南西の町はヴェルナールじゃ。まずはそこを目指しなさい」

 長老の細い枯れ枝のような指が占い石をひとつひとつつまんで、茶色い小さな袋に入れていく。

「これを町で売ればいくらかの金になるじゃろう。これくらいしか渡せぬが、旅費にするといい」

 渡された袋はずっしりと重かった。ルルドはどうすればいいのかわからず、ただ頭をさげた。隣で父さんも頭を下げているのがわかった。ぽん、と肩に手を置かれて顔をあげると、リョーがにっこりと笑っていた。

「がんばれよ、ルルド! 儀式の準備は任せろ! 年少組まとめあげるのは得意なんだ。だから……」

 リョーはそこで言葉を切ったが、ルルドにはその先に続く言葉がわかった。おばさんも長老も、父さんも、ルルドを見つめている。少しの不安と強い信頼に満ちた目。ルルドは力強くうなずいた。

「絶対に……ナルーを見つけて、帰ってくる、から」

 リョーが目元を赤くして、ルルドの肩をばん、と叩いた。父さんは少しかすれた声で「体に気をつけろ」と言った。


 早朝の空気は冷たく、霧のような雨のおかげでますます寒い。ルルドは首に巻いた風除けのスカーフを念入りに巻きなおした。

 このスカーフはルルドが生まれる前に、亡くなったルルドの母が織ったものなのだと父さんが言っていた。若草のような緑色の糸と夕日の中のカロナ草の金色が丁寧に織りこまれたそれは軽く、あたたかく、ルルドの宝物だった。

(そういえば一人で森に入るのは初めてだ……)

 ルルドは意を決して森へ足を踏み入れた。ざわざわとした葉ずれの音が頭の上から降ってくる。ラウラの伝統のとんがり帽子の中で音が反響しているみたいだった。

(草原とは、空気が、違う)

 湿った落ち葉を踏みながら深呼吸をする。風が吹き抜けていく草原とは違って、森の空気は少しくぐもっていて、生きた気配に満ちている。

 森は深いが、ちゃんとした道筋を通ればちゃんと町に続いている。狩りの方法はまだ教わっていなくても、森の歩き方は父さんがしっかりと教えてくれたので、ルルドはさして迷うことなく歩く事が出来た。たまに落ち葉の上をリスの親子が忙しそうに走っていくのを見た。冬を迎える準備をして巣に帰るところなのだろうか。

 ルルドは重い荷袋を背負いなおして森を進んだ。ラウラの靴は羊の皮で作られた軽くて歩きやすい靴だ。まるで、どんなに険しい道でも、背負ったものが重くても、どこまでも歩いていけるような気がした。

 まず目指すのは、ヴェルナールの町だ。


 森の狩り用の小屋で眠り、また朝が来る。雨はすっかりやんだようだ。

 あたたかな太陽が真上よりも少し傾き始めた頃、ルルドが歩く道は森のけもの道ではなく、平坦に整備された道になっていた。このまま歩くとルルドにとって初めての町だ。行き交う人がどんどん増えて行くにつれて心臓がドキドキしてくる。

(町ってどんなところだろう……。ラウラの大人たちは皆、町の人を嫌っているけれど……怖いところなのかな。それとも、楽しいところなのかな……)

 足を動かすと、遠くにあった町が近くなる。くつの裏にやけに固い感触がした。足元をみると平たい石が敷き詰められていた。ルルドの隣を馬車がゆっくりと通り過ぎて行く。ふ、と顔を撫でた風はかいだ事のない、甘ったるいふしぎな香料のにおいがした。

 気づけば、道に沿うように鉄でできた木のようなランプが立ちならんでいる所を歩いていた。一本のランプの下に、ぼさぼさ髪の男が座っている。

「もし、そこのお兄さん」

「えっ」

 ランプの下の男がルルドに向かって手招きをした。

(どうしたらいいのかな……)

 頭の中で、町の人間には気をつけろ、というラウラの大人たちの声がする。ルルドは迷いながらに男に近づいて行った。男はよれているが着心地のよさそうな服を着ていて、人の良い笑顔を浮かべていた。

「お兄さん、見たところ旅人だね。ヴェルナールの町は初めてかい?」

 ルルドがうなずくと、男はますます目じりの垂れ下がった顔をした。

「そうか、なら案内人としておれを雇わねぇかい? 美味くて安い食堂や、寝心地のいい宿屋、しけた町だが一応観光名所ってもんもある。なんだって案内できるぜぇ」

 男のにちゃにちゃしたしゃべり方はルルドにとって新鮮と同時に恐ろしかった。背負った荷袋のひもをギュッと握りしめる手が、ほんの少しだけ震えた。

「ぼ……ぼくは、ナルーを探して、いて……」

「ナルー? 踊り子かい?」

 男は、今度は眉間にしわを寄せて首をひねった。その仕草はどこかひょうきんで、えさをもらえるときだけなついてくるお調子者の小鳥のようだった。

「ヴェルナールの踊り子って言ったら、リリーだな。あいつ以上の踊り子はこの町にはいねぇや」

「そ、そのナルーにはどこで、会えるんですか?」

「リリーならアルバンってやつがやってる酒場で毎晩踊ってらぁ。そこにいきゃいやでも会えるさね」

 アルバンの酒場のリリー……。ルルドが忘れないように何度も何度もつぶやいていると、男はにたにたと笑ったまま、天に開いた右手をルルドに差し出した。

「じゃあ、お兄さん、情報料をいただきますぜ」

「情報料?」

「そう! この世は持ちつ持たれつ、ってね。お互いに持ってるものを交換して成り立つのが世の中さ。おれは踊り子の情報、お兄さんは金。さ、払っていただきましょうかい」

 ルルドは目を白黒させた。人の町は物を尋ねただけでお金が必要なのか。それならば朝の訪れを教えてくれる鳥たち、大気の変化を知らせてくれる風、物事の英知を知り尽くした長老様やラウラの仲間たちに、いくらのお金を払わなければいけないのだろうか……。

「さあ、さあ」

 男の手はがんとして動かない。ルルドは羊の毛で作った服のたもとに入れておいた占い石の袋を取り出した。

「ぼく、これしか持ってなくて……」

 袋をのぞきこんで、男はすっとんきょうな声をあげた。

「へえ! こりゃあ上物のキーラ石じゃないか!」

「足り、ますか?」

「そうさな……ひとまず、これ一袋いただいていくぜ」

 そう言うが早く、男はルルドの持った茶色い袋をさっと奪い取ると、つむじ風のように町へと走って行ってしまった。

(しまった!)

 ルルドは焦って男の後を追いかけて町に入った。途端、見たこともない景色にルルドの足はすくんだ。

(人が、たくさんいる……。すごい。これが町なんだ)

 町の入り口からまっすぐにのびる大通りは人でごった返していた。四角い石を積み上げて作ったような建物の店が並び、色とりどりののぼりを立てている。扉を開けて客を誘い入れる店もあれば、店の前に木箱を置いてそのなかに果物を詰め込んで売っている店もある。あちこちから飛び交う威勢のいい物売りの声も新鮮な響きだった。 

 ルルドのすぐ目の前の店で、よく日に焼けた褐色の肌の女性が、丈夫そうな麻袋に麦をさらさらと入れていた。店と店の間には細い小道が伸びていて、その先にもまだ通りが続いているようだった。

(あ、あの男はどっちに行ったっけ)

 ぼうぜんと通りの様子を眺めていたルルドは、すっかり男の姿を見失ってしまっていた。

(どうしよう……。せっかく長老がくれた旅費だったのに……)

 誰かに男を見かけたかたずねよう、と思ったが、町は誰かにものを尋ねるとお金を取られる、ということを思い出してやめる。この先の見通しもつかず、途方に暮れたルルドは肩を落とした。その拍子に、荷袋の中からシャンッ、と音がした。

(……そうだ)

 ルルドは何度も人にぶつかりながら、なんとか人気のない小道に入り、荷袋を開いた。ふわ、と長老の香草キセルのにおいが立ち上る。がさごそとかき回すと、さっきの音の出所であるチャン(タンバリンのような楽器)を見つけた。

(ラウラに伝わるチャン……。本当はこんな使い方したくなかったけど……)

 迷いを振り払うようにルルドは頭を振った。そして、とんがり帽子を脱ぐと、ぐっ、と顔を上げて辺りを見回した。大通りの先にある噴水を取り囲むように小さな広場がある。

(あそこがいい)

 ルルドは覚悟を決めて、人波をかき分けて広場へ向かった。


 噴水の土台はすべすべした白い石でできた魚だった。霧のような水を浴びて、魚は気持ちよさそうにつやつやと輝いていた。

 その前に立ったルルドは、荷袋を足元に、帽子をひっくり返して前に置いた。そして深呼吸をひとつして、思い切りチャンを叩いた。


 ――――シャンッ!


 広場にいた人は突然の音に驚いてルルドを見た。ルルドはもう一度チャンを叩いて、小さく飛び跳ね始めた。

 ハァッ、と声をあげて右足の指先で石畳を蹴って、高く跳ねる。着地した左足を支えに体をぐん、と低く下げ、首に巻いたスカーフをふわり、と広げる。ところどころでチャンを奏でながら、スカーフを体に巻きつけたりなびかせたり、軽快な調子で足を踏み、ルルドは踊った。ラウラに伝わる、収穫の恵みを感謝する踊りだ。

 猫のようにしなやかで、ライオンのように力強いその踊りに、ヴェルナールの大通りを行き交う人はひとり、またひとりと足を止める。緑のスカーフが宙を舞うと、草を揺らす風が吹いたような気がしてうっとりと眼を細める人もいた。

 最後にルルドがシャララララ……、とチャンを長く鳴らし、踊りを終えると広場が爆発したかのような拍手と歓声が巻き起こった。ルルドの帽子の中にはたくさんのお金が投げ込まれ、ルルドは頬をほてらせたまま何度も何度も頭を下げた。

(ラウラの祖先のナルーとトランも、こうやって踊って旅をしていたんだ……)

 言い伝えの中にそんな話があったのを思い出し、見よう見まねでやってみたが、こんなにうまくいくとは思わなかった。

 ずっしりと重くなった帽子を手に呆然としているルルドのところへ、人垣をかきわけて誰かがやってくる。紺色の服を着た男だ。男は眉間にぎゅっとしわを寄せ、つり上った目でルルドをにらんだ。

「お前が騒ぎの原因か! 誰の許可を得てここで大道芸なんかやっている!」

「あ、あの……」

「治安を乱したのは間違いないな! さあ、来い!」

 男は問答無用と言わんばかりにルルドの腕をつかむ。何が起こっているのか分からず、ルルドは恐怖に動けなくなった。

「ちょっと待ちな」

 その時、りんとした声が広場に響いた。人垣の前に立っている、細身だがすこしがっしりした体格の女性の声のようだった。ふわふわと波打つ金色の前髪を右半分だけ垂らし、あとは全部後ろにひっつめて一つ結びにしている。さっき、ルルドの踊りを見ながら目を細めていた人だ。

「その子はあたしんとこの新入りだよ。町に着いたばかりでちょっとひと踊りしたら人が集まっちまっただけさ。それが何か悪いことかい?」

 言葉の最後はルルドたちを取り囲む人々に向けられたものだったようだ。あちこちから「そうだ!」と声が上がり、拍手が巻き起こる。険しい表情の男はたじたじになって、大きく舌を打つとルルドの腕を放した。

「もう二度と騒ぎを起こすんじゃないぞ!」

 逃げるように去っていく男の背に広場からわっ、と歓声が沸いた。ぼーっとしているルルドの肩に金髪の女性が手を置いた。

「あいつはこの町の保安員なんだけどね、いばりくさっててみんなから嫌われてるんだ。さっきのもただのいちゃもんだから、心配しなくていいよ。それよりあんた、すっごい踊り手だね! あんなに身軽な踊り初めて見たよ! 本当に猫みたいだった!」

「あ……」

 ありがとう、と言いたかったが、まだ心臓がばくばくしていて、ルルドの口はうまく動かなかった。金髪の女性はそんなことを気にせず、にっこり笑って続けた。

「あんた、これから時間あるかい? いいもの見せてもらったお礼に、飯をごちそうするよ。あ、あたしは怪しいもんじゃないよ。

 あたしはリリー・フルーエット。アルバンさんの酒場で踊り子をやってるんだ」

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