蟲騎兵

夏虫

螻蛄、対、螽斯

 西暦2110年。

 ヴァーチャルにはないリアルとスリルを求めた血気ある人々は、現実世界で行われる競技、ビートルソウルに関心を寄せていた。終戦により不要となった兵器、蟲騎兵を互いに破壊し合う競技であり、今や世界で最も盛り上がるスポーツとして人々の関心を集め続けている。


 ルールは単純であり、互いの全力を用いて敵機を破壊するのみ。搭載する兵装や装甲に制限はない。試合は片方が戦闘不能になる事、片方が降参を宣言する事によってのみ決着する。


 #


 スタジアムの座席は溢れんばかりの人々で埋まっていた。中央には、二人の選手が向かい合っている。

 ビートルソウルの予選大会を勝ち進んだ両者は、その矛を交えようとしていた。

 片やビートルソウルの貴公子。宵の螻蛄ケラを操るクレハ。

 片や戦場を駆けたかつての軍人。蒼鱗の螽斯キリギリスの名で知られるウォロ。


「初めまして。クレハといいます」

 クレハは、黒色のトレンチコートを着ている。歳は二十ほどであり、身長は高く、しかし筋肉量は然程多くない。華奢な印象を与える青年である。ビートルソウルに体格や外観による優位の差は無いが、それを知っていてもなお、そのスタジアムに立つには不似合いな人間と見る者に思わせる。

 彼の視線の先には、壮年の大男が一人。体躯は優に2mを越し、かつての戦場の名残りを思わせる裂傷を顔に刻んでいる。ビートルソウルの大会の参加者の中でも、一番の優勝候補とされている。

「ウォロだ。敢えて名乗らずとも、貴公の名は既に知っている」

 その競技に体格は影響しない。ただ強固な意志と研鑽の積み重ねこそが、その試合の運命を決定づける。

「ただの礼儀ですよ。悔いの無い戦いを」

 両者は背を向け、自身の試合のレーンへ行く。

 歳も生きてきた世界も違いながら、二人は共に東地区最強の蟲騎兵の使い手としてそのスタジアムにいる。


 クレハは試合用の席に着き、ヘッドセットを装着した。

「各種系統異常なし。宵の螻蛄、出撃準備完了」

 クレハは答える。自身が競技で用いる、かつて戦場を駆けた戦闘兵器〈蟲騎兵〉の状態は良好といえた。口に出さずとも良い事だが、習慣としてそうした。


 ヘッドセットの隙間から、クレハは自身の掌を見る。

 大会のトーナメントを勝ち上がり、遂に決勝へと至った身。仲間の想いを抱き、敵の想いを踏み躙った上に彼は立つ。

 何も言わず、クレハは自身の蟲騎兵との同期を始めた。

 深い眠りのような物だ。ヴァーチャルへとログインする時のような演出は無く、気づいた時には眠り、気づいた時には起きている。

 次は、自身の肉体ではなく、遠い戦場に置かれた血の通わぬ冷徹な機械として目覚める事になる。クレハは意識の消失に身を委ね、息を吐いた。


 ──それはこの国で最強の蟲騎兵を決める戦い、その出場権を賭けた大会だ。


 #


 そこは公国の首都である。今となっては、廃墟の街と呼ぶ方がその状態を的確に表しているようにも思えた。大戦の最中で焼け落ちたその街は酷い汚染の中にあり、二度と人の住めぬ魔境である。だから、ビートルソウルの戦場に用いられる他に用途もない。


 脳の覚醒。クレハは元の人間の体でないことを確かめる。

 超硬合金製の爪が備えられた前肢。180度を超える視野。そこに映るは焼け落ちた廃墟。

 異常に成長した植物が傾(かぶ)くコンクリートのビルを覆い、ひび割れた街道に、どこかに溜まっていたのか雨水が流れている。

 かつては人々の往来が絶えぬ街路だったが、今は焼け爛れて崩れたビルや、錆びついた車が捨て置かれてるばかりであった。


 クレハの操るその蟲騎兵は、一見して螻蛄(けら)のような外観を備えている。全長は六メートル程。名を宵の螻蛄という。

 かつて公国で遊撃に用いられた蟲騎兵の中でも、特に単騎での近接戦闘や奇襲に特化した型とされる。

 前脚に装着された超硬合金製の爪と腹部に搭載された中型の主砲を主力兵器として使うが、後者の主砲は蟲騎兵同士の戦いでは絶対の強さを持たぬ。

 今までクレハは奇襲や誘導をメインとして主砲を使ったが、それも今回の螽斯を相手取るのなら爪程に有効な兵装とは呼べまい。


 螻蛄の眼前には、敵がある。相手は螽斯。過去の戦歴から知られるように、火力の高い主砲や連射力に長けた副砲をメインとして戦うシャープシューターである。基本の兵装はその2つだが、他に螻蛄の知らない、過去の試合で用いなかった兵装や攻撃術を用意している可能性があった。


 十秒後の試合開始の合図を、双方は待った。その時間が無限に引き延ばされているように感じる。


 螽斯は直線距離にして100m。互いに開けた場所にあり、開始直後に狙撃が来ると予測する。一度周辺の遮蔽物に隠れた後に接近し、奇襲を仕掛けて有利を取る。

〈誉アル戦イヲ期待シテイル〉

 電子通信。クレハは暫時黙考した後に返答を寄越す。

〈こちらこそ。最も、勝つのは私ですが〉

 電子通信を終え、互いに初動の構えに入る。

 様々な性能や形状を有しながら、ただ破壊と殺戮の機能のみを求められた機械が動く。


〈それでは、試合開始〉


 同時、螽斯の主砲から砲弾が放たれた。

 ――早い!

 螻蛄の爪が予備動作無しに動き、螽斯の砲弾を弾いた。音が爆ぜるより早く砲弾が届いていた。1拍遅れて砲声が鳴る。

 試合開始から零秒の狙撃。射撃後に追いついて螻蛄が動いたが、次も防げる保証はない。


 螻蛄は六つある歩脚を用いて駆け、付近にあったビルを遮蔽物にして螽斯の射線を遮る。螽斯は二撃目の射撃を行ったが砲弾は当たらず、代わりにビルの端に風穴が空いた。

 螽斯の砲撃には、生半可な建造物や構造物を軒並み貫通する程の性能を有する。建物が盾として機能するとは期待していなかった。射線や姿を遮るだけに過ぎない。それでも。

 砲撃がビルを貫通し、螻蛄の頭上を横切る。“音が遅れて”その破壊の様子を顕す。

 遮蔽物にしたビルが砂糖菓子のように砕け――それよりずっと前に螻蛄はその横を奔り去っている。

 音から察するに、一度に六の建造物を貫通して届いたようであった。砲弾の速度は落ちていたが、それでも直撃すれば大破は免れぬ。運が良かっただけだ。

 しかしそれ以上に厄介なのが。

(こちらが捕捉されている)

 レーダーに探知されるような機械は用いていない。電子通信も先に断った。そこから辿るなど、不可能なはずだ。

(──あるいは、か。だとすると厄介だ)

 螻蛄は隠密行動に長けた機体であり、移動の際に発する音は限りなく0に近い。音に迫る速度で移動しながら、全く敵機を悟らせぬ消音性を有する。しかし一切というわけにはいかない。そこには機体の駆動音や、地に足を着いた瞬間に発する微細な音が含まれる。

 その微弱や音のみを頼りに、100m近く離れ、六も壁を隔てた相手の位置を予測できたとするなら。

(奇襲は不可能。接近すれば被弾する確率は高まる……なるほど)

 分析。今回の相手は東地区最強の狙撃手(シャープシューター)。距離を隔てれば螻蛄の速度に射線が追いつかれる事はないが、果たして接近しても同じように言えるか。


 絶対命中の螽斯。絶対隠密の螻蛄。

 これまで螽斯は砲弾を絶対に外さず、同様に螻蛄も絶対に奇襲を成功させていた──少なくとも両者が対峙するまでは、その大会の中ではそうであった。


 一撃必殺の攻撃を有しながら、互いにその攻撃が通用しない拮抗状態にある。

 螽斯は螻蛄に接近されれば打つ手がなく、しかし螻蛄も近づけば近づく程に被弾する確率が高まる。


 4撃目の砲弾。またしても外れる。動かぬ目標ならば絶対に外さずとも、螻蛄は移動速度が高い。それでも音だけで螻蛄の速度に追いつけるのは、搭載された人工知能の故か。

(射線から考えるに、建物の上を北東に少しずつ移動している。少なくとも、然程離れてはない。離れ過ぎれば精度が下がるからか)

 螻蛄はエネルギーの消耗が激しい。元になった虫がそうであるように、出力は高いが稼働時間の短さは数ある蟲騎兵の中でもトップクラスとされる。普段なら無視できるが、今回ばかりは違う。

 そして螽斯とて、主砲の弾数制限は無視できない。どこかのタイミングで螽斯は仕掛けに来る。あるいは、それは螻蛄になるとも。

 5撃目。機体上部を掠め、装甲の一部が削れる。旧軍の戦車の主砲でも受け流す絶対の装甲が。

 狙撃の精度は上昇を続けている。螻蛄の移動速度には限界があるが、螽斯の狙撃の精度の上昇に限界はない。模倣し、学習し、次の一撃の精度を無制限に高め続ける。現状、一方的な不利を押し付けられているのは螻蛄の側。

(仕方ない。今決めるしか)

 果たして、その拮抗を崩したのは螻蛄だった。

 螽斯の主砲は、威力と引き換えに発射レートが著しく低い。だから次の射撃までに可能な限り近づく。音を立てぬ事をやめれば、螻蛄は圧倒的な制動力を誇る。螽斯が後方へ下がるのを見込んでも、半径十メートル以内には接近できると見込んだ。

 ヒビだらけになったコンクリートのビルを、鋭角な軌道を描いて横切る。横倒しになった廃車が、螻蛄の移動に巻き込まれてスクラップと化した。

 七十メートル。

 加速していく視界に、頭上から飛来する砲弾が見える。今度は音が遅れてきた。空気の流れより、なお速い。

 無理矢理な急制動による回避、しかし間に合わぬ。


 螻蛄は砲弾が機体に直撃するギリギリで機体を捩り、受け流した。それでも受け流しきれなかったエネルギーの“余波”だけが機体の鉄の装甲を抉り、熔けた装甲の鉄雫と火花を撒き散らす。

(直線距離にして参拾)

 螻蛄は首を傾げぬままに螽斯を認識している。人間の域を超える視野と視覚がそうさせていた。


 螻蛄の眼前に聳える建物の上。

〈貴殿の姿を、見たぞ。ウォロ〉

 空の色を反射し、螽斯の青鉄の装甲が鋭く光る。

〈目標ヲ再確認。迎撃開始〉

 蟲騎兵同士の視線が交錯し、試合開始後最初の言葉が交わされる。


 螻蛄は射線を断つべくビルの壁をに走った。走る跡に残るは深い爪痕のみ。前肢のみで螻蛄は駆けている。

 前方より、射撃の気配。

 金管楽器めいた音と共に、螽斯の副砲から散弾が放たれていた。否、機関砲だ。発射レートが高すぎるせいでそのように見えた。

 一見ばら撒かれたように見える弾は、全てが牽制であり、全てが囮であり、全てが本命である。

 螻蛄は、その隙間を縫った。致命傷にならないと判断して躱さなかった弾丸が装甲や両脚を削る。

 回避できない銃弾を判断して、前肢の爪で逸らした。


 弾幕が途切れる。一瞬で弾倉に詰められた銃弾を打ち尽くしたが故の事だ。

 機関砲の薬莢が地面に落ちるより早く、螽斯の眼前に螻蛄は跳んでいる。

 そこは螽斯の間合いの外であり──同じくして螻蛄の爪の間合いの内。

〈螻蛄の爪撃、“蠢動”〉

 バババ、と幾重にも重なった音が鳴った。

〈──技ノ名ヲ〉

 螽斯の装甲が切り刻まれているのに、螽斯自身が遅れて気づいた。拉げて抉れている。

 螻蛄は、その爪撃が内部に格納された電子機械を損傷させた事を認識していた。しかし致命傷には至っていない。

 螽斯は機体の制御を機械から手動に切り換えていた。

〈発スルナ。ソレハ明確ナ隙ダ〉

 螽斯は後方に退避。技の名を知り、それ故攻撃を認識した。だから傷は中程度で済んでいる。電子機械が損傷したのは痛手だったが、運用そのものに影響は出ない。射撃の精度が落ちる程度の事だ。

 螽斯は、次の攻撃の回避を、二手三手先を予測している。

 単純な移動速度では螻蛄に劣る、その間に立て直しはできない。

〈知っている〉

 螽斯は待避場所を探す。主砲が再度使用可能になる為のクールタイム、僅か一秒を掴み取る為に。

 螽斯は空中へと退避する。それこそが唯一螻蛄の届かぬ場所だと──


〈だからそうした〉


 ──そう螽斯が行動すると螻蛄は見込んでいた。


 螻蛄は腹部の主砲を螽斯に向けている。

 螻蛄は近接戦に特化した型だが、遠距離戦に全く秀でていないわけではない。至近距離のその僅か一瞬を狙い、爪の攻撃によって削られた装甲の隙間を撃つ限りは、螽斯の装甲をも打ち破る破壊力を持つ。


 螻蛄の主砲と螽斯の主砲が正反対を向いた。制御を失う空中でもなお、歴戦の螽斯はそうする事が出来た。だが。


 螻蛄と螽斯は同時に砲撃を放った。

 螻蛄の砲撃は、螽斯に直撃した。

 螽斯の砲撃は、螻蛄とは程遠い場所に命中している。ビル一つ貫通して地下数十メートルを穿ったが、それだけだ。螻蛄には命中していない。

 一拍遅れ、制御を失った螽斯が地面に落ちる。これ以上、動き出す気配はない。

(存外、呆気なく終わりましたが……)

 砲撃の反動で深く抉れた地面から爪を抜き、螻蛄は螽斯に近づこうとした。

 そこで気づく。

 螽斯は電源を示す明りを点灯させている。

 


 ──砲声。

〈な〉

 螻蛄の左腕が完全に千切れ飛んだだった。

〈なぜ〉

 一瞬、何が起きたのか、クレハには理解できなかった。

 少し遅れて、尋常でない速度の砲撃が右腕を根本から引き千切ったのだと悟った。

 後から見立てた通りに、螽斯がただ主砲による射撃を行っただけだ。しかし、その意識の隙間をついた狙撃は、文字通りの見えぬ弾丸と成り得た。

(なぜ、生きている。あの時、主脳を損壊させたはずで――)

 螻蛄の射撃は、空中を狙った。地面を蹴って移動できず、逃げ場の存在しない場所を。螽斯に翅や反作用による空中の移動方法が無い限り、その狙撃は絶対の命中率を誇る。ならば、なぜ。

(あるいは、主砲による反作用。なるほど、狙いを敢えて外したのは)

 螻蛄と同時に螽斯は主砲を発射していた。射線は螻蛄を向いていないとしても、代わりに可能な事が一つだけあった。反作用による空中機動。

 どこにも逃げ場のない空中で、翅の持たぬ螽斯が移動を行う唯一の手段。螻蛄の砲撃を完全に避けきれたわけでない。だが命中した箇所は装甲に守られた側面で、更に機体を傾けて衝撃を受け流していた。


 螽斯の砲撃を食らってしまったのは痛手だった。仮に警戒していたとして、同じ結果になっただろうが。


 螽斯とて、損傷は無視できていない。狙撃の精度は著しく落ちている。

 然れども本体は生きている。片方が降参せぬ限り、片方のエネルギーが尽きぬ限り、片方が戦闘不能にならぬ限り、戦闘は続く。


 螽斯は電子機械を損傷し、主脳部分の装甲が切り裂かれている。けれど、螻蛄は主力兵装の片方を無くし、またこれまでの砲撃で造られた装甲の損傷も無視できる段階にはない。


 ならばこそ、次が互いにとっての最後の攻撃になる。螽斯の主砲の残弾は尽きており、副砲の弾倉は一を残すのみ。さりとて短期決戦を手とする螻蛄のエネルギー残量も残り僅かである。

〈──勝つのは、私だ〉

〈諧謔ダ〉

 螻蛄は右の手を深く引いた。武道に於ける突きにも似た構え。

 螽斯は機体を僅かに傾けた。それだけで攻撃の準備が完了している。


 近接戦における最速、最長の突き。

 遠距離戦における最大威力の銃撃。

 離れた間合いにおける遠距離武器と近接武器には圧倒的な優位の差があるが、螻蛄が用いる場合に限ってはその差すらを覆す。例え、三十の距離を隔てていても、尚。

 時間が巧遅に流れ始める。

 後の先を体現する一撃の機会を、螻蛄は待ち続ける。遠距離に抗する螻蛄の手段は、それのみだ。防御からの反撃。先手を取るより早く、螽斯は散弾じみた射撃を放つだろう。

 だから、決して動いてはならない。相手が動くその時を見、後から先手を取──


 光が啼いた。

 鉛の雨が螻蛄に迫る。

 文字通りばら撒かれただけの銃弾が螻蛄を破砕した。

 螻蛄の左の視界が欠け、映像にノイズが混じる。

 螻蛄は回避せずに正面を切って奔った。


 #


 昔、その機体を譲り受けた日の事を思い出している。

 軍の演習場で解体が進められているのを傍目に見、クレハは格納庫へと続く通路を歩んでいた。

「ここいらの兵器も、明日には解体される。残念な事だがな」

 付添人の軍人は言う。晴天の演習場には、合計で十四の蟲騎兵があった。どれもが公国で製造されていた汎用機や狙撃機、空戦機である。蠧魚、七節、尺蛾──どれも最強と名高い蟲騎兵であったが、半分程は解体が進められ元の面影がない。ただ、主要パーツやそれぞれを象徴する兵装により、そうと認識できただけだ。

「どれも、まだ十全に動く機体ではないのですか」

「わかるか?」

「おおよその状態なら、見れば分かります」

 クレハの右目の中で、カメラの絞りのような機構が稼働している。常人の瞳に備わるそれではない。

「……んー、まあ、確かに今も使えるんだがな。上の命令ってやつだ。どれも何億もかけて造った物らしいが」

 がりがりと頭をかいて、軍人は答える。彼とて現状が望ましくないと思っていた。


 話している内、二人は格納庫まで辿り着く。鉄骨構造のそこは、様々な兵器を格納する場所であるはずだ。今は伽藍堂と呼ぶべきが相応しい。

「貴方の用とは」

 奥は暗闇だったが、クレハにははっきりとその姿が映っていた。

「ああ。あれの事だ」

 格納庫には何もなかった。その一機を除いては。

 軍人はてくてくと歩いていくと、その蟲騎兵の前で立ち止まった。

「これを貰ってはくれないか?」

 それは、一門の主砲と一対の爪を装備している。

「宵の螻蛄、ですか」

 公国において、極少数のみ製造された試作機プロトタイプとされる。

「……わかりました。ですが、一つ聞いてもいいでしょうか」

「なんだ?」

「なぜ、私なのですか?」

「……。説明はしにくいんだがな。ま、要するに、あんたが一番適しているって思っただけだ」

「なるほど。確かに説明のしにくい理由だ」

 きっと、その言葉の裏には螻蛄の元操縦者の意向も含まれていたのだろう。あるいは、それを手放すのが惜しかったのだろうか。その軍人が、戦友の形見たる機体を手放す事に。


 しかしクレハは、言葉をそのまま受け取る事とした。


 後から聞いた話では、螻蛄の所有者は隣国の義勇軍だったのだという。公国の防衛戦に参加したその軍人は、殺戮を繰り返し、紛い物でない命を奪い――今の公国がそうであるように、遂に何者も守れないまま螻蛄と共に果てた。

 クレハは、やがて螻蛄に残された戦闘の記録を、声を、感情を、探し出していた。それは戦場を去った一人の軍人の、遺言や形見にも似た物だ。


 クレハは一人であって一人ではない。螻蛄という最大の師がいたからこそ、無敗を誇った。かつての軍人の戦歴を元に学習を続け、最善手を打ち続ける。故に、クレハは最強と成り得た。


 #


 一発の銃弾が、螻蛄の神経系を破壊していた。それよりも僅かに早く、超硬合金の爪を螽斯に突き立てていた。

 装甲の隙間を捩じ切り、主要な機構を全て一撃の下に貫いて――螽斯が本体の人間と接続する為に不可欠な主脳を砕いていた。機体の特に奥に搭載されたその位置を見抜いていたから、そうできた。データの演算が、見抜いていた。最初から、ずっと。


 螽斯は動き出さなかった。

〈私の、勝ちです〉

 螻蛄は少し遅れ、全てのエネルギーを使い果たした。




 全国大会予選、勝者は宵の螻蛄。


 ◆


 螻蛄……

 熔けた金属をそのまま削り出した爪を備え、人間のそれとは隔絶した視覚や視界を標準装備する。爪は建物の破壊などにも用いられ、それ故かリーチ自体は長くない。

 主砲を抱えるように備えるが、基本的に弾数は少なく、再装填にも著しく時間がかかる上、不発を起こした際に使用が不能になるという欠陥も抱えている為にあまり使用の機会はない。蟲騎兵は人が搭乗し扱う兵器であったため大した問題ではなかったが、後の時代になり遠隔操作の技術が確立してからは重大な欠陥となった。

 螻蛄は試作機であり、早々に稼働時間に優れる後継機(狙撃特化型の螽斯や歩兵の鈴虫など)にとって代わられた蟲騎兵である。しかしそのピーキーさ故に、熟練の使い手が戦場に立てばどの兵器より強力な性能を発揮するとされる。

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蟲騎兵 夏虫 @neromea

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