第10話 にげる はしる

シンシアは剣を持ったまま、悠然と俺との距離を詰めてきた。

俺が部屋から逃げ出そうとするなら、シンシアの横をどうしても通らなくちゃならない。でも近づけばワニもどきのようにあっさり殺されそうで、後ろに下がることしかできない。


「下がっても無駄ですよ、逃げ道なんてありませんのに。あたくしも早く帰りたいので、おとなしく殺されて頂けます?」

「そんなこと言われても、止まるわけないだろ。俺だって殺されたくないからな」


シンシアはゆっくりと歩いてくる。

俺は並べられたテーブルやイスを避けながらとにかく逃げるが、移動できる範囲がそもそも狭い。そしてついに窓際に追い詰められてしまった。

それを見たシンシアは薄ら笑いを浮かべた。


っべーわ、これ、っべーわ。マジどうしようもねーわ。

焦りすぎて知能が落ちている自分を自覚しながら、この場を脱出するための何かがないか、辺りを見回す。すると窓の向こう、交差点付近にクロイが戻ってきているのが見えた。

クロイ!そうだ、割れた窓がすぐそこに……。


「チェックメイトですわ」


正面を見ればシンシアが剣を振り上げていた。武道もなにもやってない俺に、とっさの対処なんてできるわけがない。

あ、これはもうダメだ。終わる。


「シンシアあーーー‼」


覚悟が完了する直前、イスをはじき飛ばしながらカミハラさんが突進してきた。そのまま唖然としているシンシアに組み付き、剣を持った腕を押さえつけようとしているが、シンシアはびくともしていない。


「ユキ、何をしているのです?」

「それはこちらのセリフですシンシア。あなたがやろうとしていることは、許される事じゃありません」

「許されますよ。これは我々の正義のために行われる処刑です。悪魔の王を屠るために必要なことなのです」

「いいえ、ここ日本は法治国家です。個人が勝手に誰かを処刑することは許されていません」

「処刑は我らが大神王の御意思によるもの。辺境国家の法など関係ありません」

「ええい、この分からず屋め。治!外!法!権!」


先ほどまでまったく平気そうだったシンシアが、すごい勢いで回転して床に押し倒された。カミハラさんはそのままがっちり抑え込んだ。シロウト目ではあるが、手足を完全にキメて動きを封じている。


「ぐっ、ユキ、いきなり何をなさるのです」

「アスタロウくん、シンシアは私が押さえていますので、キミはすぐに逃げなさい」

「は、はい。ありがとうございます」

「む、無駄ですわよ。あたくしたちの兵力は、まだまだ豊富にございますのよ。たった一人の部下だけで、その全てに勝てるわけありませんわ。あなたに逃げ場はどこにも……あイタッ!ユキ、強く締めすぎですわっ!」

「そっちこそなんて馬鹿力してるのよ。手加減なんてしてられないわ」


カミハラさんもギリギリみたいだ。早足に壊れた窓へと向かう。窓から手を振ると、クロイはすぐに俺を見つけてくれた。


「カミハラさん、俺は行きます。お元気で」

「無事に生きてね」

「ユキ、アナタはホーリーキングダムに逆らうつもりなのですか!」

「私は日本の警察官です。日本国民を守ることが私の役目です!」


しっかり言い切るなんてカッコイイじゃないか。見直した。

カミハラさんの努力を無駄にしないために俺も頑張ろう。


「アスタロウ様、ご無事でしたかー」

「今のところはな。クロイ、俺は今から飛び降りるけど、安全に受け止められるよな?」

「問題ありませんー。いつでもどうぞー」


窓の下で両腕を広げる少女は、見ていて心配になるくらい細身だけど、クロイなら大丈夫……だと思う。

深呼吸をひとつして、窓から飛び降りた。

ヘソが落ち着かなくなる浮遊感。飛び降りたことを一瞬だけ後悔する。

あっという間に地面に立つクロイが近くなるが、クロイに着せていた黒いジャンパーが生き物のように伸びてきて、俺を優しく包み込んだ。

あっけにとられているうちに俺の足は地面につき、ジャンパーは普通のジャンパーの戻った。


「クロイさん、今のはいったい?」

「はい、初めてアスタロウ様にいただいたものなので、キズがつく前に同化させていただきました」

「どうか・・・なるほど」


さよなら俺のお気に入りのジャンパー。もう返ってくることはないようだ。


「どうかしましたか?なにか悲しいことでも?」

「いや何も。それ、大切にしてくれよ」

「もちろんです。一生使わせていただきます」


一生は無理なんじゃないかと思ったけれど、クロイの魔法ならできるのか。

俺のジャンパーがなくなってしまったが、クロイが喜んでいるのならいいだろう。それよりも今は逃げることが優先だ。


「とりあえずここからすぐに離れよう。敵はどのくらい残っているんだ?」

「おそらく残りは二百三十くらいかと」

「まだそんなにいるのか。全部倒すのは難しいな」

「いえ、アスタロウ様のためならやってみせます」


そう言うクロイの体は、見えるところだけでもいくつも傷が付いている。

このままだとクロイはボロボロになっても最後まで戦い続けるだろう。でもそういうわけにもいかない。俺は俺のためにクロイがボロボロになっていくのを指をくわえて見ていることなんてできない。


「クロイ、ちょっと聞きたいんだけど……」


クロイにひとつのアイデアを話す。カミハラさんと話をしたとき思いついたのだ。


「……はい、可能です。さすがアスタロウ様です。私ではとても思いつきませんでした。ですが申し訳ありません。それをするためにはもう少し時間がかかります」

「わかった。じゃあ時間を稼ぎながら逃げよう」

「敵兵が集まりつつありますので、慎重に進みましょう」


クロイを先導しながらアキバの街中を走りぬける。わりとよく遊びに来ているので道に迷う心配はない。

クロイには準備に集中してもらいたいので、戦闘になりそうな大通りは避けて進む。いちおう俺用に黒い剣を出してもらっているが、できればこれを使うような事態になってほしくない。

裏道と大通りが繋がっている建物は敵を撒くのに使いやすい。階段やエスカレーターが複数あるのも地味に便利だ。

いったん駅の方へ戻ったが、警察の封鎖線とそれを飛び越えてくる異世界軍を見つけて引き返す。

カミハラさんは何て言ってた?中央通りの交差点を中心に一キロ四方を封鎖した、だったっけ。それってかなり狭いよな。


「あの、アスタロウ様。やはり私が戦った方がいいのでは?」

「クロイはさっき言った作業に集中してろ。あとどのくらいで終わるんだ?」

「……およそ十分くらいかと。戦闘を行っていたとしても、十五分で終了いたしますが」


俺たちを追う異世界軍はどんどん増えている。やっぱり戦ってもらった方がいいのかもしれない。でも、クロイの体は傷だらけで、俺より小柄なのに、俺より華奢なのに、俺は、こうして逃げ回るしかできないのが悔しい。


「俺が戦えれば一番よかったんだけどな」

「今のアスタロウ様は魔獣兵一匹と引き分けになると予測します。さすがに多数を同時に相手にするのは賛同しかねます」

「ですよねー」


路地を曲がったところで、前方に異世界軍を発見する。完全に目が合ったので、すぐに近くのビルに飛び込んだ。

エレベーターに乗り最上階へ。そして屋上へ出る。


「カギを、閉めれば、少しは、保つだろ。ちょっと休憩、させてくれ」


普段からの運動不足ですでに足がガクガクだ。こんなことならジョギングでも日課にしてればよかったと思ったが、こんなことが起こるなんて過去の自分が予測できるわけないだろう。一方のクロイは相変わらずの澄まし顔。ぜんぜん辛そうには見えない。


「クロイ、お前って向こうの世界ではどんな生活してたんだ?」

「私の話など面白いものではないでしょうが、それでいいなら聞いて下さい」


クロイは一呼吸置いてから話し始めた。


「私は二度、主様に命を救われました。一度目は生まれた後です。ホーリーキングダムで生まれた子供は祝福を与えられるのですが、私はそれに値しないと判断されました」

「その祝福がないと、どうなるんだ?」

「子供は祝福に従って教育を受け、ホーリーキングダムのために必要な人材となります。その祝福がないということは、ホーリーキングダムで生きる資格がないということです」

「生きるのに、資格なんていらないだろ」


思わず出た言葉にクロイがうなずく。


「主様もそう仰られました。そうして私に、戦う力と理由をくださったのです」


クロイは自分のお腹に手を当てる。あの黒いアザがあるはずの場所に。


「それは、クロイにとってはいいことだったんだよな?嫌だとか、苦しいだとか、そういうのはなかったんだよな?」

「生きることが許されない以上の苦しみがあるでしょうか。自分の存在を認めてもらえる以上に幸せなことがあるでしょうか。私は生きるためなら苦しみに耐えられます。主様の期待に応えるためなら、この身がどうなろうと構いません」


そう言い切るクロイはとても力強く見え、でもどこか脆そうにも見えた。なんでそう見えたのか、それは分からない。そんなクロイに触れようと手を伸ばし、


「アスタロウ様あぶない!」


クロイに横に投げられた。


「いってー。何があったんだよ、クロ、イ……」


起き上がった俺が見たものは、クロイのお腹に長い剣が、真正面から突き刺さっている光景だった。

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