第21話 悪の秀才
「実を申しますと」
そう、瑠衣は切り出した。リビングのテーブルに三人、向き合って座って互いを見つめている。一人暮らしの割にだだっ広いそこは、元々一緒に暮らしてたであろう家族の姿が連想できる。
「東京で資料を渡したあの時…とある仕掛けを施しておりまして」
「…と、言うと?」
「盗聴器ですね。茶封筒の裏に仕込んでおりまして。あなたと私の会話、そして、岡瀬先生との会話。全て、聞いておりました」
「お前、どうして!」
「まあ落ち着いてください。私の職業は探偵です、依頼に沿って人を探るのは当たり前。その対象がたまたまあなただった、それだけです」
「あの時出会ったのは…意図的だったのか?だ、誰からの依頼だ!俺を探るなんて、何が目的なんだ!」
「言っているでしょう。私の職業は探偵です。依頼人の情報は一切、お伝えすることはできません。…まあそこで反発したところで、私が情報を教えないだけなので、大損ですけどね」
「くっ…うう」
諦めたのか、ドンッと机を叩き、俯く升川。瑠衣扮する一樹は満足げに笑うと、再び口を開いた。
「その書類はやがて岡瀬のもとにわたった。それで、新たに分かったことがありました。岡瀬弁護士の父であるN市警察署長、神戸署長は、娘に多額の金をつぎ込んで優等生の皮を被せていたんです。いわゆる賄賂、というやつです。その証拠に、親子がそれに関して言い争う電話の声がはっきり録音されていました」
「賄賂?じゃあ、彼女の指示は?コメンテーターとしての仕事は?」
「全部、お父様の言葉をそのまま伝えるだけの、伝言ゲームですね」
「くそ…あんな奴に、今まで俺は!」
またロープに手を掛けそうな勢いだったので、隣にいた里音は慌てて升川の肩を掴む。
「恨むべきは、父親である署長だと思います。岡瀬は幼少期から金を積まれ、望んでもいないのにエリートの道へと進まされた。むしろ悲劇のヒロインです。それに、あなたが散々愚痴をこぼしていた東京での指示も、実は署長の指示だった、というわけです。…怒りを向けるべき者はただ一人ですよね?」
「……」
「それに、考えてもみてください。N市の人間である那緒さんを、事件現場近くである都内の留置所に収監しろと。そう指示したのは誰でしたか?」
「…お前、何を言うつもりだ」
「お人が悪いですね、分かってるくせに。そう。岡瀬清子です。つまり、これはどういうことか」
「署長の、指示…?」
「ふふ。それが何を示しているのか…、沙月、君はもう分かってるね」
「…はい」
瑠衣は二重で尋ねてきた。署長の行動が示しているものは何か。もう一つは、どのようにして自分が罪から逃れようとしているか、だ。お世辞でも何でもない、この人は悪の秀才だ。里音はただただ、圧倒することしかできなかった。
「大変言いずらいのですが、私にはどうも、署長が那緒さんを殺害したようにしか見えません」
「は、あ?お前本気なのか?配下であるこの俺の、娘を…本気で言っているのか?」
「だって、都内の留置所に那緒さんを収監した翌日に、あそこは爆発してるんです。それにさっきも言いましたが、那緒さんの部屋でしか機械…爆弾の破片は発見されてないんですよ。殺意しか感じない」
「ど、動機は」
「あるじゃないですか、決定的なのが」
「え?」
「忘れたとは言わせませんよ、那緒さんの罪状を。そう、殺人未遂です。誰を殺そうとした?言うまでもないですよね」
「...!」
「動機としては十分すぎますね。娘を殺されかけた恨み…中々に強大だ」
「ま、まさか…本当に、署長が?」
「どう考えるかはあなたにお任せします。私はただ、今まで調べてきたことをもとに憶測を並べているだけですから。…まあしかし、署長が危険人物であることは間違いないでしょうね」
「……」
「私からは以上です。…ではまた、どこかでお会いしましょう。命をお大事に」
すっかり黙り込んでしまった升川を背に、瑠衣は里音の手を引く。里音は素直に立ち上がり、升川の方をちらちらと見つつも、玄関の方へ去っていった。
一人残された升川はしばらく机に突っ伏していた。両腕で隠されたところには、小さな涙のしみが出来上がっていた。そして顔を上げた…その顔は、
悔恨と憎悪で醜く歪んでいた。
それらの強い感情が示すものは一つ。「殺意の芽生え」であった。
「瑠衣さん、あの時探偵と名乗ったの、咄嗟の思い付きじゃなかったんですね」
「うん」
「依頼人って…遼一さんですよね」
「その通り」
帰り道、里音は疑問に思ったことを瑠衣に全てぶつけていた。
「つまり、あの茶封筒は升川刑事の手から岡瀬弁護士のもとに渡り、その後担当の刑事が変わったタイミングで」
「遼一くんの手元に渡ったわけだ。もちろん盗聴器付きで」
「どうして、遼一さんはそんな依頼を?」
「実はね、遼一くんは岡瀬とちょっとつながりがあってね」
「繋がり?お父様の親族とかですか」
「元恋人」
「…ふええっ!?」
「もともと教師として働いていた岡瀬は、当時の教え子だった遼一くんと秘密で交際を開始したんだ。まあ、兄には一瞬でばれていたんだけど」
「そ、そんな過去が…意外です」
「あの時から大人びていたからね。ああみえて結構真面目だし、慎重だし、童貞だし」
思わず転びそうになった。右手を瑠衣が持ち、何とか耐えたが、顔は真っ赤だ。
愉しげに見つめる瑠衣の視線が痛い。
「流石はピュアな高校生」
「…いじわる。ど…そ、それは関係ないでしょう」
「遼一くん追い越しちゃってるね」
「知りません、私はなーんにも知りません!」
大声でかき消そうとする里音を、クスクスと笑いをこらえながら見つめる瑠衣。里音は頬を膨らませ、その後諦めたようにため息を溢した。
「…で、岡瀬弁護士とつながりがあった、と」
「うん。でも高校に入る頃に、彼女は教師を辞めてしまって。東京に弁護士として働きに行ってしまったんだよ。...遼一くんは長いこと養護施設に入っていたから、愛されることに慣れていなくてね」
「!!」
「自分が捨てられたんだと勘違いして、それから狂ったように岡瀬を調べ始めた。警察に入ったのもそれが理由。すごく悪い言い方になるけど...職権濫用が目的だね」
「確かに、警察官なら弁護士との接触も不自然じゃないから...」
「そう。確かその時だったね、僕が自分の犯罪を打ち明けたのは」
「...あっ、瑠衣さんまさか、遼一さんが情緒不安定になっているのを見計らって?」
「言い方が悪いなあ。...まあでも、あながち間違いではない。何せ条件が揃いすぎていたんだよ。遼一くんは岡瀬の情報が欲しくて、僕は警察の捜査の情報が欲しかった。ウィンウィンでしょ?」
「じゃあ、瑠衣さんが今まで捕まっていなかったのって...」
「そ、警察内に協力者がいたからだよ」
いつの間にかたどり着いていたタワーマンションのエレベーターに乗り込み、「閉」のボタンを押す。
「それで...升川刑事は、この後どうするのでしょうか。やはり...」
「ああ、限りなく高い確率で、東京に出向くだろうね。自分の娘を殺した署長に引導を渡すために」
「勿論、冤罪なんですよね?署長」
「うん、でも...申し訳ないとはこれっぽっちも思わないね。あれだけの悪事を重ねているのは事実なんだから」
「そう...ですか」
部屋の扉を開け、里音は着ていたジャケットを脱ぐ。瑠衣はすぐそれを受け取り、ハンガーにかけた。
「もう、結構遅い時間だね。ほら、空が」
瑠衣の指さす方に、里音は視線を向ける。見たことの無い色の空。青と橙が混ざったような、「夕」と「夜」の境目のような、摩訶不思議な色合いだ。
「後は、ゆっくりしたらいいよ。里音の仕事はここまで、勿論僕もね。計画通りに行ったら、もう警察に追われることは無いだろう」
「やっぱり、そういう事ですか」
「うん、まあこの1週間のニュースをよく見ておこう」
瑠衣は着ている白いシャツに手をかけながら、風呂場に入っていった。取り残された里音は1人、ソファーに横になる。なんだか今日は、どっと疲れた。人の自殺を止めるなんて、本でも見たことがない。あんなに胸が鷲掴みにされるような、苦しい感情を抱くものなのかと、思い知らされたような気がした。普段は殺しを厭わない瑠衣だけれど...今日の姿を見ると、犯罪を犯す奴らの方が、よっぽど悪く思えてくる...いや、まただ。また、私は瑠衣を正当化しようとしてしまっている。里音はぽかぽかと頭を叩き、ごろんと仰向けになる。頭上のライトが暴力的に眼球に飛び込んでくる。
曲がりなりにも、彼は犯罪者だ。こんな悪知恵が働く人...勿論いい人だなとは思うけど、少しは警戒しておかないといけない。いや、でも...それを言ったら瑠衣さん、悲しんでいたし...、わたし、どうしたらいいんだろ...
「おやおや」
首にバスタオルをかけた瑠衣は、小さく寝息を立てる少女を見下ろし、思わず微笑みを浮かべた。時刻は午後7時。いつもに比べ、就寝にはだいぶ早い時間帯だ。
「今日は、疲れたもんねぇ。心身ともに」
優しく語りかけるように言うと、手近にあったブランケットをかける。胸まで伸びた髪が、艶やかに揺れた。そのすぐ隣に腰掛けて、瑠衣は彼女の寝顔を覗き込む。
泣いたかと思えば、すぐ怒ったり、笑ったり。コロコロと変わる表情に幼さを感じることもあるが、瑠衣はいつでも、彼女は大人に等しい、いや、それ以上の何かを持ち合わせていると思っていた。里音と同じように、瑠衣もまた、彼女を警戒していた。しかし始末することは、考えたことも無かった。理由は簡単、その頭脳を「瑠衣のためだけ」に使ってくれているからだ。
今回の1件だってそうだ。自分が升川に殺しを促したのも分かっていたし、それによって自分たちに与える影響も、全て理解したうえで、話を合わせてくれていた。殺人という名の心苦しさを必死に堪え、自分に従ってくれる。少し前まで文字も書けなかったとは到底信じ難い。
でも、これでようやく彼女は恐怖から解放される。升川は精神的に病んでおり、判断能力を失っていた。その状況であれを吹き込めば、高確率で彼は東京へと出向くだろう。勿論、署長を殺害するために。そこで彼は我に返り、気がつくと牢屋にいるのだろう。そうなればどうなるか。刑事はこちらの手内にある遼一に引き継がれ、捜査の指揮をするだろう。きっと彼のことだ、あえて無駄の多い捜査を指示し、迷宮入りとして扱われるまで、それを繰り返すだろう。そうなれば、こちらは完全勝利。ごちそうさまというわけだ。
しかし、気がかりなのは署長の事だ。岡瀬曰く、彼は腹裂きの刑吏の正体―つまり瑠衣の事を知っていることになる。ばれる前に、いち早く始末してもらわなければ。
…プルルルル、プルルルル、
「ん?」
固定電話が無機質な電子音を奏でる。迷惑電話ならお断りだが、と瑠衣はその番号を覗き、
絶句した。
下四桁が、0110。これは、警察でしか用いられていない番号だ。もしや、警察側に見抜かれてしまったのだろうか?一瞬、らしくない焦りを浮かべるも、次の瞬間には冷静さを取り戻し、その機械をじっと見下ろす。しばらく同じような音が繰り返されたのち、ぷつっと音が途切れる。次いで感情のない声が流れてくる。
「おかけになった電話は現在出ることができません。ピーとなったら、メッセージを録音してください」
電話は、切れない。瑠衣は口腔内に溜まった唾液をごくりと飲み下し、次に聞こえてくるであろう声に聴力を集中する。
ピー
「…やあ、瑠衣。久しぶりだね」
「!!」
それはいつぶりかに聞いた、包み込むような懐かしい声だった。
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