第14話 破裂決別

「うう…」


その場で崩れ落ちた那緒を抱え込むように父親、升川が支える。


「しっかりしろ」

「ごめんごめん」


座り直した那緒は升川を見上げ、軽く微笑む。

升川は立ち上がり、職員を見回し言った。


「那緒はこちらで保護する。留置所の一室を確保しろ。そして機動捜査隊を配置するんだ。那緒の言う男の捜索をする」

「あなた、勝手なことを…」

「了解しました!」


女刑事の言葉をかき消すように、部下たちは返事をして四方八方へと散っていく。

残された刑事を嘲笑うように一瞥し、升川は静かに去っていった。


「ちっ、調子に乗っちゃって」

「あんただろう?」

「は、なんですって?あなた自分の立場を」

「あーあ、都会の刑事は気が短いから困る」

「……!」


何も言い返せなくなる刑事。クスクスとざわめく取調室。


「那緒さんはこちらへ。升川刑事の指示で、警備の厳重なお部屋に案内します」

「パパ、やるな」


那緒は少し元気を取り戻したようで、比較的軽い足取りで部下の職員の後ろをついていった。その背中は年相応の、明るくしゃきっとしたものであった。











「瑠衣さん」

「ん?」

「趣味悪いです」

「そう?」


ホテルの一室で向き合い食事をとっている二人。

一人は落ち着きのある大人びた高校生、もう一人は髭を生やした長髪の男だ。


「それで行ったんですか、那緒さんのもとに」

「言うつもりはなかったんだけどね。…どうせ感づいてたんでしょ?」

「当たり前です。というか、もっとどうにかならないんですか。そのいかにも変装してますよ感溢れる変装」

「インパクトはあるだろう?どんな特徴よりも先に髭と髪が飛び込んでくる。それこそが狙いなんだけどね」

「狙い。…ああ、取り調べですか」

「ああ。もし彼女が僕を告発したとしたら、なんて伝えるか。『髭で長髪の男に脅されたんだぁー』だろうね、どうせ。その時点で僕はどう考えても外れるだろう。まあかなり強く口止めしておいたから、あくまでも念のためだけど」

「ほんとに、何したんですか?」

「内緒」

「ええ…」


頼むから暴力系ではありませんように、と里音は切に願う。

殺人犯ではあるが、同時に同い年の女の子でもあるのだ。少しは、同情の念も抱いてしまう。まあ結局はスタンガンだったわけだが。


「あ、瑠衣さんこれ」

「ん?ああ、ね」


2人が目をやるテレビの画面には、帰らぬ人となった女の写真が大きく載せられている。


―さて、今朝起こった殺人事件の新しい情報が入ってきました。被害者は16歳の少女、そして犯人も、同じく16歳の少女であることが鑑識鑑定により分かりました。警察は2人の人間関係にトラブルが生じたとして、調査を進めています―


「へえ、思ったより早かったね。流石、刑事の娘が絡むと違う」

「……」


瑠衣はいかにも皮肉っぽく呟き、笑う。

里音は少し怖かった。警察はなんでも調べきってしまいそうな、そんな気がしてならなかった。つまりいつかは瑠衣も捕まってしまいそうな予感が、里音に芽生えたというわけだ。


瑠衣はそんな里音に気付いて、そっと顔を覗き込む。


「…それでこっち見ないでもらえますか。外してください」

「ははっ、ごめんごめん」


付け髭を外し、いつもの瑠衣が現れる。

そういえば、と里音はふと思った。

感覚がマヒしているのか、殺人鬼相手に結構な物言いができているものだな、と。


それはある意味当然なのかもしれない。里音の前では、瑠衣は若くて賢いお医者様として毎日働いている。うわべは完璧だ。しかし見ていないところでは、瑠衣は残酷な「刑吏」と化していて、里音にはその事実だけが伝わる。実際に見るよりも、恐怖がだいぶ薄いのだ。それだとどうなるかというと、目で見ている姿、つまり医者として働くかっこいい瑠衣のイメージの方が、里音としては圧倒的に強いのだ。


「瑠衣さん」

「ん?」

「なんだか…瑠衣さんって、父親みたいです。みんなの思う普通の父親。なんだか、分かったような気がします」


格好良くて、勉強ができて、強くて面白い。そしてなんだかんだ、自分の事を一番に考えてくれている。そんな父親が、知らず知らず現れていたような気がした。

しかし、瑠衣から帰ってきた言葉は予想だにしないものだった。


「どちらかというと里音ちゃんでしょ、親は」

「へ?」

「だって僕、見ての通り子供っぽいよ?行動はきちんと考えてやってるつもりだけど、それ以外はただのクソガキ。僕からしたら、里音ちゃんの方がよっぽど大人びて見えるけどな」

「えーと…」


まさか立場逆転するとは思っていなかった里音は、もごもごと口を動かす。

瑠衣はフォークでケールのサラダをつつきながら、ふっと笑みを溢す。


「それに理想の父親はこんな事しないよ」


不意に出た瑠衣の一言が、里音の頭の中にずっと渦巻いていた。












「…なんで?」


那緒はその場で立ちすくんでいた。

留置所の小さな面会室。すぐ後ろには警察官の男が、早く行かんかとばかりに背中を軽く押す。


アクリル板を挟んで向かいにいる男は、那緒がこの姿を1番見せたくなかった人であった。

紳士らしい素振りで軽く手を振る彼は、いつもの爽やかな笑みを浮かべている。


「良かった、元気そうですね」


由愛佳の被害を受けてきた張本人で、那緒の密かな想い人、真壁宗也。

半ば強引に座らされた那緒は、目の前の彼から自然と顔を背けてしまう。見れない、私に少しでも幸せになる資格なんてない。


「那緒さん、もし機嫌を害してしまったのなら謝ります。きっと、元を辿ればそんなことをしてしまったのは、僕の責任ですから」

「……」

「ニュース見て、慌てて来たんです。那緒さんがもし心身追い詰められていたら、僕が話を聞いてあげたくて」

「…やめて」

「え?」

「これ以上は…」


顔を上げた那緒の頬には、数滴の涙が伝っていた。


「泣いちゃうから」

「……」


真壁は潤んだ那緒の目を、逸らすことなく見つめる。何もかも見透かしているのではないかと思えるその瞳は、澄んでいて美しいものであった。


「由愛佳さんのことは」


真壁は切り出す。


「私も面会の際に尋ねられました。ストーカー被害に遭っていた、と言うと、後で話を聞かせてほしいと」

「そうですか…」

「彼女に関しては僕の責任です。もっと早く被害届を出していれば彼女も死ぬことはなかったし、那緒ちゃんも逮捕されなかった」 

「もういいんです。これは私の責任です」


那緒はそこで初めて、真壁の顔を真っ直ぐ見た。どこまでも優しくてお人好し。そこが彼に惹かれたところでもあった。


「……」

「あ、ご、ごめんなさい。励ましてくれてるっていうのに」

「いえ。僕、待ってますから。きちんと罪を償って出てきてください。そしたらまた話しましょ、ね?」

「…はい。必ず、また会いましょう」


真壁さんはずるい。こんなに優しくて素敵な言葉をかけてくれるのは、あとにも先にもこの人しかいないのではないか、という気にもなった。

那緒はにっと歯を出して笑った。それは真壁にも負けないくらいの、爽やかなものだった。









夜が来た。

留置所の廊下の電気は消され、果てしない闇が続いている。一人、懐中電灯を握りしめた見張りの警官が視界を開くただひとつの手段であった。


「寝てるか?もう消灯だぞ」

そう、修学旅行の教師のように話しかけ、廊下を何度も往復する。もう慣れてしまっている被告たちは警官に背を向け、大きなイビキをたてている。

しかし、彼女は違った。

ちょこんとベッドの隅に座って、どこか遠くを見つめて固まっている。寝転がることもなく、ただじっとしていた。


「おいそこ、消灯過ぎてるぞ」

「るせーな」

「…はあ」


呆れたように溜め息をつく警官。そんな彼にもお構いなしに、那緒は起き上がったままの体勢で見つめている。


「父親に言ってもいいのか?留置所格下げになるぞ」

「いいさ、かかってこいよ」

「…やっぱり、君にはお仕置きが必要みたいだね」

「…!?」


急に、警官の声色が変わった。

いつかどこかで聞いたことのある、甘くて、恐ろしい声。

那緒は思わず立ち上がった。


「おまっ…」

「あれほど忠告しておいたのに、それはないでしょう」


帽子を脱いだ男を見て、那緒は唖然とした。

長髪。ちょび髭。細身で長身。


「あの時の!!どうやって」

「しっ。他の人が起きちゃいます」

「いいさ!なんだよお前、どうやって来たんだよ!」

「ここは警備が甘いのでね。あっさり入れてしまいましたよ」

「嘘だ!だってパパは、警備を厳重にしてくれるって…」

「警備を厳重にするためには、警官の量を増やすことが必須だ。大量の警官の中に紛れ込むなんて容易いことです」

「あ…」


気がつくと彼は独居内に侵入していて、那緒の目と鼻の先に顔を近づけていた。


「以前の約束、覚えてますよね?」

「え…?」

「忘れたとは言わせません。せっかくママさんの犯行の証拠を全て揉み消してあげたのに、残念です。早速、彼女の指紋のついた凶器を現場に投げておきました」

「そんな…」

「告発したあなたの責任ですよ?私のことを話さなければこんなことにはなっていなかった。違いますか?」

「…黙れ、このキモいサイコパスが」

「口答えはやめていただきたいものだね」


次の瞬間には、彼の右手が那緒の首をぎゅっと押し潰す。細身の男の力とは到底思えない。那緒はげほげほと咳き込み、しゃがみこんだ。


「僕は確かに言ったはずだ。『ママさんの犯行をなかったことにしてあげるから、岡瀬を襲うんだ、もし僕のことを話したらこの肺みたいにしてやる』ってね」


あの晩。ホテルの隅のベッドの上。

腐敗した肺が手のひらでプチンと弾ける様子が、那緒の頭にフラッシュバックする。

破裂。その二文字が浮かんだ。


「お、おまえ、まさか」

「わかったなら急いだ方がいいんじゃないですか?僕はこれにて失礼します」

「おい、待てよお前!」


必死に叫ぶ那緒を背に、瑠衣はゆったりと踵を返し、去っていく。


「わかった、わかったから!最後にこれだけは聞かせろ!」

「…ほお?」


興味津々の表情で瑠衣は振り返る。

見方を変えれば嘲笑、とも言えるだろう。


「お前、どうして私が殺ったって分かったんだよ?あいつを…由愛佳を!」

「ふふっ、この僕が付近の刑事を調べないとでも?あなたのことは既にここに来る前から目を付けていました。升川刑事の弱点として」

「じゃく、てん?」

「ええ。彼の唯一の家族は君だ。厄介な刑事だから、どうにかして彼の調査を早いとこ終わらせたくてね。そこで、君が現れるわけだよ。君は刑事の最愛の娘だったにも関わらず、そう名乗れないほどにやんちゃだった。ちょっとした喧嘩で家を飛び出すほどに」

「…!」

「だからいつか何かをしでかすだろうとは思っていたんだよ。まさかこんなにタイミング良くとは思っていなかったけどね。お陰で手間が省けたよ。…僕はね、本当は君に会うために東京に来たんだよ」


瑠衣の目的は岡瀬ではなかった。

那緒の何かしらの犯行を誘い、升川刑事に精神的ダメージを与えることによって、捜査を根本からストップさせることだったのだ。


那緒は絶句していた。

ヘラヘラしているようで、自分の目的を達成するためには手段は選ばない。これが本物の怖い人なのだ。そう確信した。


「じゃあ、なんで私に岡瀬を…」

「岡瀬?いやいや、襲う相手が誰だろうと、まず君を警察に引き渡す事が必要だったんだよ。岡瀬はぱっと思い付いた人を言ってみただけ。まあ彼女が死んだら署内大ダメージで、それはそれで良かったかもだけど」


彼は、人を人だと思っていないのか?

那緒は何も言えず、その場で固まってしまう。


「さて、僕は早く行かないといけない。可愛い助手が待ってるからね」

「助手…?おい、ちょ」

「助けを求めても無駄だよ。監視カメラの電源は切ってある。どうせここ一帯は吹っ飛んじゃうからね」

「やめろ、悪かった、やめろ…」


がしゃん、と鉄の扉の閉まる音が、辺り一面にこだました。

耳を澄ますと、チッ、チッ、と不吉な電子音が小さく響いている。やはり、仕掛けられているのだろう。

ここ一帯を「破裂」させる、爆弾が。


「っ…、殺人なんて…」

なんの得があったんだ。そう言っている時間なんてなかった。


刹那、所内が眩い光を帯びて散っていった。

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