第12話 代償の冤罪

「瑠衣さん!起きて、瑠衣さん!」

「…何?里音ちゃん。朝から騒がしい」

「こ、これ、見てくださいよ!」

「ん?」


次の日の朝の事だ。

渋々と体を起き上がらせた瑠衣は、里音の指差す方を見て思わず「おお」と声をあげた。


「これはいつの新聞かな?」

「今朝です。ホテルで売ってあるのに目が止まって、買ってきました」

「どれどれ」


『岡瀬弁護士 襲撃』

『高校生逮捕』


「…へえ、なかなか面白いね」

「面白い?」

「この子もやってくれたものだ」


瑠衣は布団から出ると、そのままテレビのリモコンに手を伸ばす。


―今日未明、弁護士の岡瀬清子さんが帰宅中、刃物を持った女性が襲撃しました。岡瀬さんは数ヶ所を刺されましたが、いずれも軽傷です。逮捕されたのは区内に住む升川那緒容疑者、16歳です―


「升川…?瑠衣さん、もしかしてこれって!」

「……」

「刑事の…娘?」

「この苗字は割と珍しいものだ。娘が確か16歳だったから、まず間違いないね」

「うそ、そんな」


里音は画面にへばりついて、ニュースに聞き入る。瑠衣は黙って新聞に目を通すと、ぺらり、とコラムを読み始めた。


「あんまり、驚いてないですね」

「うん、まあね」

「…昨日の夜、一体何をしていたのですか?」

「ナイショ」

「ええ…」


コンビニに行ってくる、と瑠衣は立ち上がり、部屋を出ていった。


「瑠衣さんのことです、何か裏で手を回していてもおかしくはない」


残された里音は右往左往しながら考える。

目線は常にテレビを向いて、状況を把握しようと努める。


―さあ、岡瀬弁護士襲撃事件ということですけれども。どのように…―


キャスターは画面の端にいるお笑いタレントにコメントを求める。彼は爪痕を残そうと茶化した感じで喋るが、面白くないし、不謹慎にも程がある。下手したら燃える。


この番組は元々岡瀬弁護士がコメンテーターとして出演していた。いなくなって初めて、彼女のコメント力がとんでもないものだったのだな、と里音は思った。出演者はたまったものじゃないだろうな、とも。


―岡瀬弁護士は病院に搬送され、軽傷だということです。警察は現行犯逮捕された少女に取り調べを進めていると―


現行犯逮捕。つまり犯行に及んだのはこの子で間違いなさそうだ。しかし、升川刑事と接触した翌朝にその娘が逮捕。偶然とは考えにくい。とするとやはり、瑠衣がそうなるように仕向けたのか?


「ただいまー」


瑠衣の声は耳に届かず、里音は考え込んでいた。








「ああ、こんなとこに。探したんですよ?」

「…放っておいてくれ」

「またそんなこと言って。らしくないです」


都内某警察署の屋上。

カラッと晴れた爽やかな空とは反して、目を腫らした茫然自失の刑事が、そこにはいた。


「俺だって空気くらいは読めますよ。でも上が、見てこい、いつ飛び降りるか分かったもんじゃないから、って」

「ははっ、大したブラックジョークだな」


死んだ魚の目をした升川は、小さく嘲笑を浮かべる。


「…俺があいつにとって役立たずだったから、かもな」

「そんなことないです。忙しくても時間を取っては遊びに行ってたじゃないすか」

「いや、中学に上がってからは放りっぱなしだ。あいつの反抗期がひどかったから、頭にきてな。出ていけ!と言ったら本当に出ていっちまったんだ。俺は俺でガキみたいに意地張って迎えに行かなくてな。…馬鹿野郎だな」

「そんなことがあったんですね」

「それに、カミさんも守ってやれなかった」

「奥様は…」

「死んだんだよ。10年前に事故で」


はっと息を呑む部下を横目に、升川は空を見上げる。青い空に溶け込むように雲が、マーブル模様に広がっていた。

部下はどうしたらいいのか分からず、しきりに足を動かし不規則なリズムを刻んでいる。

升川はジャケットを羽織り直し、振り向く。


「湿っぽい話をしたな。すまない」

「いや、」

「俺も取調室に行く」

「え、大丈夫ですか?」

「うるさい」


升川はポケットに両手を突っ込んだまま、扉の方に歩き始める。


「俺は娘が死ぬまでは死ねねえ」









「認めなさい。貴方しかいないの」

「だから違ぇつってんだろ!?」


呆れた女刑事の声と、少女の怒号が飛び交う取調室。窓の外で、冷たい視線で見張る職員たち。地獄絵図にも程がある。


「今しかないのよ。今認めたら罪が軽くなる。でもこれ以上否定したら、取り返しのつかないことになるのよ」

「なんだよ、脅す気か?」

「あなたが襲ったのは有名な弁護士様。起訴されるのは間違いないわ。それでも認めないつもり?」

「へっ、弁護士様ってか。馬鹿馬鹿しい」

「あなた、これ以上失礼な口を…」

「失礼します」

「…!!」


バタン、と大きな音を立てて入ってきた男。

女刑事は思わず立ち上がり、あり得ないという表情で男を睨む。


「あなた、ここは取調室です。関係者でないのなら、即座にお立ち退き下さい」

「いや、私はれっきとした関係者だよ。N市警察本部の升川だ。取り調べ役の交代申請をしに来た」

「…パパ?」

「へえ。そういうことですか」


女刑事はチラチラと2人を交互に見て、不愉快そうにフンと鼻を鳴らす。


「身内なら尚更です。出ていきなさい」

「私は取り調べ役として来ている。この事件の初動刑事でもあるんだ」

「私情を持ち込むに決まっています」

「なんだと?」

「ちょ、ちょちょ刑事!」


追いかけるように飛び込んできた部下の男が、殴りかかる寸前の升川の肩を掴む。


「落ち着いてください刑事!そもそも急に取調室に乱入するなんてどうかしてますよ!」

「…部下の方はまともなようね。まあ田舎者の刑事ってそういうものかしら」

「うるさい!」


まあまあと宥める部下を振り払い、升川は女刑事の胸ぐらを掴む。女は表情ひとつ変えず、ただ冷ややかな目で升川を見上げる。


「…随分な度胸ですね。沢山の職員が見ているというのに」

「父親の俺ならお前以上に那緒の言葉を引き出せる。その自信があるだけだ」

「ふふっ、どうだか」

「馬鹿にするな!」

「もうやめて!!」


ガタッ、と音を立てて少女は立ち上がった。

升川は我に返って、手を静かに離す。


しばらく、重い沈黙が続いた。


「…パパ、私、もう嘘つきたくないんだよ。でも、怖いんだ」

「嘘、か」

「あ、あなたちょっと…」


女刑事を押しのけ、升川は那緒に向かい合って座る。ムッと顔を顰めどけようとするが隣の補助員がそれを止め、小声で囁く。


「彼の言う通り、1度任せてみた方がいい」

「でも、」

「真実のためだ」

「……」


升川は猫背の背筋を伸ばし、那緒の目を真っ直ぐに見つめる。那緒はそれに答えるように見つめ返す。もう最初の怖気はどこにもない。


「…久しぶりだな」

「うん」


弾まない会話。当たり前だけれど、空気はどうやら伝染するようで、職員も女刑事も、若干ぎくしゃくとした雰囲気を纏う。


「パパは変わらないな」

「それを言うならお前はだいぶ変わったな」

「ピアスははしたないとか、また言うつもり?」

「言わないさ。俺には父親の資格はないんだからな」

「…そっか」


那緒はどこか寂しそうな表情を浮かべる。

升川は心臓が粉砕してしまうのではないかという感情をぐっと堪え、再び口を開く。


「いいか。今からは『刑事』としての質問だ。正直に答えろ。嘘はつくな」

「…ああ」

「まず、岡瀬弁護士を襲ったのはお前か」

「襲ったのは、私です」


女刑事は、はっ、と顔を上げた。

先程まで散々「やっていない」と叫んでいた少女が、あっさりと自白したのだ。

やはりこれが父親の力なのか?


「なぜ襲った。関係性はないはずだ」

「私はな…、襲いはしたけど自分自身の意思じゃないんだよ」

「どういうことだ」

「…もう、嘘はつかないよ」


那緒は机を強く叩き、言った。


「男に指示されたんだ!背が高くって、長髪で、ちょび髭の気持ちわりぃ男にな!」

「なんだと…?」


空間を震わせる鉄の音。

そんなことは気にならないくらいに、全員の視線は那緒に集中していた。

奈緒は怒りの中にどこか勝ち誇ったような表情を浮かべて、座る大人たちを見下ろす。


「あいつには口止めされてたさ。でもな、もう嘘はつけねぇ。私はその男に犯行を指示されたんだ!」

「…それは本当なんだな」

「ああそうさ!パパ頼む、そいつを見つけてくれ!」


必死の形相で、那緒は叫ぶ。彼女の脳裏に、昨晩の忌々しい記憶が次々と蘇ってきていた。

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