第11話 分身
東京の薄汚い路地裏。華やかな外観とは真逆で、こういうところは常に闇が影を落としている。そこに一人、若い女が倒れていた。
手足の関節は逆向きにひん曲げられ、胴体は醜く潰れ、血溜まりを作っている。可愛らしいその顔は、今や恐怖に歪み、白目を向いて固まっていた。
そこにしゃがみこむ、カーキ色のコートを羽織った男。
「身元の特定はできたか」
「まだです」
「内臓は、持ち去られているんだな」
「はい…これで71人目です」
「畜生」
男―升川は立ち上がり、部下たちを見回し口を開いた。
「ついに、奴を東京まで出してしまった。こうなると、放っておいたら何人が犠牲になるか分かったもんじゃない。これ以上事が大きくなる前に犯人逮捕に努めるように。いいな」
「はっ」
部下たちは敬礼をし、それぞれの役目に散っていく。
「…そういやあの探偵、奢らせておいて放っていったが大丈夫だろうか」
升川はぼそりと、そう呟いた。
「なんでよりによってここに…」
ぶすっと頬を膨らませる里音。
周りにはネオン調のポップ広告と、空気の読めないやたら陽気な音楽が響いている。
里音は何故かそこに一人、買い物かごを提げて歩いていた。
あんなことの後なのに、なぜわざわざお使いに行かせるのやら。
しかも品物は、付け髭にロングのウィッグ、それに黒のロゴパーカー。ふざけているとしか思えない。
「というかあれ…どういうことなのかな」
あれ、というのはもちろん、先程の電話だ。
今日一日を通して瑠衣は里音のもとを離れていないし、「琥珀」で席を外していたわけでもない。人を殺せる隙なんて無い―つまり、彼のアリバイは完璧だ。
しかし、今回事件は起こった。よりによって、瑠衣が東京に来たタイミングで。
ならば今回の犯行は、いったい誰が行ったのだろう。里音はうーんと首を捻る。
「あ、お願いします」
「かしこまりました。…はい、計4点で、5320円になります」
「現金で」
「はい、確かに頂戴いたしました。ありがとうございます」
ビニール袋を両手に持ち、里音は店を出た。
まっすぐ歩き、3つ目の角を右に曲がり、その先の階段を下る。
だれもいない、元・バーの建物。防犯カメラの死角にあるそこに、里音はひょいと忍び込む。
「買ってきましたよ」
「…、……」
「はい、分かりました」
待機していた「彼」はビニール袋と小銭を預かると、店の影へと消えていった。
「本当に、よくわからない人です…」
ここで待っていて、とだけ里音に伝え、彼はこの場を去った。一体何をするつもりなのか。まず、今回の殺人犯は彼なのか。東京は、いろんな意味で分からないことだらけだ。里音はそばの柱にもたれかかり、ただ彼の帰りを待った。
東京の都心。スクランブル交差点。
人の流れに逆行して走る人影があった。
派手なウルフカットの髪と、ジャラジャラとしたピアス。
威圧感のある見た目と反してかなりの小柄で、人々の間をいとも簡単に通っていた。
歯を食いしばり、汗を流し、交差点をようやく突破する…
「すみません」
「…!?」
がしっ、と強い力で肩を掴まれる。はっと振り返ったその女は、目をかっと見開き、驚いているというより怯えているような素振りを見せる。
「…な、何だよお前。馴れ馴れしく」
「すみません、そういうつもりはなくて」
「気持ちわりぃな」
女は人込みの中にも関わらず立ち止まり、交差点の中に小さな中洲が発生する。
肩を掴んだ男は長い髪を束ねて、口髭を濃く生やしていた。被っているパーカーのフードが、彼の怪しさを増強させている。見た目からして、自分は不審者ですと名乗っているようなものだ。
「一つ聞きたいことがありまして」
「…んだよ」
「あなたの…」
急に、男の顔が接近する。男は耳元に口を寄せ、小さく囁いた。
「上着のポケットにあるものが、どうしても気になりまして」
「!?」
女は真っ青になって、固まった。
それと同時に、彼女の緑色のジャケットに何かが赤く滲む。
「それです」
「あ…どうし、て?」
「あなたから何かを感じまして。さあ、ここで叫ばれたくないなら、私と来るのです。さあ、早く」
「え、や…」
抵抗のできなくなった女の腕を掴み、ぐいぐいと来た道を戻される。
何をされるかわからない、という恐怖が彼女の胸の中に渦巻く。
見上げたところにある男の顔は怪しくにやついている。
気色悪い。逃げないと。でも逃げたら、さっきの事が…。
「警察に行っても無駄ですよ」
男はそう言い、乾いた笑い声をあげた。
「遅いですね…」
里音は柱にもたれ座っていた。防犯カメラの視線がないそこは、無法地帯。加えて元々バーを経営していた場所ということもあって、割れたグラスがあちこちに散乱していた。
その一つを手に取り、蛍光灯にかざしてみる。反射で虹色に輝くそれは、今の里音の気持ちとは真逆だった。
どうして、ここで待ってしまっているのだろう、という感情が、ふいに湧いてきた。
彼が私を住まわせてくれてるから?いや、何か違う気がする。
するとつるっ、と手が滑って、鋭い破片の先が里音の指をかすれた。
「っ…」
赤い血が、指の腹から垂れていく。
血を口に含んだ瑠衣の顔が横切る。帰ってくるのが待ち遠しくてならない。
せめて、何をするのかくらい教えてくれたらいいのに。
里音は溢れる血をペロッと舐め、星の見えない空を見上げた。
「ああああぁぁぁあっっ!!」
「…いい声だよ。もっと聞かせて」
「やめて、やめて…」
カチ。
「やあああっ!」
裸で両手足を縛られ、じたばたとのたうち回る女。バチッと不吉な音を立てるスタンガン。何をされているかはご想像にお任せする。
暗い照明の部屋で、男は手にしたそれをカチカチやっては、声を上げて笑っていた。
「…さあ、そろそろ認める?君がやったんだよね」
「はあ、はあ…。マジ、キモイよ、あんた…」
「こんなものを隠し持っていた君よりはマシじゃない?」
彼の右手には既に腐敗が進んでいる肺の一片。
何も言い返せない女は、黙って俯く。
「にしてもよく全部上着に入ったね。私はキャリーケースがないと持ち運べない」
「え…?」
「どういうこと、って思ったりして」
「あんた…やったことあんの?腹裂きの刑吏の、マネ…」
「真似も何も、本人だからね」
「は…?」
唖然と見つめる女を横目に、男はフードを取った。
「どうも、『腹裂きの刑吏』でございます」
「な、なに?アタシが信じるとでも…」
「はい」
スマホの画面を見せる男。女は息を呑んだ。
眼球の外れた男。泡を吹いて顔が潰れている女。
「70人分、全てあるよ。もっと見る?」
「やだ、お、おぇ…」
「どうしたの?人一人殺しておいて、随分弱いね」
嘔吐した女を知らんぷりし、男――変装した瑠衣は、どんどんスクロールしていく。
「あんた、本物なの…?」
「だから、そう言ってるじゃない。やっと信じてくれる?」
「し、信じるよ、だから頼む、これを…」
カチ。
「ん゛っ!!」
「態度がなってないね」
「ご、ごめんなさい…」
「あの少女を殺したのは、君だね?」
「はい」
「……」
瑠衣は黙ってスタンガンをポケットにしまう。彼女の両目から涙が零れる。
「うーん、そうだなあ。君にはいくつかやってほしいことがあるんだ。それをしてくれたら、ご褒美に君を解放してあげるよ。でももし逃げたり従わなかったりしたら、その時は君の内臓をくりぬいて、こんなにしてあげる」
瑠衣は手にした肺を強く握りしめる。腐ってもろくなっていたそれは、いとも簡単に弾けてしまった。見たことのない液体が、彼の掌で暴れる。
女は、声が出ない。
「こんなに違う、とは聞いていたけど、そう意味だったのか…」
「え…」
「まあ、それは良い。どうするの?」
見開いた目が、女は赤黒い血の色を宿したような気がした。
もしかして、元々私を知っていた…?
「…従います、だから、助けて、ください…」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を瑠衣に向け、嗚咽しながら言った。
「里音ちゃん」
「…ん」
「ただいま」
どのくらい経ったのだろう。
里音は眠い目を擦り、声のするほうを見上げる。パーカー姿の瑠衣だった。
「お帰りなさい、瑠衣さん」
「さあ、用は済んだ。帰ろうか」
「はい」
先程とは打って変わって、甘く優しい声。
里音は自然と微笑んで、瑠衣の手を掴む。
もう既に、日の出の時刻が近づいていた。
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