第10話 探偵×刑事

区内の歓楽街のど真ん中。大都会、加えて夜というのもあって、人の群れが視界いっぱいに広がっている。

その一角にひっそりと佇む、小さな和食店。こんなに人がいるのにも関わらず、そこだけは妙にがらんとしている。


「いらっしゃい」

「どうも。予約の佐久野です」

「佐久野さん、ですね。どうぞ入ってください」


着物を身にまとった女性が中へと案内する。

この店、「琥珀」は完全予約制、全室個室の高級和食店だ。今回のように、高所得者が密談をするのにはうってつけの場所。


「えーと、9時集合だっけ」

「ほんとに、大丈夫なんですか?」

「ん、何が?」

「あの人、刑事さんなんですよ?ばれたら逮捕されてしまいます」

「ばれないよ。僕らが『はいやりました』って言わない限りは」

「うーん、でもさすがに緊張しちゃいます」

「大丈夫だいじょーぶ」


里音と瑠衣は「一樹」と「沙月」の皮を被り、先を行く女に聞こえないよう小声で話していた。


「こちらになります」

「後でもう一人来るので」

「かしこまりました」


女は礼儀正しくお辞儀をし、障子を閉めた。  


たかが三人だというのに、案内された部屋はだだっ広く、畳をいくつかもてあそんでしまうほどであった。

木製の机のサイドに整列した座布団に、二人はよいしょと腰を下ろす。


「…あー、楽しみ」

「何がですか」

「そりゃ、僕を追ってる刑事さまとお話することでしょ」

「もうほんと、わかんないです」

「いいよ別に」


瑠衣は話し方こそ朗らかだが、どこか冷たいものがあった。血に染まった瑠衣が頭をよぎり、里音は慌てて振り払う。


「失礼します、お連れ様でございます」

「ああ、はい」


そんな話をしている間に、連れのお出ましのようだ。障子がゆっくりと開き、どうにも落ち着かない様子の升川が入場する。


「どうも、今日は来てくださりありがとう」

「お、おお」

「さあ、お座りください」


向かいの席を手で示し、瑠衣は言う。

升川は黒いオフィスバッグを片手に、そこにどっかりと座る。


「ここ、君が取ったのか?」

「はい。おでんが有名な和食やさんです」

「見るからに高そうだな。割り勘しようか」

「いえ、遠慮は要りません。無理に計画してしまったのは僕の方ですし」

「そうか。うーむ、まだ若いのになあ…」


何も知らない升川は考え込むように顎を触る。まさか自分より年収が高いなど、夢にも思っていないだろう。

瑠衣は余裕ありげにささっと髪を撫でる仕草をして、升川に向き直った。


「おでんの懐石コースを三人分予約していたので、じきに届くと思います。話はそれからにしましょう」





「…さて、本題に入りましょう」


大きな机いっぱいの鮮やかな料理たちを前に、瑠衣は切り出した。


「改めまして、僕たちは千葉の方の探偵、佐久野一樹と」

「助手の山田沙月と申します」

「君、助手なのか。学生のように見えるが」

「えーと…」

「実際、彼女は16歳の高校生です。お小遣いがないというので、雇ってあげているんです」

「ふーん、で、探偵の助手か。えらく物好きだな。うちの娘も同じ年だが、ここまで違うものか」

「まあ、そんなことはいいじゃありませんか」


瑠衣の眉がぴくっ、と動いたのを、里音は見逃さない。

気を取り直して、と瑠衣はぽんと手をたたく。


「さて、僕たちは今まで調べてきた資料を全てコピーし、持ってきました」

「ほお、どれどれ」

「これです」


瑠衣は鞄から大量の紙の束を取り出し、升川に渡した。


「まずネット上で囁かれていることは、ざっくりと申し上げますと、岡瀬弁護士と警察との裏の繋がりです。…どうです、そこに関しては」

「異論はないな」

「やはりそうですか」


瑠衣はメモを取り出し、さくさくと書き綴っていく。


「ちなみに詳しく言いますと、岡瀬弁護士が警察の捜査を全て取り仕切っている、とかなんとか」

「全てお見通しって訳だな。全く、どこから漏れてるんだか」

「というと、やはり?」

「ああ、全て本当だ。…腹裂きの刑吏の事件、知ってるよな?」

「ええ、もちろん」

「その捜査にしゃしゃり出てきやがるんだ」


升川は大根を頬張りながら、うんうんと頷く。玉子を飲み込んだ里音は、升川の方を向いた。


「升川さん、ずっと気になっていたことなんですけど」

「ん?」

「弁護士って、普通は捜査を仕切ることはできないんですか?」

「当たり前だろう。百歩譲って独自調査なら許可するが、指揮するとなるとそれなりの権力者ではないと出来ない」

「岡瀬弁護士って、権力者なんですか?」

「君たち、ここは知らないのか。岡瀬の野郎はな、N市警察署の署長の娘なんだよ」

「えっ」


里音は言葉を失った。

隣を見ると、そこには「だろうな」と言わんばかりの瑠衣。


「結婚して名字が変わったし、上京して今はここに立派な事務所構えてっからな。あいつの旧姓は神戸だ。」

「署長と、同じ名字ですね。」

「そういうこともあって、この事実を知っているのは岡瀬自身と俺だけだ。絶対言いふらすんじゃないぞ。」

「だからこの店を取ったんじゃないですか。…まあそんなことより、どうやって部下に指示をしているのかが、個人的には気になるところです」

「簡単なことだ。俺が岡瀬から指示を聞き、あたかも俺が考えたかのように部下にそれを伝える」

「ではなぜ、あなたは岡瀬弁護士に対してご立腹なのでしょう?彼女は優秀な弁護士だ。その彼女が捜査の手伝いをしてくれて、しかもそのアイデアを自分のものにできるだなんて、あなたにとってはいいことづくしだとおもうのですが」

「真面目に手伝っているのなら、こんなに腹を立てちゃいねえよ。…最初は良かったんだがな、次第に指示はおかしくなっていったんだよ」

「ほお、例えば?」

「今朝言われたのはな。『犯人への銃撃を許可するから、署の安全を最優先に警備を厳重にしろ』だ。わざわざ東京に来させておいて親孝行の手伝い?そんな自分勝手な指示あるか?しかもこれが俺の案として部下に知られるわけだから、たまったもんじゃない」

「それは…確かに迷惑ですね。近隣住民を最優先にすべきです」

「だよなあ、まったく…」


升川がちくわぶをかじったところで、軽快な電子音が流れてきた。和食屋の厳しい雰囲気とは真逆の、バンド音楽。


「おお、失礼。電話だ」


升川は今どき珍しいガラケーを開き、通話ボタンを押した。


「はいもしもし。…ああ、岡瀬弁護士殿!どうかなさいましたか?…ええ、東京でも!?そうですか、ついに県外に出してしまいましたか。…手口は同じですか。分かりました、部下を連れて今すぐ参ります。では、失礼しますー…」


小さな空間が、先程とは違う空気を帯びた。

里音は事を悟り、ばっと瑠衣の方を向く。

ガラケーを勢いよく閉じ、升川は舌打ちする。


「東京でも腹裂きの刑吏が出現した。内蔵がくり抜かれた死体が発見されたそうだ」

「え?」

「…へえ、それはそれは」

「すまないが、話はここまでだ。礼を言うよ」

「いえ、こちらこそ…」


瑠衣の顔が、怪しく歪んだ。

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