第9話 いざ首都へ

「瑠衣さん?」

「ん?」

「ほんとに行くつもりなんですか?」

「当たり前じゃん」

「ひええ…」


黒いミニバンに揺られ、里音はうなだれていた。

高速道路のど真ん中。行きつく先は関東地方。

そう、首都東京である。


「というか、瑠衣さん車運転できたんですね」

「免許取ってて損はないからね、18歳の時に」

「早いですね。」

「そう?」


口ではそういいながらも、顔は得意げだ。

車内にはずっと、聞いたことのないクラシック音楽が流れている。

まだ若い里音は、永遠に子守唄を聞かされている気分だ。


「にしても瑠衣さん、どんだけかかるんですか…。私、もう眠いです」

「寝ておいていいよ。あと6時間は走るから」

「ええ?出発してからどれくらい経ってます?」

「4時間」

「計10時間…。飛行機で行った方が良かったですね」

「里音ちゃんが戸籍持ってないから無理だね」

「うう…」


里音は顔を覆う。

瑠衣は唐突に「岡瀬を始末する」と宣言して、その日のうちに車を出したのだ。里音は訳の分からぬまま、10時間のドライブに付き合わされているというわけである。

「思い立ったらすぐ行動」も、ここまで来ると迷惑だ。


「じゃあ、寝ときますね、私」

「はいはい、おやすみ」


瑠衣はちらりと里音を見て、微笑みを浮かべた。

助手席に座る里音は、それから顔を背けるように横向きになる。


「椅子倒す?」

「大丈夫です」


里音は、クラシックの力もあってか、そのあとすぐ眠りについた。



「…やれやれ」


残された瑠衣は、音楽のリズムに乗りながら車を進めていった。

すっかり眠ってしまった里音はすーすーと可愛らしい寝息を立てている。

車は一台二台と数が増えていき、渋滞と化していた。

ブレーキを踏ん張り、車を止める。

少し考えた後、瑠衣は里音の耳元に近づき、囁いた。


「やっぱり僕の思い通りだったね、里音ちゃん」








結局高速を降りたのは翌朝だった。

運転を続ける瑠衣の横で、開かない目を擦る里音。


「おはよう。よく眠れた?」

「少なくとも快眠ではありませんでした」


いつになく不機嫌だ。まあ2日振り回されているのだ、当たり前だろう。

そんな里音にも、瑠衣は笑って受け流す。

ただ少しは考えているのか、はたまた偶然なのか、曲目はグリーグの「朝」だ。


「瑠衣さんは、眠くないんですか?」

「別に?一週間くらいなら、寝なくても支障は出ないからなあ」

「…超人過ぎて怖いです」

「よく言われる」


確かに瑠衣は一晩中運転していたにも関わらず、クマ一つ作らずピンピンしている。

どこまで来たかと里音は窓の外を向いて、愕然とした。


「ここ、外国ですか…?」

「車で外国には行けないよ」

「ひええ…」


四方八方が高層ビルに囲まれた道路。華やかに装飾された町。自分の県から出たことのなかった里音にとっては、それは確かに「外国」であった。


「眠ってる間に、こんなところに来てしまったんですね。寝ずに景色の変化を眺めておくべきでした…」

「帰りに見とけばいいよ。ほら、もう駐車場つくから用意して」

「はい!」


ちょっと前までむくれていた里音も、この景色を前に笑顔を溢し、荷物をまとめ始める。例の大きなキャリーケースと、買ってもらったベージュのボストンバッグ。中には大量の生活用品が詰まっている。

バンは曲がった先のスロープを下り、地下に入る。

黄色いキャップを被った男が、愛想悪く二人を迎える。


「…どのくらいの貸し出しでしょう」

「一週間っていけます?」

「一週間ですか…一週間!?」

「お金は出します」

「えー、いくら?」

「うーん、5万くらいでどう?」

「5万!?大歓迎だよ、さーさー好きなとこ止めてってください!」


瑠衣の差し出した5枚の紙幣をひったくるように取り上げ、渾身の営業スマイルで二人を通す。財力を行使するあたり、なんとも瑠衣らしい。


「流石ですね」

「いや、相手が馬鹿で助かったよ」

「え?」

「スタッフに勝手なことされて一週間も居座られたら、運営側が黙っちゃいないだろう。彼はたちまちクビ、ひと月たてばお金はむしろマイナスだよ」

「恐ろしい人です」

「誉め言葉として受け取っておくよ」


医者の頭脳をこんなところで使うあたり、なんとも瑠衣らしい。







S区の高層ビル。

見上げると首が外れてしまいそうなほどに高く、空に向かって伸びている。

賢い子供なら迷わず「ジャックと豆の木」を連想するだろう。


荷物は既に滞在先のホテルに預けてきており、持っているのは財布と携帯のみ。

自動ドアをくぐり、フロアガイドを一瞥する。12階が彼女の居場所…岡瀬法律事務所だ。


「…まずは下見ですか、瑠衣さん」

「まあそんなとこかな。里音ちゃん、ボタン押して」

「はい」


エスカレーターの、上向きの矢印のボタンを押す。

上の数字がピカ、ピカと点滅して下りてくる。


―一階です。ドアが開きます。―


いざ乗り込もうと一歩踏み出した時、


「ちぃっ、あのゲスい弁護士め!」

「わっ」


物凄い剣幕で、中から男が出てきた。

ずかずかと大股で、二人の間に割り込んで歩み去っていく。

かと思うと急に、こちらの方を振り返った。


「おい、君たち」

「僕らの事ですか」

「決まってるだろう」

「何用で?」


すました笑みで瑠衣は首を傾げる。腹立たしいほどに男前だ。

苦虫を噛み潰したような顔をして、男は言う。


「まさか、岡瀬弁護士のもとへ行くつもりじゃあないだろうな」

「おお、よく分かりましたね」

「…やめておけ」

「はい?」

「どうしてですか?」


耐えきれず、里音は尋ねる。

男は里音をちらりと見ると、フンと鼻を鳴らし、瑠衣の方に視線を戻す。


「俺もさっきその女に会って来たんだ。そしたらもう、テレビの出演が増えて有頂天になってやがった。おおかた依頼に来たんだろうが、今年は一杯であっちからしたら順風満帆だ。ちっ、ちょっと権力を持っているだけで偉そうに…」

「待ってください、どういう意味です?」


瑠衣は男に詰め寄るように近づく。エレベーターはとっくに閉まっている。


「おい、どうして君たちなんかに」

「僕ら、千葉の方で探偵をやっているんです」

「…探偵?」

「はい」


里音は思わず瑠衣を二度見した。

自分たちは探偵ではない。千葉じゃなくて、東北の人間だ。

となると、もしや瑠衣は…。


「今日こちらにうかがわせてもらったのは、巷で流れている『ある噂』を耳にして、それの真偽を確かめるためです」

「噂、とは?」

「あなたがたった今仰ろうとしていたことですよ」

「たった今って、お前まさか」

「そうだ、情報交換しましょう。あなた相当彼女を憎く思っているようなのでね。僕たちが噂の詳細を教えて差し上げます。その代わり、あなたが彼女について知っていることを打ち明けてください」

「……」

「断る理由はなにもないでしょう?はい、握手。僕、佐久野一樹と申します」

「えっと、助手のや、山田沙月です」


一樹と沙月(仮名)から差し出された手を睨みつけ、男はまた、舌打ちをする。

そして渋々と言わんばかりに、一樹の手を握った。


「…負けたよ。俺はN市警察の升川基文だ」

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