第7話 生きるためには

おぼろげに視界に映る光。


「…ん」


見覚えのあるシャンデリアが、徐々に露わになっていく。

やがて、視界がクリアになった。


「おはよう」


聞き覚えのある声。

ソファから起き上がった里音は、時計を見た。

針は9時を指している。どうやら相当長い時間気を失っていたらしい。


台所で作業をする瑠衣に先程の雰囲気はなく、呑気に鼻歌を歌っていた。

返り血を浴びていた白シャツも、今は黒いパーカーに着替えられている。


「あの、瑠衣さん…」

「さっきはごめんね。驚かせちゃったみたいで」

「あ、いや、大丈夫です」

「あったかいもの作ってるから、ゆっくりしておいて」

「はい」


そうは言うものの、里音は落ち着かずにそわそわと体を動かす。

何かしようと、手元のリモコンでテレビを点ける。


《今日の昼すぎ、N市のA商店街で男女8人が殺害される事件がありました。遺体からはいずれも内臓が検出されず、警察は連続殺人犯の犯行として…》


ピッ。

最悪なデジャヴだ。


「お腹すいてる?」

「いや、あまり…」

「じゃあ少なめによそっておくね」

「ありがとうございます」


瑠衣は聞いていなかったのか、聞こえないふりをしたのか、至って平然としている。

スープ皿に盛りつけられたシチューを手渡して、瑠衣は里音の隣に座る。

そして何を思ったのか、再びテレビを点ける。


「え、ちょ…」

「いいじゃん」


《…はい、ということで。今巷を騒がせている連続殺人犯ですが、ネット上では呼び名があるそうです。という事で今日は刑事事件のプロ、岡瀬弁護士にきていただきました。》

《よろしくお願いします。》


「岡瀬…ね。」

「え?」

「いや。」


瑠衣は言葉を濁し、シチューを一口すする。

画面に出てきた中年女性は、カメラに丁寧にお辞儀をする。

眼鏡にパキッとスーツを着ていて、見るからに「デキる人」だ。


《さて、岡瀬弁護士。彼には呼び名があるそうですが…》

《はい。彼は遺体の内臓を一つ残らず持ち去ってしまう事から「腹裂きの刑吏」と呼ばれています。》

《腹裂きの刑吏、ですか。》

《はい。古代ギリシャやローマで行われていた死刑の一つに、腹裂きの刑というものがありまして。そこから名付けられています。》


「へえ。なかなかイケてるじゃん」

完全に他人事の瑠衣。


「瑠衣さん」

「ん?」

「あの時…」

「ああ、びっくりしたでしょ。あんな量の血、見る機会ないもんね」

「はい。私、そのあと気を失っちゃって…。瑠衣さんが、運んできてくれたんですよね?」

「うん」

「その…。ありがとうございます」

「お礼を言わなきゃならないのは僕の方だよ」

「え?」

「あんな状態で、残っててくれてありがとう」

「あ…」


里音は思い出した。

もう、自分の生活は決してしまったのだ。それを決めたのは他でもない、自分だ。

これからは殺人鬼と、実験台として過ごしていくことになる。しかしどういうわけか、後悔はなかった。


「これからよろしくね」

「…はい」


もう手錠は必要なかった。







一週間がたった。

瑠衣との生活は思いのほか厳しく、充実していた。


「もうちょっと。我慢して」

「…ん…あっ、痛…」


右手首は台の上に、左手はじたばたさせて、里音は必死に悲鳴をこらえる。

横線に引かれた切り傷から、鮮やかな血が滴っていく。


「手首を切ると死ぬっていうのはね。実は半分嘘なんだ。スッて切るだけじゃあ太い血管には届かない。突き刺さないと厳しいものがある。そういう事だよ」

「瑠衣さん、痛い…」

「おお、ごめん。ちょっと待って」

「ちょ、何を…」


瑠衣は里音の傷口をぺろりと舐めた。里音の血をわずかに口に含み、微笑みを浮かべる。ゾクゾクッとした刺激が里音を襲う。一週間で初めての出来事だ。


「…ヘンタイですよ、瑠衣さん」

「おっと、いつの間にそんな言葉を覚えたの?」


あはっ、と笑いながら、瑠衣は傷口をガーゼで覆う。そして器用に止血を終え、絆創膏を貼った。ここに関しては流石医者と言ったところか。


「さあ、今日はここまで。勉強をしようか」

「はい」


捲り上げた袖を戻しながら、里音は考える。

一週間実験台の役目は果たしているものの、これは本当に役立っているのだろうか?

切り傷、火傷を何か所も作られているだけで、何が進歩しているのか、里音にはさっぱりだ。


だが瑠衣の事だ。何か考えがあるのだろう。理解はできないけど。というか、この殺人鬼が理解できた時点で、私もどうかしている。

里音は図鑑とノートを取り出す。


里音は賢かった。

この期間だけで辞書全ての言葉を習得し、図鑑の意味も完全に理解できていた。

知識量は年相応どころか、大人をも超えているかもしれない。

ノートに鉛筆を滑らせ、図鑑をぺらぺらとめくり、写真をじっくりと眺める。


「瑠衣さん」

「ん?」

「どうして蚊に刺されると痒くなるんですか?」

「蚊って、人の皮膚を刺して血を吸うでしょ?その時に蚊の唾液が皮膚に入って、アレルギー反応を出すんだ。だから痒くなる」

「なるほど。流石お医者様です」


里音はその場でノートに書き留める。

生まれ持った頭脳と、努力ができる真面目な性格。おまけに容姿にも恵まれている。

完全無欠とは、まさにこのことであった。


「じゃあ、仕事に行ってくるよ。何かあったら電話して」

「はい。いってらっしゃいませ」


里音はお辞儀をして、微笑んだ。

今では瑠衣に忠誠心すら抱いている里音。命の恩人であるのは確かであるので、まあ必然と言っちゃ必然なのかもしれない。


い‐しゃ

【医者】

病気の診察・治療を職業とする人。医師。


このページを見ては、にやにやとしていたものだった。






「まだ、犯人は見つからないのか?」


N市のアパートの一室。黄色いテープを引かれた部屋の中で、男が一人、いらいらと頭を掻きむしっていた。


「ですが、刑事。証拠になるものが何一つ…」

「何一つないわけないだろう!…ちっ、野郎め」


升川基文。職業、N市警察本部刑事課巡査部長。

今回の連続殺人事件の担当刑事だ。


「調査を続けろ。すでに70人死んでるんだ。これ以上死なせてたまるか!」

「はっ」


彼はどんな事件も100日以内に解決させる刑事として、警察界隈ではちょっとした有名人である。

だがしかし、今回の事件に関しては、発生から半年がたつ今日も未だに証拠がつかめないままであった。


「刑事。何か気づいたことなどありますか?」

「気づいたこと、か。こんなに証拠不足なのにか?」

「し、失礼しました」

「…俺はな、この夫婦に子供がいると考えている」

「え、何故です?」

「住民から話を聞いたところ、男の方は毎日のようにギャンブルに明け暮れ、一方で女の方はアル中で、よく夫以外の男を連れ込んでいたらしい」

「はあ」

「となると、お互い家事も何もできそうにない。なのに家には丁寧に洗濯物が干されていた。つまり、家事をこなしてくれる者が一人いた。それは彼らの子供で、家事をやらされていた。そういう推測だ」

「おお…流石刑事です!」

「たかが推測で褒められても困るわ」


升川は再び、現場を見渡す。人型の白線が、どこか切ない。

ふと、升川は足もとに違和感を覚えた。


「…刑事?なに足踏みしてるんです?」

「ここのところ…何か変だぞ」

「え?」


升川はしゃがみ込んで、床をトントンと叩く。

そして、違う所の床も、同じように叩く。


「音が軽い。空洞になっているようだ。…ん、ここ開くぞ」

「なんですって!」


部下の男もすぐ隣にしゃがむ。

パカッ、と音を立てて、床の一部が開いた。どうやら切り取られ、蝶つがいで留められているようだ。


「なんですかそれ」

「こ、これは…」


升川はゆっくりと、それを取り出す。

そしてにやりと、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「ついに出てきたなあ…決定的なものがよお!!」

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