第10話
1
「プロレスラー?」
「そうだプロレスラーだよ」
大年寺はプロレスラーだという、熊倉はプロレスを見たことは無かったがどういうものかを知っている。
プロレスとはラングの中で格闘技の攻防を見せるショーの事である、投げ技、打撃技、関節技、絞め技、時には凶器に至るまで用いられる事もある。一般的にはショーとしての側面が強いが、昨今ガチンコ・シュートと呼ばれる非ショー的な側面を持った真剣勝負の闘いなどもある。
「テメェ無視してんじゃねぇぞ‼」
取り巻きの一人が手に持った木の棒で頭部を殴った。
パキンッと衝撃に耐えられずに棒の方が折れた。
「……くひっ」
大年寺が薄っすらと顔を歪める。
先程殴られた額から血液が顎に向かって流れ落ちた。
真っ赤な舌が口から伸びて血液を舐めとる、その表情は獲物を目の前にする獣の表情に似ていた。
「こりゃジュース代でも貰っとかねぇと割に合わないよなぁ」
その瞬間、熊倉は感じ取った。この大年寺という男は自分を助けに来たわけではない、血の匂いに誘われてやってきた獣だったと言う事に。
「何言ってんだよい痛い目みねぇと分かんねぇのか」
「痛い目ねぇ、確実に君たちよりもそういう場はくぐっってると思うんだが」
「うっせんだよ‼」
薄ら笑いを浮かべながら犬井達を眺める大年寺に取り巻きの2人が殴りかかった。
大年寺はそれを、最小限の動きで躱す、傍から見れば一歩も動いておらず、両足は地に付いたままであった。
しかも一人ではなく二人同時の攻撃を手も使わずに捌いたのである。
「河野!杉原!」
「糞がっ」
彼らも曲りなりにも格闘技経験者である、自分達と大年寺の力量差に気が付いたのだろう、取り巻きである河野と杉原は大年寺を取り囲むように間合いを取った。
前と後ろと横に敵がいる、取り囲まれている筈なのに一切表情が変わらない大年寺と明かに余裕のない犬井達は対照的であった。
柔道部の犬井達は人を殴り慣れていない。
ケンカという場での殴り合いという形では慣れていると形容できるが、それでも空手やボクシングといった専門家と比べればやはり見劣りする。
「ひゅおっ‼」
取り巻きの杉原が声を上げて正面から大年寺の懐に飛び込む。
大年寺は下げていた腕を上げ迎撃の態勢を取る。
それだけではない、後方にいた河野も挟み撃ちする形で仕掛けてきた。それも同時ではなくほんの少し、いやコンマ数秒という誤差をあえて作り仕掛けているのである。しかしその攻撃は無情にも大年寺を満足させる攻撃ではなかった。
「気合はあるが、まだまだ浅いなぁ坊や」
両者の攻撃を大年寺は受けた。
大年寺信也―。
身長187㎝
体重101㎏
格闘家としてはなかなか理想的な肉体である。
体に真に一本の刀が宿っているかのような男である。
大年寺は正面の攻撃を掻い潜りすれ違いざまに首筋を撫でた。
優しく、ペットの動物を愛でるかのように撫でた様にしか見えなかった。
ドザッと地面に崩れ落ちる。
大年寺以外の、熊倉を含めて何が起こったのか分からずただ眺める事しかできない、背後から仕掛けていた筈の河野もほんの数秒だが唖然としていた。
不意に大年寺と熊倉の目が合う、まるで今から俺を見ていろと言わんとしているように見えた。熊倉は唾を飲みジッと大年寺を睨みつけるように見る。
「うらああ‼」
河野の攻撃が気持ちがいいように攻撃が入る。
しかし一切、大年寺には効いているようには見えない。
それもそうだ、大年寺は選んで攻撃を受けているのである。
しかし犬井達も格闘技経験者である。
対格差はあるがそれでも相手も鍛えている、まともに受け続ければ確かに大年寺であろうと怪我は免れない、だが大年寺には受けの技があった。
有効な攻撃を逸らし。外し。相殺する。そうやって相手の攻撃を最小限の威力に抑える。そうやって選別した攻撃を鍛えた肉体をさらに固め受け止めることでほぼ完璧に抑え込んでいるのである。
もちろん人間の反射能力にも限度がある、全ての攻撃を選別することも不可能である、しかし敵の攻撃を予測し、ほんの少しの視線や動きによって誘導することによりそれを限りなく可能にしている。
まさしく匠の技であった。
大年寺信也22歳の時である。
「河野‼」
「ふっ‼」
打撃が効かないと分かった河野は投げに切り替えた。
柔道部である河野はそれなりに自信があった。
襟と袖を取る。
しかし、大年寺は動かない。
押してみた。
引いてみた。
しかしそれでも動かない。
「あああぁぁぁ‼」
河野は強引に投げに掛かる。
「シュッ‼」
口から息が漏れる音が聞こえた。
その時河野の視界は急速に加速した。
「かっは‼」
地面忍叩きつけられた河野がピクッピクッと車にひかれたカエルの様な恰好で痙攣する。
技ではない。
力なのだ、純粋たる力で河野の技を正面から打ち砕いたのである。
自分で観た物が信じられない。
人間じゃないとさえ思った。
「野郎!」
指示だけを出して観ていただけの犬井がようやく動き出した。
犬井の手の中に、さっきまではなかったナイフが握られていた。
刃渡り14㎝はあるハンティングナイフである、
「流石にナイフは止めといたほうがいい。下手な使い方をすれば傷付くのは寧ろお前の方になるぞ」
微かに笑いを浮かべながら平然と犬井達の前に歩みを進める、既に倒れている犬井の仲間は苦痛に顔を歪め、未だに起き上がれそうにない。
助力は期待できない事を理解した犬井は不格好な構えで大年寺に特攻していった。
「通販で買ったんか?あまり良い質じゃないみたいだな。安い買い物はムダ金になっちまうぞ」
「ひっ嘘だろ……」
犬井のナイフは大年寺の腹部に刺さることなく数センチ手前で止まった。
いや、止まったのではなく止められたのである。
ナイフは大年寺の手にはナイフの刃が握られている、つまり握力のみでナイフを止めたのだろう。無論、無傷とまではいかずとも出血自体はしているがそれでも大年寺は顔色一つ変えることなく淡々としていた。
「坊や、喧嘩ってのは何時の時代だって素手でやるのが一番なのさ。武器を使っちまうと卑しさが出てくる、そういう魔力みたいなもんがこいつにはある」
大年寺は犬井からナイフを取り上げる、ナイフの刃にはベッタリと血が付着していてとめどなく血がしたり落ちる、それが犬井の恐怖心を煽ったのだろう既に戦意を失った犬井は腰を抜かして地面に座り込んでいた。
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