第5話 熊倉と宗一

 ―青藍学園

それが宗一の通う学園である。

 宗一の家から30分程度歩いた所にある、山のふもとにある一般的な学校よりも倍近い大きさの敷地を面積であった。

その青藍学園には拳舞館と呼ばれる道場があった。

 それなりに年季の入った二階建ての木造建築であった。

 二階は剣道部、一階は複数の格闘系の部活を混合させた『拳武館』と呼ばれる格闘集団が使用している、外には手作りのウッドデッキが設置してあり、目の前には柿の木と洗濯物が風に靡いている。

 実に心地の良い風が吹いている、障子戸が取り外されているお陰でそこから風が入ってくるので風通しが良い。

 建物の中では掛け声や人が倒れるような重い音が響いている、中には十数人の人間が柔道の稽古をしているらしい、実に規則的なリズムで音が流れている、淀みなく実に綺麗な流れで技を掛け合っている、それだけ基礎がしっかりと体の芯にまで付いているのだろう。

 片方が技を掛け、もう片方がそれを受けるのを何度も繰り返している、いわゆる乱取りと呼ばれる稽古法であった。

 それを宗一は眺めていた。

 集団を眺めているのではなく、その先頭で指示を出している人間を眺めているようである。

 ―麻倉勇樹

 この拳武館を実質的に管理している男であり、宗一にとって数少ない友人と呼べる存在であった。

 拳武館において勇樹はナンバーワンの実力者である、強いだけでなく、他人を引っ張るカリスマ性が自然と彼をあの地位に収めているのであろう。

 元々勇樹とは中学からの知り合いであり、スポーツとしてなら宗一にも引けを取らない実力を持っている、実際に宗一は勇樹に何度も敗北している。

 宗一自身も格闘技術に相当な自信があるが勇樹の技には目を見張るものがあった。

 柔道において『崩し』という技術はある意味投げよりも重要な技術といえるのだが、勇樹はその技術が飛び抜けて上手かった。

 柔道には投げの段階の前に3つの段階に分けられる。

 『崩し』相手の体勢を崩す事

 『作り』自分の技を掛けやすい位置に体を作ること

 『仕掛け』作りによって整った体勢から技を仕掛けること

 つまり『投げ』の段階の前にはまず『崩し』を行わなくてはならない。

 しかし崩しだけでは相手を制することは出来ない、闇雲に相手を崩したところでそれに応じた技を仕掛けなければ意味がない、例えば背負い投げを掛けたいのに横に相手を崩したところで意味などない。

 そこで柔道には『八方の崩し』と呼ばれる技術がある。

 言ってしまえば相手を崩す方向は前後・左右・斜めの計八方向あるという教えの事である。

崩しとは簡単にいうと前後に引いたり押したりすれば相手の体制は崩れますよということである、どんな巨漢であれ後ろに押せば重心が後ろに傾き、その時前に引いてやれば簡単に体が傾く、いわば『崩れる』という訳だ。

 相手が押せばこちらは引いてやる、逆に相手が引けばこっちは押してやればよろめいてくれるので技を掛け放題になる、つまりこの駆け引きを制しさえすれば試合を制することに等しいと言えるのではないだろうか。

 崩されなければ投げられない、つまりどんな相手であれ勝てなくとも負ける事は無いと言う事である。

 勇樹の練習相手は新城という男であった。

 拳武館の中では実力は二番手といった所だ、だがそれでもかなりの実力者であることには変わりない。

 中学の時から空手を始め、拳武館ではその知識を他のメンバーに教えている、拳武館には技術を教えるための監督というのは居ない、複数の部活が混合になっているのもあるがここでは実力の序列があり、上の人間が下の人間に指導を行っているのだ。

 拳武館にはチラホラと学校外の人間が見受けられた。

 校内からはもちろん外部の人間からは学校から支給される部費があるため、一切金は受け取ったりはしない代わりに知識と技術を提供する。

 学びたい奴が勝手に入門し、自分が納得したならば好きに出ていけといったスタンスであった。

 それが心地よいのか自然と人が集まって行き、今ではこの地区最大の武術交流会場となっていた。

 「そんな所で見てるなら指導の一つでもしてくれないか」

 ドスッと勇樹が宗一の隣に座る。

 拳武館の中ではそこまでガタイの良い人間ではない、だが他の人間と比べると明らかに違う点があった。

 勇樹の肉体からは絶対の自信的が溢れている。

 タオルで汗を拭う仕草。

 他人と話す時の口調。

 日常で見せる表情。

 その全てに強い意思の様な物を感じさせる。

 それは、宗一の様な鎧のように自分の肉体を護るための張りつめた様な物ではなく寧ろ真逆であり、自然と醸し出される優しく人を安心させるものである。

 宗一が触れればたちどころ指を切断されてしまうかの様な鋭利な日本刀だとすれば、勇樹は温かい太陽の光……もしくは何百年もの間雨風に打たれてもなお御霊を守り続ける神木といった所だろう。

 「お前から見て彼らはどう思う」

 「どう思うってそれを俺に聞くかよ」

 勇樹が真っ黒な目をこちらに向け問いかけてきた。

 二人には始めから答えの分かりきっていた質問であった。

 これも二人にとっては挨拶の様な物である、相反するものを放つ二人であったが何故か二人の波長は絶妙に噛み合っていた。

 特別会話が盛り上がるわけではないが、無言でいても特に苦痛にならないという程度である。

 4・5回程度会話を交わす、特に中身の無い無意味なものであった。

 会話をしている時の宗一は戦っている時とは違い棘の取れた年相応の表情であった。

 「勇樹さん、少々よろしいでしょうか」

 「どうしたそんな急いで」

 宗一と話している所に勇樹の後輩が話しかけてきた。

 「学園の事務所に客人が来ているらしく、宗一さんとの立ち合いを所望をしているようで」

 「宗一を名指しで?」

 「どうやらUFWというプロレス団体の人間の様で、今事務所の待合室で待機していただいております」

 「そうか……ならボディチェックした後に来てもらえ、飽くまでこっちも武術集団である以上逃げるような事もしたくないからな」

 勇樹はじっと宗一の事を見ながらそう言い放った。

 



 

 その男が入ってきた時、自然と道場の人間は目を奪われた。

 良くも悪くも勇樹達の時点で既に有名になっていたせいか、拳舞館において挑戦者、いわゆる『道場破り』というのは珍しくない、それも大半が部活で武術始めた学生、腕に覚えがある不良、といった半端ものばかりであった。

 道場破りかどうかは目を見れば大抵わかる、そして今回の男は明らかに瞳に闘志を宿していた。

 男は黒い服にコートに包み、半袖のシャツからは傷のついた腕、常人の3倍はありそうな脚、異常に発達した首、それらがゆっくりと力強く中央に歩みを進める姿はまるで水牛の姿を想起させる。

 ここまで鍛えられた肉体は今までの挑戦者では決してあり得なかった。

 「いい臭いだな……俺の好きな臭いだ」

 男の言う臭い、それは人間が醸し出す熱気の事であった。

 流した男の汗のにおい。

 シップの匂い。

 こびり付いた道着の匂い。

 外でそよぐ木々の匂い。

 それらが道場の中で色濃く溶け合っている。

 通常の人であれば顔をしかめる匂いではあるが、男にとっては嗅ぎ慣れた心地の良い臭いであった。

 「話は聞いてると思うが、俺はUFW熊倉ってんだが宗一ってのはアンタだろ」

 静かに熊倉が名を告げた。

 道場の奥に座る宗一を真っ直ぐに視線を送った。

「UFwってプロレス団体だろ?熊倉なんてレスラーいたか?」

 「前座の選手なんじゃないか」

 「でもちょくちょくUFWの試合観るけど俺は知らねぇぞ」

 ひそひそと学生たちが話し始める。

 「貴方が熊倉さんですか」

 勇樹がそう訊いた。

 「宗一との立ち合いを所望とのことですが」

 「そうだ、一応ここは立ち合いを許容しているとのことなんでな、アンタも学生ってのことなんで筋は通させてもらったよ」

 熊倉と宗一の眼が合う。

 熊倉雄三は無名のレスラーである、恐らく前座にすら立っていない練習生であろう。

 身長195㎝

 体重126㎏

 宗一を180と仮定したとして身長差は15㎝である。

 敵地と分かっていても傲慢とも言える立ち振る舞い。

 一切怯えの色がない眼。

宗一の見立てではかなりやる男だと想定していた。

 「勝手に相手が来ているだけで受け付けている訳じゃないんだがな」

 「俺が聞きたいのはアンタじゃない、そこの宗一ってのが俺と立ち合いをするのかどうかって話だ」

 熊倉の言葉に道場の中にざわめきが静かになった。

 先程までの困惑とは違う、何かに恐れているかのような不安や恐怖の入り混じったものであった。

 拳舞館の中では宗一が超実践的な戦いをする男と言う事は既に周知の事実である、それを知って挑んでいると言う事はそれを受ける意思があると言う事であり、これから拳舞館に血が流れるという事を意味していた。

 「もういいよ、これも他の部員にとっても勉強って所だろ」

 先程まで黙っていた宗一がようやく口を開いた。

 「やりましょうか熊倉さん」

 「教えてもらおうか柳流ってやつを」

 熊倉は、無造作に、コートとシャツを脱ぎ捨て、逞しい肉体が露になる。

 肩から胸の筋肉が、溜息が出るほどに鍛え上げられている。

 拳舞館の学生達が息を吞む。

 「あの体で闘うのかよ」

 「手かあれ注射か?ナチュラルじゃないだろ」

 靴下を脱ぎ素足になる。

 熊倉はジーンズのまま中心で宗一と向き合った。

 「下は脱がないんですか?」

 「俺はこれでいい、アンタも制服のままでやんのかい」

 体のラインに合ったジーンズというのは闘いに向いていないのはもはや常識であった。

 歩く事には問題はないが闘いにおいては足の動きを阻害してしまう、蹴りの威力は半減してしまうし、脚が高く上がってくれないしスピードも出ない、レスラーは投げや関節を中心とするスタイルだとしてもジーンズでやるメリットはないだろう。

 「熊倉さんは柳流を体験したいんですよね、ならこれで良いんです」

 「常在戦場って訳かい」

 宗一は静かに頷いた。

 「ルールはどうしますか」

 「特に決めなくていいだろ、街灯ルールってやつだ」

 誰がいう訳でもなく、宗一と熊倉を残し他の者達は壁際に寄った。

 二人の闘いを邪魔しない為である。

「3分で終わらせます」

重く、唸るような声で宗一が言った。

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