第3話 はじまり


宗一は大きく息を吐いた。

 意識を全身に巡らせて精神に細胞の一つ一つを認識させて行く。

ドクンドクンと心臓が脈を打つのを感じる、心臓から出た血液が血管を流れ全身に駆け回り、腕から脳に脚にそしてまた心臓に帰ってくる。

風が吹いている。

イヌムギ

カラスノエンドウ

イタドリ

カタクリ

 山に咲く雑草や花が風に吹かれ音を立てている、彼らの匂いが風に乗り宇一の頬を優しく撫でる、青臭い臭いと花の優しい香りが鼻腔をくすぐった。

だが良く探ってみるとそれだけではない事が分かる、太陽の匂い、地面の匂い、川の匂い、服の匂い、木々の匂い、服の匂い、整髪料の匂い、動物の匂い、その全てがこの山という世界を構成している要素なのであった。

ゆっくりと腰を下ろし空手で言う前屈立ちの形になり、流れるように動き始める、両腕でその場の大気を包み込んでいるかのような動きである、ゆっくりではあるもののピンッと張り詰めるような鋭さと緊張感がある。

武術の型というよりも舞か演舞といったところか。

動作からして太極拳がモチーフなのだろうと察せる、中国拳法や空手には舞などから動きを参考にしている流派も存在する、太極拳もその例に漏れない。

太極拳には陳式、楊式、呉式、武式、孫式、和式さらには台湾により発展した台湾式太極拳存在する、宗一が行っているのは陳式太極拳をベースとしているものらしい、陳式が他の太極拳との違いは『纏絲勁』と呼ばれる螺旋の力を利用する技だろう。

螺旋の力を胸部で横方向の立円に変換する技を『纏絲功』という。

その螺旋の力をさらに捻り上げて貫通性を高める主力技を『懶扎衣』という。

懶扎衣の切り替えし技として『六封四閉』が存在する。

この4つが基本的な技だろう。

ふいに、宗一の動きが一瞬、激しいものに切り替わる。

ガオンッ‼

宗一が動いた後に草が風圧によって靡く、はらはらと宗一の回し蹴りによって千切れた草が舞い落ち、技のキレとスピードの凄まじさを物語っていた。

緩やかな動きの合間にガンッという音と共に、空間を切り裂く様な鋭い技が煌めき始める、滑らかな脚の動きは流水の様であった。

宗一が演じている陳式太極拳は現在広まっている太極拳の原型であり親といわれている流派である、陳一族によって伝わってきた武術であり、世間一般に認識されているのは楊式太極拳であるがそれは楊式をベースとした二十四式太極拳といわれ、いわゆる健康法として愛されている。

『剛柔相済』それが太極拳の特徴である。

日本で言う『柔よく強を制し、剛よく柔を断つ』というものと根本は同じである、

 『技』とは剛と柔が、お互いに助け合うことで完成するのである、剛と柔のどちらかに偏ると、『技』にならない。

 すべては緩急の問題なのだ、スポーツをやったことがある方は分かるだろうが、ただ速いだけの攻撃は怖くないのだ、スピードのみでは単調な攻撃になり読みやすく捌きやすい、だからこそ緩急をつけ読みにくくすることで初めて技が生きるのだ。

 そこまで激しい動きではないはずだが、宗一の肌には玉の様な汗が流れていた。

 演武を始めてから30分程が過ぎただろうか、既に地平線から朝陽が昇り始めているのが見える、それを眺めながら岩の上に置いておいた水を手に取り飲み干した。

 


 二人は繁華街を歩いていた。

 既に日が落ちている時間ではあった。

 それでも帰宅中のサラリーマン。

 塾通いの学生。

 ホスト風の男。

 女。

 様々な男たちが、それぞれの目的地に歩いている。

 どんな街でも、何処でも見られる風景であった。

 行きかう人間はお互いを認識しているようでしていない、恐らく5分後にはすれ違っている人の顔など忘れているだろう、もしかしたら人間などそんなものなのかもしれないと充は考えていた。

 桜は既に散り切っている。

 暖かくなり始めているもののまだ少し肌寒さが残る時期であった。

 宗一と勇樹は揃って歩いていた。

 ―麻倉勇樹

 宗一と勇樹が通っている学園にある拳武館という施設を管理している男であり、宗一にとって数少ない友人と呼べる存在であった。

 拳武館において勇樹はナンバーワンの実力者である、強いだけでなく、かなりのカリスマ性が彼をあの地位に収めていた。

 元々勇樹とは中学からの知り合いで何度も手合わせをしており、スポーツとしてなら宗一にも引けを取らない実力を持っている、実際に宗一は勇樹に何度も敗北している。

4・5回程度会話を交わす、特に中身の無い無意味なものであった。

何時も話を振るのは勇樹からであった。

特別会話が盛り上がるわけではないが、無言でいても特に苦痛にならないという仲である、だからか宗一の方から話しかけるというのはそうそうなかった。

会話をしている時の宗一は戦っている時とは違い年相応の表情であり、時折笑顔さえも見せた。

「そういえば昨日の新聞で見たか」

ふと勇樹は思い出したように言った。

「あぁ見たよ、面白そうなことやってんだな」

宗一は頷いた。

「お前も随分有名人になったんだな」

クスッと笑い一つの動画を宗一に見せた。



 2


 

昨日の新聞とはとあるプロレス団体にて起きた事件であった。

 UFW(ユニバーサル・マーシャルアーツ・ウォーリアーズ)というプロレス団体の興行中に起きた。

 新聞の見出しには『UFWにて流血事件⁉現代に辻切が現る‼』と書いてあった。

 それは後楽園ホールにて行われたプロレスの興行にて乱入事件が発生した。

 プロレスラーのボネビア・イルマがリングを降りていく所であった。

 イルマは外国人レスラーでありレスラーとなる前には相撲をやっていたという経歴を持っている、身長180㎝体重120㎏とかなり大柄な男であった。

 相手の喉を鷲掴みにし、頸動脈を指先で絞め付ける『コブラ・クロー』が得意技でありこの技だけでフィニッシュまでもっていくこともあった。

 試合を終わらせてイルマが花道を引き上げてゆく中ふと何かを見つけたように立ち止まった。

 「誰だお前‼」

 イルマの前には深くフードを被り顔を隠した男が立っていた。

 「おい、他のやつはどうした」

 言い終わるのが先か男の右手が動く。

 プシャ‼

 男の右手がイルマの頭部を切り裂いた。

 刃物である、カッターの刃を指の間に挟み肉を割いたのである。

 イルマがその場に蹲る。

 会場が突然のハプニングに沸き立つ。

 イルマの顔が血液で赤く染まる。

 解説が「あれは誰だ」「イルマは大丈夫か」と壊れたラジオのように繰り返す、乱入とは本来それ込みの仕込みでありアナウンサーもそれを知らされている為、とうに乱入者の名前を告げている筈であった。

 もはや何時もの台本でないことは誰の目にも明らかであった。


「お前も派手に動き過ぎたんじゃないか」

「前にUFWの選手にも手を出したこともあったからな、あいつ等の言ってることもあながち間違っていないさ」

「それにこっちの勘違いならそれでいい、煽りに乗らなきゃ何らかのアクションがあるでしょ」

宗一と勇樹が気にしていたのは乱入者の名であった。

男は自分の名を『宗一』そう名乗ったらしいとそこには書いてあった。

決して宗一として名を名乗っていたわけではないが、宗一との因縁を考えるとどうも自分が部外者であるとは考えずらかった。

「もし勘違いじゃなかったとしたら……やるんか」

そう問いかけられ宗一はたっぷりと息を吸い空を見上げた。

空には星々の光と少し欠けた月が輝いている、確か月の満ち欠けにも名前があった気がする、あの位の掛け方だと居待月と言ったか。

昔自分に師匠が教えてくれたことを思い出す。

「これから俺に付き合ってくれないか」

獣がまたニヤリと笑った。

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