鏡のような暗い水面に、無数の巨木が屹立している。その水面と梯子段がぶつかって途切れるところに、一畳もないくらいの、板張りの桟橋が作りつけられていた。もやい綱もいかりも見当たらないが、小舟はそこに着けてあった。

 冷気がたちのぼってくる。『   』は、道の先は行けばわかると言っていた。となれば、この舟に乗るしかないのだろう。

 籠を抱えたまま片足を舟に下ろす。小舟がゆらりと揺れる。何とかバランスを保って、舟に乗り込んだ。

「うわ」

 腰かけに腰を下ろした途端、小舟はすべるように動き出した。舟の中にはかいも、その代わりになりそうなものも何もなく、舟が勝手に進んでいくままに任せるしかない。頬にやわらかく空気がぶつかってくる。

 何か動力になるものがあるのかと、籠を抱きしめたまま、こわごわ水面を覗きこんだ。ちらちらと光のかけらが白く反射するだけで、ほとんど黒いような水の中はよく見えない。

 舟はあれよあれよというに先へ進んでいく。周囲はどんどん明るくなっていく。太い柱のようだったあたりの木々は、だんだんと丈も低く、幹も細くなっていって、気づけば、両岸に木立の迫る小川を下っていた。

 ほとんど揺れもなく、舟にぶつかる水音も微かだ。明るい景色のなかで、木の螺旋階段を降っていたときからずっと縮こまっていた気持ちが、ようやくほぐれてくる。

 左右に目をやると、岸までは、腕を伸ばしても少し届かないくらいの距離だった。靄はほとんど消えていたが、ずっと森が続いているのか、木立の奥は見とおせない。頭上はかすみがかったままで、空は見えなかった。

 もう一度、水の中を覗きこむ。水はおそろしく澄んでいた。舟の落とす影が、水の底を小さくすべってゆく。揺らめく川底は思った以上に遠く、一瞬ひやりとする。

 流れていく水面が光を反射して、細かな虹の破片が明滅する。その揺らぎ方に何となく違和感があって、目を凝らしていると、さざなみだと思っていた中に幾つも魚の背びれが見えることに気づいた。

「あ」

 声が口から零れる。虹色に光をはねかえす、透明な魚だ。無数の魚が舟の下を泳ぎまわっている……いや、この舟が、魚の群れの上に乗っかっているのだ。

 捉えたと思うはしから流れにまぎれて見えなくなる、虹色の輪郭に見とれているうちに、ふと気づくと、力強い水音が響いてきていた。顔を上げて周囲を見まわすが、音源らしきものは見あたらない。岸辺の森のどこかに滝でもあるのだろうか。きょろきょろと左右を眺めていぶかっているあいだにも、とどろきは大きくなっていく。

 ようやく正面に視線を戻す。舟の行く手、川の先には、何もなかった。ぼんやりと白い空が広がっている。目の前の光景が、のろのろと意味を結ぶ。水音はどんどん大きくなる。

 滝は、すぐそこ、この川の果てにあるのだ。

 とっさに膝の上の籠を右手で抱え、左手で舟の縁を握る。今すぐ川に飛びこむか? いつの間にか川幅はさっきよりもずっと広くなり、岸は遠のいている。滝の音が耳を聾する。迷っている暇はなかった。立ち上がろうと足に力をこめた瞬間、ぐらりと舟が前にかしいだ。手遅れだった。

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