わたしを先導して家を出た『   』は、玄関の両わきに茂った生垣のあいだを抜けると、家のすぐ裏手に回った。

 家の後ろにあると思った森は、森ではなくて、見たことのないほど大きな木の梢だった。『   』の家はツリーハウスのように、その枝に乗っているのだった。枝に茂った葉むらが、玄関のアプローチの生垣のように見えていたのだ。

 『  』の家の裏からは、その大木に向かって、くすんだ茶色の道が続いている。『   』の家が乗っている枝の肌だ。その道の上で立ち止まってわたしを見上げた『   』の向こうに、緑の茂みと、黒々とあいた穴が見えた。

「この道を降りていって。その先は、行けばわかるよ」

「道って……」

 とまどいながら穴に目を凝らす。わたしたちが立っている枝は穴の中に続いていて、暗がりのすぐ奥に、大木の幹が壁となってそそり立っているのが見えた。その幹から螺旋状に生えている枝々が、頼りない幾筋もの木洩れ日を受けて、ぼんやり闇に浮き上がっている。太い幹に遮られて、時計回りに回りこんでいく下方の枝は、ここからは見えない。

「枝伝いに木を降りていくということ?」

 『   』は辛そうに頷いた。

「ごめんね、きみにしか頼めないんだ。きみひとりで行ってもらわないといけない」

 なぜだか、わたしには断れない、いや、断ってはいけないのだと直感した。

「わかった」

 『   』のまんまるい黒い瞳に向かって頷いてみせる。家を出る前に『   』に渡されていた、大きな籠を両腕で抱きしめた。中身は白い布が掛けられていて見えないが、『   』は、必要なときがくればわかると言っていた。

 一歩、穴の中へ踏み出す。葉の陰に入ったとたん、慣れない視界がまっくらになる。

 慌てて目をしばたたかせている間に、幹に突き当たっていた。左隣の枝は今の枝よりもやや低い位置から生えていて、大きく足を踏み出せば届く距離だ。そのまま次の枝へ、次の枝へと、急な角度でくだっていく。

 立ち止まれば足を踏み外してしまいそうで、一度降りはじめたら、もう、無我夢中で次から次へと辿っていくしかなかった。葉の隙間から射しこんでくる光は足を踏み出すごとに弱々しくなり、視界はほんのり緑色を帯びた闇に沈む。

 巨木の幹のまわりをぐるぐると、もうどれくらい降ってきたかわからなくなった頃だった。ふと、いつの間にか周囲がずいぶん明るくなっていることに気づいた。空気はひんやり湿っている。足がかりは、生えている枝そのものではなくなって、代わりに、杭を幹に打ち込んであるのだった。足場と足場の間隔も狭い。ようやく歩調を緩めて、右手を幹に添わせながらあたりを見渡した。

 樹冠の下は、薄暗い巨大な空間だった。上にも下にもまっすぐに伸びてゆく太い木の幹が、今降りているこの木以外にも、何本も柱になって立ち並び、奥のほうは闇に滲んでいる。お腹の底がひんやりするような、ぼんやりと気が遠くなるような眺めだった。

 この螺旋階段はどこまで続いているんだろう。意を決して目線を下げると、まだかなり距離があるとはいえ、案外近くに何かの影が見えた。

 下のほうに、一艘そうの小舟が浮かんでいた。

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