第52話 なんぴともこれに抗すること能わず

96)


 破滅の車輪を目標にさだめ、焼け野原となった大地を疾走してくる、鏖殺の剣をもつ男、グレン。

 その雄姿に、姫とルビーチェが気をとられた一瞬に。


 ボシュン!

  ボシュン!


 破滅の車輪から、弾丸のよう射ち出されたものがある。

 ルビーチェを両腕で抱え、宙に浮いているモルーニア姫をめがけて、凄まじい速さで飛来するその塊は


「モオルウニアアアアッ!」


 叫ぶアルベルトの首だった。

 首だけのアルベルトが、目をむき、牙の生えた口を裂けるほどに開いて接近すると、二人の直前で軌道をかえて、側面からモルーニア姫に襲いかかる。


「危ないっ、姫!」


 ルビーチェが魔導師の杖をとっさにふるって、今まさに姫の白い喉を狙ってきた、アルベルトの首をはたき落とした。

 顔面を痛打された首は、


「ギャッ」


 一声叫ぶと、くるくる回りながら、落下していった。


「ぐうっ!」

「ルビーチェさまっ」


 次の瞬間、苦痛に呻いたのはルビーチェだった。

 飛来したアルベルトの首は一つではなかったのだ。

 ルビーチェが、姫を襲った首を払いのけたすきに、もう一つのアルベルトの首が、ルビーチェの足首にがぶりと食らいついていた。

 首はその牙をぎりぎりとかみしめ、たちまちに皮膚が裂けて、肉が露出したたルビーチェの足元からはぼたぼたと血が滴っていく。


「おのれ、アルベルト!」


 姫が怒りの声をあげ、蹴爪の生えた足で、アルベルトの顔を蹴りつける。

 鋭い爪に、ざくりざくりと顔が切り裂かれ、眼球が破れるが、それでもアルベルトの顔は、食らいついたルビーチェの足から、けっして離れようとしない。


「くっ……いったん距離をとりましょう……うあっ!」


 翼を羽ばたかせ、さらに上昇しようとした姫とルビーチェの身体ががくん、と引かれた。

 よく見ると、ルビーチェにとりついてるアルベルトの首からは、まるで神経のような白い綱がのびて、それは破滅の車輪本体とつながっていたのだ。

 ぴいんと張って、二人を繋ぎ止めたその綱がぎりぎりと収縮をはじめ、それにつれて姫とルビーチェは、破滅の車輪に引き寄せられていく。


「むうっ」


 姫が力の限り羽ばたくが、その白い繊維は驚くほどの頑丈さで、けっしてちぎれず、そしてじわじわと二人の身体をひきよせる。破滅の車輪が二人に近づく。


「くそっ、姫、おれを放りだして、こいつから離れるんだ」


 姫はきっぱりと首を振る。


「そんなことはできません」

「モルーニア! 離れろ、このままでは二人とも!」

「だめです」


 近づいてくる二人に、破滅の車輪上のいくつものアルベルトの顔が、喜びに醜く歪み、


「モオルウニアアアアアアアア」

「ルビイイイイチェエエエエエ」


 と、叫びたてる。

 二人の命は、今や、風前の灯火だった。

 だが、


「はああっ!」


 そのとき、裂ぱくの気合が響き渡った。

 そして、ルビーチェの足首のアルベルトの首と、破滅の車輪本体とをつなぐ白い繊維が、すぱり、切断された。

 その反動で、姫とルビーチェは、空中をくるくるとトンボを切りながら弾き飛ばされ、かなり離れた空間でようやく安定を取り戻す。


「グレンさま!」

「おお、グレン、助かったぜ」


 ルビーチェが、苦痛をこらえながら言う。

 神経繊維を絶たれたアルベルトの顔は、眼球が上転、白目をむくと、魂がぬけおちたように弛緩し、嚙みつき続ける力も失って、ルビーチェを離れて地上に落ちていった。

 ルビーチェはすかさず、自分の足首に治癒魔法を使った。

 たちまち出血がとまり、傷もふさがっていく。


 邪魔をされた魔導機械/アルベルトは、怒りの声をあげると、ぞわぞわと脚をうごめかせて、グレンに向きなおった。

 グレンは、剣を肩にかつぐ姿で、にやりと笑った。


「そうだ、お前の相手はおれがする、この『鏖殺の剣を持つ男』が、な」



97)


 まだあちこちで残り火が燃え、屍が累々と横たわる大地に、正対する破滅の車輪と、グレン。


 ンオオオオオオオオッ


 巨大な魔法機械が雄たけびを上げ、その強大な角、頑健な城塞を一撃で突き破るほどの鋭い槍をグレンにひたと向けて、驀進した。焼尽した大地が、その動きに揺れる。

 だが、グレンは動かない。

 力みのない自然体のまま、突進する破滅の車輪を待ち受ける。


 ンオオオオオオオオオッ!


 破滅の車輪の、黒光りする鋭い角の先が、グレンに到達するその瞬間



「でぃやあああああっ!!」


 グレンは鏖殺の剣を、一閃、いや二閃。


 グゴオオオオオオオ!


 苦痛の叫びをあげて、破滅の車輪がのけぞった。

 なんと、グレンの剣風は、あの鋭く太い魔法機械の角を、なますを斬るが如くに分断してしまった。

 斬られた角が、ドサリ、ドサリ、地面に落ちる。

 切り口からは、だらだらと緑色の体液が流れ出し、グレンに降りかかった。

 グレンの顔が、その得体の知れない汁で、緑に染まる。


「おお、やったか?」


 ルビーチェが叫んだ。

 しかし、破滅の車輪は、のけぞったかたちのまま前進し、その鋭い多脚の爪をふりたてると、


 ンオオオオオオオオッ!


 グレンを押しつぶさんと、雪崩のようにのしかかってきた。


「そうそう、こうでなくっちゃな」


 グレンは不敵に笑い、その場から動かない。

 鏖殺の剣を、水平にし、腰の位置で、左わきに構えた。

 刀身が赤黒く、まるで爆発寸前の巨星のように輝いた。


 ンオオオオオオオオッ!


 怒濤のように襲いかかる破滅の車輪。


「はあーっ!」


 グレンの身体が、目にもとまらぬ速度で回転した。

 人の目には、残像によって、剣が、赤い円盤のように見えた。

 回転すると同時に、グレンの身体は滑るように後退し、破滅の車輪から一気に距離をとる。

 爆発するように、破滅の車輪の幾多の脚が、切断され、はじけ飛んだ。

 脚を失った車輪の本体が、地面に激突する。

 それでもなお、残された脚で立ち上がろうともがくが、もはや、巨大な体を支えることはできず、爪の先で虚しく大地を削るばかりである。


 鏖殺の剣

 なんぴともこれに抗うこと能わず

 人も魔も一刀のもとに斬り捨て

 その前に立つものすべてを悉く滅ぼす

 みなごろしの剣


 グレンは、鏖殺の剣を、静かに振り上げ、上段に構えた。

 赤い剣が輝き、あたりに濃密に満ちてくる「気」があった。

 それは魔物が体内に蓄え、そして放つ、あの魔気にも似ていたが、しかし


「あれは……魔気とはちがう、もっとなにか別の……」


 ルビーチェがつぶやく。


「そうですわ……あの力は、この世のものではなく、あえていうのならば……」


 超越的な、そう、あえていうのならば神の気配、「神気」ともいうべき、なにか。


「滅せよ、破滅の車輪ジャガーノウト!」


 グレンが言った。いや、グレンのその言葉に重なるように、モルーニア姫とルビーチェは、たしかにシャスカの声を聞いたのだ。

 グレンが鏖殺の剣を振り下ろす。

 剣がうなり、神気が震え、そして、グレンがその手を下ろしたとき、破滅の車輪は、その中心線から真っ二つに両断され、獣の内臓のようなもの、歯車のようなもの、バネのようなもの、鉱石のような破片、あるいは胎児のようななにか、その内部構造を、溢れるようにこぼれ落ちさせながら、潰れて、動きを止めた。

 車輪の穴から突き出したたくさんのアルベルトの顔は皆、木乃伊のようにしぼみ、そして腐り果て、どろどろの汚物となった。あたかも、ゾトの町で晒された、哀れな偽物の姫の死骸のように。

 古代の遺産、魔法兵器破滅の車輪は、二度と動くことのない廃物と化し、簒奪王アルベルトも、その軍勢とともに滅び去ったのだ。

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