第49話 剣の男
91)
「さあ、そろそろ、おれも暴れてくるかな」
グレンが、なんの気負いもない口調で言うと、それまで立っていた塔の縁から、宙に身を躍らせた。
塔は途中から折れて崩れているとはいえ、その場所から地上までは、ゆうに十数メイグはあるはずだ。生身の人間が飛び降りて、無事に済む高さではない。だが、グレンはこともなげに、はるか下の地面に着地した。
「うむっ」
鏖殺の剣を、高く掲げる。
ルビーチェによって生み出された地獄の炎が、その赤い刀身に映えた。
すうっと息を吸うと、
おおおおおおおおおおおおっ!
地をどよもすような雄叫びを上げ、グレンは地を蹴って、万の軍勢に向かい駆けだした。
92)
おおおおおおおおおおおおっ!
「うわっ、なんだっ?」
姫の放った矢によって一撃で屠られて倒れ伏した武人に、呆然となっていた兵士たちは、響き渡った戦士の咆吼に身をすくませた。
そんな彼らの目の前で、灼熱の炎が爆発するように裂けた。
飛び散る炎が身体に着いて延焼し、のたうちまわる兵士たち。
そして、味方がすべて焼けただれる、地獄の炎をものともせずに、その燃え続ける炎をくぐりぬけて現れた、巨漢の戦士。その手には、異形の剣が握られている。
「ひいいっ!」
その姿を目にして、兵士たちは悲鳴を上げ、逃げだそうとしたが、もはや手おくれだ。
ブウンっ!
鏖殺の剣が一閃する。
「ギャアッ!」
大勢の兵士たちの、断末魔の叫びが上がった。
恐るべし鏖殺の剣。
グレンによって振られたその刃風によって、一瞬にして、何十人もの兵士が、防具ごと水平に両断されてしまった。防具のみならず、本能的に身を護ろうと身体の前に突き出した兵士たちの刃もすべて、すぱりと斬られて二つになった。草原に以前から遺されてる岩の像も、巻き添えをくらって断ち切られ、ゴロリと転がった。
「化け物だ、こいつは!」
笑みを浮かべ、剣をふりながら、颶風のように、万の軍勢の中に食いこんでいくグレン。
兵たちは抵抗さえできず、まるで草を刈るように削られていく。
そのありさまを見て、兵士たちは我先にと逃げ始める。
「逃げるな、戦えっ!」
指揮官が檄を飛ばすが、その指揮官も、剣の一振りで、首を宙に飛ばした。
目を見開いたままの指揮官の首が、ころころと草原をころがった。
「うわっ、無理だっ、逃げろっ」
「たっ、助けて!」
傍若無人に暴れ回る、グレンひとりに、軍は崩壊し烏合の衆と化していく。
92)
本陣のアルベルトは、その様子を、つぶさに目にしていた。
「まさか、なんてことだ……」
動揺した声でつぶやく。
こちらは一万、向こうはたった三人だ。かんたんに押しつぶせるはずが、蹂躙されているのは我が軍の方だ。
どうしてこんなことに。
あの
ルビーチェはまだ理解できるが。
それにしても、奴の魔力はいつ尽きるのだ?
そう思ってみると、あれほど燃えさかっていた地獄の炎が、今や、その勢いを減じているようだぞ。
塔を取り巻いて円を描いていた炎が、ほとんど消えかかっている箇所も見受けられた。
ルビーチェの顔にも、疲労の色がにじんでいた。
おお、とうとう、魔力切れか?
この機を逃してはなならない。
アルベルトが、部下に、攻撃をルビーチェに集中するよう命じた。
まだ指揮系統が機能している兵士の一群が、炎の切れ目を突破しようと駆け出す。
と、その時。
「あれは!」
だれかが声をあげ、空を指さした。
そちらを見ると、彼方の空に、灰色の腸詰めのような形をした巨大なものが、何体か浮かんでる。
それは、こちらにむかって接近してくるようだ。
「魔物か? よりによって、こんなときに?」
「いや、あれは
「でも、どうしてこんなところまで? やつらは穢れの谷から離れないはずだが」
皆が訝しんでいる間にも、みるみる接近してきた鯨気の集団は、塔の上空に達し、そこでゆっくり旋回しはじめた。
姫が、空を見上げ、片手を挙げた。
すると、なにか、はっきりとは見えないが、空気の流れのような、滲みのようなものが、空に浮かぶ鯨気から生じた。それが姫に向かって、ゆらゆらと吸いこまれていく。
「なんだ? なにがおきている?」
姫の瞳が赤く輝き、金色の髪がふわりと逆立った。
姫はルビーチェに寄り添うと、その手を、ルビーチェの背に添えた。
その瞬間、ルビーチェの身体がびくりとふるえ、そしてかすかに光を放った。
ゴオオオオッ!
とたんに、地獄の炎が勢いを取り戻し、いやさらに勢いを高めて燃え上がる。
「うわあアアア!」
「ぎゃあああ」
薄れかけた炎の輪をくぐり抜けようとした兵士たちが、火だるまとなって倒れていく。
「なんてことだ……」
ルビーチェが、姫をふりかえり、そして、
「あいつ、魔力を充填しやがった……」
いったい、そんなことが可能なのか。
だが、状況からみるに、
アルベルト軍は戦慄した。
あの巨大な鯨気たちが持つ、魔気の総量はいかほどか。
それを姫がうけとり、そして魔力にかえて、ルビーチェに渡すことができるというのなら、その魔力量は、事実上、際限がない。
大魔導師ルビーチェは、後ろに姫がいる限り、無限の魔力を使うことができるのだ。
魔力が尽きるどころではない、それどころか、この上さらに……。
彼らの危惧の通り、ルビーチェが新たな魔法の詠唱をはじめた。
炎熱の竈を行使しつつ、同時に次の魔法の準備を始めている。
「火と水と風の精霊が渦をなし
これもまた大魔法。本来、人の魔力量では、炎熱の竈と同時起動などとうてい無理な
「
たちまち空がかき曇り、垂れ込めた黒雲のあちこちが、ビカリ、ビカリと不気味に光る。
そして、
バリバリバリバリバリバリ!
幾百もの紫の稲妻が、大地に降り注いだ!
雷の高電圧に大気が電離してオゾンの臭いが満ちる。
荒れ狂う稲妻に、黒焦げになり、なぎ倒される軍勢。
戦場は、阿鼻叫喚の地獄と化した。
雷は、戦場に立ち、兵士を屠り続けるグレンにも、区別なく直撃した。
今まさに、振りあげ、高く掲げた鏖殺の剣に、太い蒼紫の稲妻が落ちる。
ドドドーン!
大気が裂けるような大音声が鳴りひびいた。
グレンの身体が青白く輝き、その髪が静電気の力によって、いっせいに逆立った。
だが、兵士たちが一撃で打ち倒される雷の直撃をうけても、グレンは平然と立っている。
そして、
おおおおおおおおおおおおっ!
再び雄叫びを上げ、鏖殺の剣をふりあげた。
ここにいたっては、もはや、この、鏖殺の剣を持つ男に、立ち向かう勇気のあるものは誰もいない。
「ばけものだっ!」
「あれは人間じゃない!」
軍はバラバラとなり、壊走していく。
あまりのことに腰を抜かしていたアルベルトが、ようやく叫んだ。
「あれだ! はやく、あれを出せっ!」
そして、本陣の横から、アルベルト軍の最後の切り札が動き出す。
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