第48話 開戦

89)


「おのれッ、一気に押しつぶせっ!」


 アルベルトが怒鳴り、指揮官の号令一下、包囲していた万の軍勢が、武器をかざして、いっせいに塔へと殺到する。


 それを見て、ルビーチェが魔法の詠唱を始めた。


「四大よ我が霊の呼びかけに応え、その秘められたる力の門を開け……」


 すると、そのルビーチェの声に応じて、塔をとりまく草原に、何本もの輝く光の筋が立ち現れる。

 やがて光が結び合わされ、草原に浮かび上がったものは、幾重もの円と、交差する直線と、妖しく揺れる古代文字。

 それは、塔を中心にした、巨大かつ複雑精妙な魔法陣であった。

 この塔を拠点としたとき、ルビーチェによって、周囲の大地の中にあらかじめ準備され、あとは起動を待つばかりになっていたのだ。


「風と火が二重星のようにお互いをめぐり熱の渦を発す、炎熱ゲヘナ・の竈メイルシュトローム!」


 ルビーチェが一声叫ぶと、


 ゴオオオオッ!


 魔法陣の外縁に、突然真っ赤な炎が燃え上がった。

 円形に燃えさかる炎からは、激しい高熱が放射される。

 ルビーチェの大魔法、炎熱ゲヘナ・の竈メイルシュトロームが炸裂したのだ。


「ぎゃあああああ!」

「熱い、熱いっ!」


 槍と剣を構え殺到した兵士たちは、いきなりのことに踏みとどまることができず、もろに、燃えさかる灼熱の炎の竈の中に、突入してしまった。彼らはたちまちに地獄の炎に焼かれ、のたうちまわる。


「止まれっ、だめだ、押すなあ!」


 炎の中に押し込まれようとする最前線の兵士が叫ぶ。

 しかし、密集した兵団は急には停止できない。

 後方からの圧力に押し出され、次々に、燃えさかる炎に呑みこまれていった。

 ようやく部隊が停止したとき、あたりには、吐き気を催すような肉の焼ける臭いのなか、累々と黒焦げになった兵士が倒れ伏しているありさまだった。


 軍議が交わされる。


「くそっ、これでは近づけないぞ」

「いや、たとえヤツが大魔導師だとしても、しょせんは人だ。そんなに魔力が持つはずがない。かならず魔力が切れる」

「それまで時間をかせげばいい」

「弓だ、弓を持て」


 弓兵部隊が前面に出た。


「やれっ!」


 塔に立つ三人めがけて、雨のように無数の矢が放たれた。

 さすがに、三人が立つ位置まではなかなか届かない。

 指揮官はそれでもいいと思っていた。こうしている間に、ルビーチェの魔力が尽きれば、攻め込むことができるだろう。

 だが、そこで、


「ええぃ、おれがやる」


 名乗りを上げ、筋骨逞しい武人がひとり、いならぶ弓兵を押しのけて現れた。


「おおっ」

「魔力切れを待つなど、そんな悠長なことをいわず、あの魔導師を射殺せばいいだけの話ではないか?」


 彼は、王国一の弓使いとして名の知れた武人であった。

 武人は、彼にしか引けないといわれる強弓に、太い矢をつがえ、ぎりぎりと弓を引き絞る。

 人びとは固唾をのんで、それを見守っていた。


 ビョウンッ!


 一瞬の静止ののち、矢が放たれた。

 強弓の驚くべき張力によって推進された矢は、距離をものともせず、凄まじい速度で、一直線に飛んでいく。

 狙いは確かだ。

 その鋭い鏃は、塔の上に立ち、詠唱を続けるルビーチェの顔へと、あやまたずに突進する。


「獲った!」


 武人は確信した。


「おお、やったか?」


 だれもが、必殺の矢がルビーチェを射貫くことを疑わなかった。

 と、その時だ。

 ルビーチェの横に立っている姫が、そのたおやかな右腕を、ひょいと伸ばした。

 そして、放たれた勢いを失わずに飛んできた、その太い矢を、横からさっと掴み取ってしまったのだ。

 それはまるで、野の花を摘みとるような、そんな優雅な動作だった。


「ばっ、ばかなっ!」


 見る者すべてがあっけにとられた。

 自分の目が信じられない。

 矢を放った武人も、あまりのことに口をあんぐり開けていた。

 そして、ルビーチェも、驚いた顔をして、姫をまじまじと見た。

 グレンが可笑しそうに、言った。


「おい、ルビーチェ、どっちが護られてるのか、わかりゃしないな」


 姫は、にっこり笑って、


「ルビーチェさま、これまでのお返しに、わたくしがあなたをお護りいたしますわ」

「いや……なんといって……姫……」


 ルビーチェはうろたえて言葉が返せない。


「それにしても、ルビーチェさまを狙うなんて、あの男、許せませんね」


 そういうと、姫は、掴み取った矢を持ちかえると、美しい指に挟んで、ぽんと放った。

 軽く投げたように見えたが、矢は、どのような力が働いたものか、みるみる加速し、風を切る音を立てながら、稲妻のような速さで飛来し


 ドズッ


 武人の金属の鎧を、やすやすと貫いた。

 武人は、強弓を取り落とし、絶命してその場に倒れ伏したのだった。

 


90)


 この場合、本来なら、軍に動員されている魔道士たちも参戦し、魔法による攻撃をかけるところであろう。ルビーチェの炎の魔法を打ち消すような技を使ったり、あるいは氷柱の槍アイスジャベリンのような遠隔攻撃のできる魔法を使うなど、魔道士の使いどころは確かにあった。

 だが、そうすることができなかった。

 彼らは全員、あるのために忙殺されていたのである。

 大勢の人夫を使い、たいへんな労力を払ってここまで運んできた、あるもの。

 それを使うためには、動員された魔道士全員の魔力でかからねばならなかった。

 そのために彼らは、戦いに加わらず、温存されていたのだった。

 今、そのものは、本陣のわきにおかれており、戦況によって起動の準備が始められようとしていた。

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