第45話 塔

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 ゾト——穢れの谷から王国を守るため、領土の最西部に位置する城塞都市。

 アラハン——王国を東から西に走る街道と、大河が交わる地点にあるため、王国の物流の要衛となっている、水濠城市。

 この二つの都市を結ぶ街道より北部にあたる地域は、北の急峻な山脈の裾野から始まる、草原地帯となっている。

 その広大な平原のなかに、塔はポツリと建っていた。

 古い、古い塔である。

 日干し煉瓦を積み重ねて造られたその塔は、おそらくいにしえの時代には、天を衝いて高く聳え、周囲を睥睨していたことであろう。塔の周りには、大勢の人びとが暮らしていたのだろう。しかし、今そこには、人の姿はない。

 かつて壮麗であったはずの塔は半ば崩れていた。上部は倒壊し瓦礫となって散乱した。かろうじて今も残る基部は、獣や魔が隠れ家として利用し、昼間でさえ人々は恐れて近づくことのない、危険な廃墟と化していたのだ。

 ブラーナの塔とはそんなところであった。


「なぜ、あんな場所を?」


 打ち込まれた矢文の文面を読んだ者たちは、みな、訝った。

 戦において、その場を拠点とすることに、なんの利点も見出せなかったのだ。特に、このような大軍を相手にする状況で、周辺に何もなく、兵に容易に包囲され、防御もできない、そして逃げ道もないようなブラーナの塔を指定してくるなど、軍事的に正気の沙汰とは思えない。


「もはや勝ち目がないとして、華々しく散るつもりなのか? それとも、あの地に我々の知らない秘策があるのだろうか?」


 あまりのことに、知謀の働くものほど、戸惑い、疑心暗鬼に囚われた。

 しかし、もしこの様子を目にしたら、グレンは大笑いしたであろう。

 そして、高らかに、こう告げたはずである。


「ばかめ、秘策などあるものか! おれはな、自分が、邪魔されずに思う存分暴れられる場所を選んだだけさ」

と。


 指定された決戦の場所以外にも、矢文には、それを目にした者の動揺を誘う要因があった。


「モルーニア」


 もちろん、この署名である。


「おい、姫が、生きているのか?」

「まさか、そんなことが……」

「これはルビーチェが、姫の名をかたっているのだ」

「おお、そうだな、きっとそうだ」


 などと囁きあう。

 アルベルトのみは、あの矢文が姫の手になるものであることを確信していた。


(なんというしぶとさだ)


 今、どのような状態でいるのかそれはわからないが、姫はまだ生きている。


(おそろしい娘だ……そして、忌々しいあのルビーチェ)


 姫をこんどこそ完全に抹殺することが、自らが王として権勢を握り続けるための絶対条件であることを、アルベルトは理解している。

 だからこそ、ここで叩き潰すしかない、どれだけの犠牲を払っても、だ。


 アルベルト以外の者たちは、そこまでの理解はなかった。

 追い詰められたルビーチェが、玉砕覚悟で、姫の名を騙り、死に場所を求めた——そういう結論で、彼らは自らを納得させていた。

 しかし、もしも姫が生きて無事でいるのなら……自分たちの王に突きつけられた、「許されざる簒奪者」その非難は正しいのだ。

 だが、今更、どうしようがあるのか。

 アルベルトの命に従い、ここまで来た以上、我々も、もはやこの道を進むしかないのだ。

 姫はいない。ルビーチェのはかりごとだ。

 だが、それでも万が一、姫が……。

 一抹の不安を抱えつつ、アルベルトの軍勢は、進軍していく。

 街道を外れ、草原に踏みこんでいった。

 人夫のひく巨大な荷車にとって、街道を外れることの困難さははかりしれない。

 しかし、アルベルトから厳命されている

 深い轍をのこし、なんども立ち往生しながら、進んで行かざるをえない。

 過労に倒れる者、荷台の傾きに巻き込まれ潰される者、多くの犠牲者をだしつつ、それでも進んでいく。

 簒奪王アルベルト軍は進む。

 決戦の地、ブラーナの塔を目指して。

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