第44話 通告

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 街道を進軍する、簒奪王アルベルトの軍勢。

 その数は、一万を超えていた。

 やがて陽が傾き、野営の時となる。

 幕舎が設営される。

 行軍の決まり通り、不寝番に当てられた兵士が、警戒に立つ。

 しかし、夜が更けていく中、彼らに緊張感は見られなかった。


「ああ、眠いな……」

「そうだな」


 弛緩した見張りの眠気覚ましに、私語を交わしている。


「あっちはいいけどな」


 そういって、一人の兵士がふりかえる。

 その視線の先、兵力で幾重にもまもられた軍勢の中央部には、早々に陣幕が張られ、そこでは簒奪王アルベルトが、行軍中であっても、帯同した料理人による贅を尽くした料理を食べ、居心地の良い寝床で休んでいる。


「なあ、俺たちの相手は、魔導師ルビーチェさまと、その助っ人だっていう、グレンとかいう名前の、戦士だけなんだろ?」

「うむ、そう聞いている」

「なら、どうして、こんな大げさな……」


 腑に落ちない、という声だ。

 なにしろ、王都から動員可能なほぼすべての兵力が駆り出されている。


「そんなに、その二人がこわいのか? いかに大魔導師といっても、たった一人じゃあ……。魔道士ならこちらにもずらりと並んでいるじゃあないか」

「そうだな。魔道士全員に従軍命令がかかったらしい」

「魔導師は、なんだかんだいっても、魔力が尽きればただの人だ。どんな大魔導師だって、これだけの軍勢相手に、魔力が持つわけがない。なあ、そうだろ」

「だよなあ」

「その得体の知れない戦士だって、一人でなにができるっていうんだ。力で勝負だって言うんなら、こちらは万の軍勢だぞ」

「まあ、あれだな……大軍勢でひねりつぶして、今後逆らうやつがでないように、見せしめにしたいんだろうなあ……」


 しばしの沈黙。

 どこか遠くで、夜鳥が鳴いた。


「なあ」

「なんだ?」

「ルビーチェさまと、そのグレンというやつは、姫さまの身体をぜんぶ取り返した、って聞いたが」

「おお、そういう話だ」

「……どうなんだ」

「なにがだ」

「ルビーチェさまが、魔法で、姫を元に戻すって噂は……そんなことできるのか?」

「さあ……? おれなんかには分からんが、どんな魔法でもあんなバラバラになったものを、元通りにするなんて、な。これまでに聞いたこともないぞ、そんなの」

「だよなあ」

「それに、ゾトの町に晒された姫の身体は、とっくに腐ってたっていうぞ……青黒く腐って、グズグズになってたそうだ」

「うえっ……そりゃどう考えても無理だな」

「ああ、無理だろう」


 また、沈黙。

 兵の一人は、以前に、遠くからちらりと見た姫の姿を思い出していた。

 今は亡き王と、王妃の間に立ち、新年を言祝ぐためにあつまった民の前で手を振る、可憐な姿を思い出し、そして、その後の姫の悲運を思い、悲しい気持ちになった。

 だが、一兵卒である彼にできることはなにもなく、そして今も、おそらく姫の仇を取ろうとしているルビーチェを葬るために、こうして従軍させられているのだった。


 ヒュウゥーゥ


 そのとき、なにか黒く大きなものが、夜の闇にまぎれ、風をまいて、彼らの上を通過していった。

 その黒いものは、流れるように滑空し、何者にも妨げられることなく、陣幕の奥まで到達した。


「うわわわーっ!」


 とつぜん、野営の地に大きな叫びが響き渡った。


「なんだっ!?」


 見張りの兵士が、驚愕して、声のした方に目を向ける。

 それは、陣幕の奥、王の天幕から聞こえた。

 簒奪王アルベルトの悲鳴であった。

 たちまち、人びとが騒ぎだし、あたりが明るくなる。


「敵襲か!?」

「急げっ!」


 狼狽し、騒ぎ立てる兵士たち。

 あるものは、敵襲を警戒し、槍をかまえて、周囲を見回す。

 しかし、悠々と上空をとびさる黒いものの姿に気がついたものはいない。

 護衛の者、側近たちがあわてて駆けつけると、簒奪王は、わざわざ運ばせてきた瀟洒な寝台の上で、腰を抜かしていた。

 その目の前には、天幕を突き破って飛来した赤い矢が、突き立っていた。

 さきほどの侵入者が上空から投擲したものである。

 

「これは?」


 赤い矢に、矢文が結びつけられているのに、その場の者は気がついた。

 側近の一人が、おそるおそる手を伸ばし、矢文に触れる。


 バジッ!


「ギャッ!」


 火花が散って、側近は硬直し、そのままの姿勢で棒のように倒れた。


「うわっ、雷魔法だっ」

「魔導師をよべっ」


 矢文には、触れる者が感電するように雷魔法がしかけてあった。

 従軍魔導師が呼ばれ、かけられた魔法を解除する。

 もっとも、その強さは、命を奪うほどのものではない。言ってみれば、嫌がらせである。

 ようやく開くことができた矢文には、流麗な文字で、こう書かれていた。


「 許されざる簒奪者に告ぐ


  ブラーナの塔にて待つ

 

  モルーニア 」


 「そんな、ばかな……」


 誰かがうめいたが、その筆跡がまぎれもなくモルーニア姫のものであることを、アルベルトは戦慄とともに悟っていた。


 

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