第44話 通告
83)
街道を進軍する、簒奪王アルベルトの軍勢。
その数は、一万を超えていた。
やがて陽が傾き、野営の時となる。
幕舎が設営される。
行軍の決まり通り、不寝番に当てられた兵士が、警戒に立つ。
しかし、夜が更けていく中、彼らに緊張感は見られなかった。
「ああ、眠いな……」
「そうだな」
弛緩した見張りの眠気覚ましに、私語を交わしている。
「あっちはいいけどな」
そういって、一人の兵士がふりかえる。
その視線の先、兵力で幾重にもまもられた軍勢の中央部には、早々に陣幕が張られ、そこでは簒奪王アルベルトが、行軍中であっても、帯同した料理人による贅を尽くした料理を食べ、居心地の良い寝床で休んでいる。
「なあ、俺たちの相手は、魔導師ルビーチェさまと、その助っ人だっていう、グレンとかいう名前の、戦士だけなんだろ?」
「うむ、そう聞いている」
「なら、どうして、こんな大げさな……」
腑に落ちない、という声だ。
なにしろ、王都から動員可能なほぼすべての兵力が駆り出されている。
「そんなに、その二人がこわいのか? いかに大魔導師といっても、たった一人じゃあ……。魔道士ならこちらにもずらりと並んでいるじゃあないか」
「そうだな。魔道士全員に従軍命令がかかったらしい」
「魔導師は、なんだかんだいっても、魔力が尽きればただの人だ。どんな大魔導師だって、これだけの軍勢相手に、魔力が持つわけがない。なあ、そうだろ」
「だよなあ」
「その得体の知れない戦士だって、一人でなにができるっていうんだ。力で勝負だって言うんなら、こちらは万の軍勢だぞ」
「まあ、あれだな……大軍勢でひねりつぶして、今後逆らうやつがでないように、見せしめにしたいんだろうなあ……」
しばしの沈黙。
どこか遠くで、夜鳥が鳴いた。
「なあ」
「なんだ?」
「ルビーチェさまと、そのグレンというやつは、姫さまの身体をぜんぶ取り返した、って聞いたが」
「おお、そういう話だ」
「……どうなんだ」
「なにがだ」
「ルビーチェさまが、魔法で、姫を元に戻すって噂は……そんなことできるのか?」
「さあ……? おれなんかには分からんが、どんな魔法でもあんなバラバラになったものを、元通りにするなんて、な。これまでに聞いたこともないぞ、そんなの」
「だよなあ」
「それに、ゾトの町に晒された姫の身体は、とっくに腐ってたっていうぞ……青黒く腐って、グズグズになってたそうだ」
「うえっ……そりゃどう考えても無理だな」
「ああ、無理だろう」
また、沈黙。
兵の一人は、以前に、遠くからちらりと見た姫の姿を思い出していた。
今は亡き王と、王妃の間に立ち、新年を言祝ぐためにあつまった民の前で手を振る、可憐な姿を思い出し、そして、その後の姫の悲運を思い、悲しい気持ちになった。
だが、一兵卒である彼にできることはなにもなく、そして今も、おそらく姫の仇を取ろうとしているルビーチェを葬るために、こうして従軍させられているのだった。
ヒュウゥーゥ
そのとき、なにか黒く大きなものが、夜の闇にまぎれ、風をまいて、彼らの上を通過していった。
その黒いものは、流れるように滑空し、何者にも妨げられることなく、陣幕の奥まで到達した。
「うわわわーっ!」
とつぜん、野営の地に大きな叫びが響き渡った。
「なんだっ!?」
見張りの兵士が、驚愕して、声のした方に目を向ける。
それは、陣幕の奥、王の天幕から聞こえた。
簒奪王アルベルトの悲鳴であった。
たちまち、人びとが騒ぎだし、あたりが明るくなる。
「敵襲か!?」
「急げっ!」
狼狽し、騒ぎ立てる兵士たち。
あるものは、敵襲を警戒し、槍をかまえて、周囲を見回す。
しかし、悠々と上空をとびさる黒いものの姿に気がついたものはいない。
護衛の者、側近たちがあわてて駆けつけると、簒奪王は、わざわざ運ばせてきた瀟洒な寝台の上で、腰を抜かしていた。
その目の前には、天幕を突き破って飛来した赤い矢が、突き立っていた。
さきほどの侵入者が上空から投擲したものである。
「これは?」
赤い矢に、矢文が結びつけられているのに、その場の者は気がついた。
側近の一人が、おそるおそる手を伸ばし、矢文に触れる。
バジッ!
「ギャッ!」
火花が散って、側近は硬直し、そのままの姿勢で棒のように倒れた。
「うわっ、雷魔法だっ」
「魔導師をよべっ」
矢文には、触れる者が感電するように雷魔法がしかけてあった。
従軍魔導師が呼ばれ、かけられた魔法を解除する。
もっとも、その強さは、命を奪うほどのものではない。言ってみれば、嫌がらせである。
ようやく開くことができた矢文には、流麗な文字で、こう書かれていた。
「 許されざる簒奪者に告ぐ
ブラーナの塔にて待つ
モルーニア 」
「そんな、ばかな……」
誰かがうめいたが、その筆跡がまぎれもなくモルーニア姫のものであることを、アルベルトは戦慄とともに悟っていた。
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