第43話 選択
81)
街道を西に進む大軍勢。総兵力は一万を越えている。
その最後列で、大勢の人夫たちに曳かれて進んでいる巨大な荷車。
「いかん、危ないぞ!」
街道の、路面の一部が轍によって深くえぐれている箇所に、今、巨大な車輪のひとつが、避けきれずにはまりこんだ。
ガクン!
荷台が傾き、激しく揺れた。
ベリベリベリ!
そのとたん、バランスが崩れたのだろう、積み荷の一部が、覆い布を突き破って、はみ出した。
それは、まるで棘のある昆虫の腕のような、金属の光沢と節をもった、人の胴体ほどの太さの、なにかである。
「まずいぞ! 停まれ!」
事態に気がついた、従軍している魔導士たちが、あわてて荷台の周りに集まる。
人夫や兵士を荷車から下がらせ、魔道士は荷台をとりまくようにして、いっせいに呪文の詠唱をはじめた。
よほどの大魔法なのであろうか、魔道士たちは目を血走らせ、汗をだらだらと流しながら、必死で呪文を唱えている。
やがて
ピクリ
その突き出した何かが、痙攣するように動いた。
ビグッ!
先端部のかぎ爪のようなものが、ぐうっと折れ曲がる。
詠唱の声がいちだんと高まり、そして、ぶるぶる震えながらその金属の触手のようなものは、覆い布の中に引き込まれた。
「よし、やった!」
詠唱を終えた魔道士の何人かは、精根尽き果てたように、その場にへたりこんだ。
「もう大丈夫だ。さあ、荷車を轍からひきあげろ」
指示が飛び、人夫が再び荷車にとりつき、力を入れた。
しばしののち、なんとか準備が整って、行軍は再開される。
疲れ果てた魔道士がその後に続く。彼らは当分、使い物になりそうにない。
82)
洞窟の中である。
今、ここにいるのは三人。
三人は車座になって、相談をしている。
いや、これは三人と言うべきなのかどうなのか。
モルーニア姫、ルビーチェ、グレンの三人なのだが、姫のそばにひかえるルビーチェは、まあ、一人と数えて良いだろう。
剣を脇に置いて、あぐらをかいているグレンはどうか。この男は、本当に人の範疇にはいるのか。
そして、ルビーチェの隣に、横座りをしているモルーニア姫。その身体に流れる魔の血が活性化された結果、姫はいま、黒い翼と、牙と、鱗と獣毛を身体のいちぶに持った、半人半魔の姿であった。そのような姿であっても、姫の美しさは変わりがなかった。いや、むしろ、ヒトをこえた美を湛えていたのだ。
その姫は、今、
「「「アイッ!」」」
キノコ人間たちが、洞窟のどこかから運び出してきた、鎖鎧のようなものを身にまとっている。いったいどれほど前のものなのか、そしてだれがこれを身につけていたものなのかはわからないが、その見知らぬ金属でできた防具は、あつらえたように姫の身体を覆ったのだ。
「姫……」
ルビーチェはうなだれ、消沈している。
「すまない……えらそうなことをいったのに、おれには姫の身体を元通りにすることさえできず……」
「あら、ルビーチェさま、あなたは立派にわたくしの首をつないでくださいましたわ」
と、姫は、微笑みながら言った。
「いやっ、そういうことではない、その魔物の部分を——」
ルビーチェは、つよく首を振った。
「姫の身体から取り去ることがおれには……」
「ルビーチェさま、これはこれで、わたくしは……それとも、こんな姿のわたくしはお嫌いですの?」
「そっ、そんなわけがない。姫の美しさはいつだっておれを」
言下に否定したあと、自分の言葉に気がついて
「い、いや、好きとか嫌いとか、なにをいうんだ、モルーニア姫」
あわてるルビーチェ。
そして、はっと思いついたように、グレンに顔を向けた。
「おい、グレン」
グレンは、ルビーチェの様子を可笑しそうにみていたのだが、
「なんだ?」
「お前ならできるんだろう、姫をもとの姿にすることが!」
ルビーチェはグレンに頭を下げ、
「たのむ、やってくれ! どうやったらできるのかはわからないが、たのむ」
グレンは優しい目でルビーチェをみて、
「まあ、できることはできるんだが……」
「おおっ、よしやってくれ、今すぐだ!」
いきおいこむルビーチェに
「いま、ここでそれをすべきかどうか……」
「はあっ? いまさら、なにを言ってるんだグレン?」
グレンは、気色ばむルビーチェを平然といなして
「ルビーチェ、まあ落ち着け」
「だから!」
姫も、おだやかな口調で、
「そうですわ、ルビーチェさま、お気持ちはうれしいですが、急いては事をし損じるといいますわよ」
ルビーチェは、姫の言葉にあっけにとられた。首を振って、
「なんだこの状況は……」
とぼやく。
「ルビーチェ、まあ聞け。アルベルトだ」
「あのクソ野郎がどうした」
「あの男、さすがに焦っているんだろう、軍勢を率いて、こちらに向かっているぞ」
「なにっ」
「かなりの大軍だ。おそらく動員できる兵力をぜんぶ投入している」
「なぜわかる……と、まあ、お前にそんなことを言っても無駄か」
ふん、とグレンは鼻を鳴らし
「なにしろ、姫が無事なら、正当な王家の後継者はこちらだからな。時間をかけたら、姫の元に結集する者たちもいるだろう。その前に、俺たちを一気におしつぶして、片を付けるつもりなんだ」
「くそっ、そうはさせるか」
ルビーチェは、怒りに歯がみした。
「そこでだ」
と、グレン。
「おれたちは、これからどうすべきかを決めなくてはならない。幾つかの選択肢がある」
ルビーチェと、姫の顔を交互に見て、言った。
「ひとつは、逃げることだ。この地を離れるのだ。ルビーチェ、お前がそばについていれば、どこにいっても姫をまもれるだろう、二人で、平和に暮らせるところまで逃げのびるんだ」
「ううむ……」
ルビーチェはうなった。その可能性を、そのルートを検討してみているのだろう。
さらにグレンは続けた。
「さもなければ、戦うことだ。まあ、時間をかけて、味方をふやしていけば、たぶん、いつかは勝てるだろう。ただ、この場合、時間が勝負だと向こうもわかっている。そうはさせまいと一気にかかってきているわけだから、悠長に時を稼ぐわけにもいかないだろうな」
「となると……ここで戦うのはやはり得策ではないか……」
ルビーチェが難しい顔をして言った。自分一人なら、結果がどうあれ、憎むべき簒奪者と戦うことにやぶさかではないが、なにより姫を護らねばならない。
グレンがニヤリと笑っていった。
「おいおい、だれが時間をかけなきゃいけないといったんだ」
「ん?」
「
「なんだって?」
「もちろん、正面からぶつかって、お前の魔法と、
「おい、グレン、無茶言うなよ! あいつが全兵力で来てるなら、どう少なく見積もっても千人、いや万単位の軍勢じゃないのか」
声を上げるルビーチェに、グレンは事もなげに言う。
「なに、どうってことないだろ、それくらい」
「グレン……お前ね……」
そのとき、姫が不思議そうにきいた。
「グレンさま、先ほどからおれたち、おれたちと仰っておられますが、シャスカさまはどこにいらっしゃいますの? お姿が見られないのですが。もしやシャスカさまに何かあって……?」
「ああ、姫様、まだ、
グレンはそう言うと、傍らに置いてあった剣を取り上げた。
巨漢のグレンがふるうにふさわしい、長大な剣である。
刀身は鋭く、そして底知れぬ力を秘めて、赤黒く光っていた。
「実はこいつが、姫様、シャスカなんですよ」
82)
「えっ?」
剣がシャスカであるというグレンの言葉に、姫が驚いて聞きかえす。
「それは、いったい、どういうことですの?」
「信じられないかも知れませんが、シャスカの実体は、魔剣『鏖殺の剣』なんです。『鏖殺の剣』とは、意思をもった超絶の剣です。普段は、こいつは人間の姿をして、好きなように動き回っています。まあ、自由に動きすぎて、おれはいつも苦労させられているわけですがね」
と、グレンは苦笑しながら続けた。
「おれとシャスカは、人知を超えた力によって、かたく結びつけられているんです。だから、定められた時が来ると、シャスカは剣に変じて、おれはそれを振い、おれたちに刃向かうものを叩き潰すんですよ」
「そんな……」
姫はなおも信じられないようだった。
ルビーチェも驚愕の顔つきだ。彼もまた、姫を救うことに夢中で、シャスカが剣に変じるところを見ていなかったのだ。
「シャスカが、『鏖殺の剣』だって……それでグレン、お前は、西に野暮用があると」
「そうなんだよ。シャスカはな、おれたちに負わされた定めが嫌いなんだ。それで隙あらばおれから逃げようとする。おれはそれを追いかける。ようやくここで追いついたってわけだ」
「ああ……そんな。もしそうなら」
姫が困ったように言った。
「わたくし、シャスカさんにたいへんお世話になったのに、お礼もまだすんでおりません。このままでは、どうやってその恩に報いることができるのでしょうか……」
「大丈夫ですよ、姫様。今、シャスカはおれと一体です。姫様のお気持ちは、ちゃんとシャスカに伝わっておりますよ」
「それでも……」
「なあ、グレン、お前、いったい、何者なんだ?」
ルビーチェが言う。
「んん……おれにも実はよくわからんのだ。気がついたらこうだったからなあ……自分が人であるかも自信がない。まあ、天が指す将棋の駒なのかもしれんな」
内容の深刻さとはうらはらの、のほほんとした顔でグレンは答える。そして続ける。
「それよりも、どうする、お二人さん。逃げるか、戦うか。二人で決めてくれ、どちらにせよ、おれはそれを助ける」
姫とルビーチェは顔を見合わせた。
ルビーチェは思案をめぐらせた。いかに、グレンの手に鏖殺の剣があるとはいえ、相手は一国の兵力なのだ。姫の安全を絶対に護ることを優先するのであれば、ここは——。
しかし、
「あの——」
ルビーチェが口を開く前に、姫が言った。
「できることならば、わたくしは、あの男に一矢報いたいのです。わたくしのお父様を弑逆したあの男に——」
その口調は強い決意に充ちていた。
「グレンさま」
と、グレンの目を正面から見て、言った。
「シャスカさまから、あなたは一人で一国をも滅ぼせるお方と、お聞きしました。わたくしはシャスカさまの言葉を信じます。グレンさま、あの男の軍勢をうちたおすために、わたくしたちに助力してくださいますか」
「おお、任せてください!」
グレンは嬉しそうに、笑った。
「おれは、ルビーチェ殿に会った、最初のときからそのつもりでしたよ、シャスカももちろん同じように思ったから、姫さまのそばにとどまっていたんですよ」
「ありがとうございます、グレンさま。でも……」
姫は、不思議そうに言った。
「どうしてそこまで、わたくしたちのためにしてくださいますの?」
「ああ、それですか」
グレンは、また、笑って言った。
「まあ、ルビーチェ殿のお気持ちにほだされたといっておきますか」
「ルビーチェさまの?」
「そうです。ルビーチェ殿の、姫さまへの——」
「おい、グレン、それ以上言うな!」
ここまで置き去りにされていたルビーチェが、あわてて割り込む。
「いいじゃないか、いまさら。お互いに」
と、ニヤニヤしながらグレンは言ったが、すぐに真面目な顔に戻り、
「では、戦うということでいいんだな」
「はい」
「ああ……」
姫の返事は躊躇いがなかった。
ルビーチェの返事は、まだ、不承不承という気配が残っていた。
「姫がそうしたいのなら、おれは従うまでだ。でも、万一、姫の身に危険がおよびそうになったら、そのときは——」
「ああ、好きにすればいい」
グレンは答え、そして続けた。
「戦うということであれば、姫には、もうしばらく、今のままの状態でいてもらったほうがいい」
「どういうことだ、グレン」
訝るルビーチェに、グレンは、これからの作戦を説明した。
姫は、ニコニコとそれを聞いている。
そんな彼らの周りを、キノコ人間たちが取りまいている。
「「「……ァィィ……」」」
まるで、尊きものを礼拝するかの如く。
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