第41話 魔気の中心
77)
街道を、土埃を立てながら行軍しているのは、簒奪王アルベルトにより招集された兵士たちであった。
騎士たちも、魔導師たちも行軍に従っている。
まさに、王国の全兵力が動員され、そして西へと向かっているのだった。
そして、兵士たちのあとに続く、大勢の人夫に曳かれた巨大な荷車があった。
布によって覆われているため、それが何かは分からない。
しかし、荷車は街道の石を砕き、深い轍を刻んでいく。
運ぶ人夫たちの汗だくの姿。
よほどの重量があるものに違いなかった。
78)
「やはり、ここが中心だな……」
と、ルビーチェがいい、グレンもシャスカもうなずいた。
ここ——すなわち、今まさに姫の首が置かれている祭壇である。この地に満ちる魔気はそこから噴流のように溢れ出ていたのだ。
大地に流れる地脈のネットワークが合流する、禁忌の場所。ここは世界にいくつかある、そんな地点の一つなのであろうか。
魔気は滴るばかりに濃く、常人などはひとたまりもなくその力に飲み込まれて、命を失うであろう。
しかし、今、ここにいる者たちは、すべて並の人間ではなかった。
ルビーチェはその卓越した魔法の技と精神の力で、魔気に抗していた。もともと魔法は、魔気とは相性がいいため、その扱いには長けているのだ。
驚くべきは、グレンとシャスカである。
この二人は、魔気に対抗するなんの技も使うことなく、平然と、圧倒的な魔気の中に立っていた。空気でもあるかのように、魔気を問題にしていない。本当にヒトであるのか、疑わしいありさまである。
そして、モルーニア姫。
この場にいる者の中では、もっとも脆弱であるはずの姫も、けして魔気に損なわれてはいなかった。むしろ魔気を取り込み、活力を得ている気配さえあった。ルビーチェの魔法が姫を護っていることもあるだろうが、やはり、姫の身体に流れる魔の血が、大きく働いているのだろう。
だが、
(問題は——)
と、ルビーチェは内心で考える。
今からルビーチェは、姫の首と身体を繋ぎ、さらにあの翼や鱗を取り去り、本来の姫に戻す、復元の魔法を使うつもりだ。
復元の魔法は、大量の魔力を必要とする大魔法である。いかなルビーチェといえども、保持する魔力量の大半を消費してしまう。まともにやったら、そのあと、不足の事態が起きても、もうどうにもならなくなる。
そこでルビーチェは、この場に満ちる魔気を逆用することにした。無尽蔵に湧き出てくる魔気を、魔力に転換し、その力を使って、姫を復元するのだ。
これなら、自らの魔力を使い果たすことがなく、何かが起きても、次の手が打てる。
だが、姫をもとの姿に復元したその瞬間に、ルビーチェの護りの魔法が解けるのだ。その時、なまみの姫は、この魔気の中に、無防備に晒されることになる。
そこで、すかさず姫を護らなくてはならない。
細心の注意と、間髪入れない動きを必要とする。
ルビーチェの魔導師としての人生において、これほど困難な、そして責任の重い業はなかった。
しかしやるしかないのだ。
ルビーチェは、姫の体を引き寄せ、祭壇の上に横たわらせた。
そして、その首を、そっと持ち上げ、姫の、かたちのよい胸の上にのせた。姫の両腕が、ゆっくりと上がり、自分の首をその位置でささえた。
ルビーチェは、魔導師の杖で、祭壇を中心として洞窟の床に魔法陣を描き始めた。絶え間なく呪文がルビーチェの唇から発せられ、その呪文が杖の先に流れ込み、そして岩の床に、赤く輝く、幾何学的な魔法陣が刻まれていった。直線や曲線で分割された魔法陣のそれぞれの区画では、古代文字が生き物のようにゆらめいていた。それぞれが、小さな魔法要素を構築し、そして組み合わさっていくことで、大魔法が成立するのだ。
グレンとルビーチェは、黙ってその様子を眺めている。
「できたぞ!」
やがて、ルビーチェが声を上げた。
洞窟の中に、複雑精妙な魔法陣が構築され、真紅の輝きを放っていた。その中心部では、横たわる姫の身体に、麗しい姫の首。姫は目を閉じていたが、ここでパッとその目を開けて、ルビーチェを見た。
「姫さま」
ルビーチェが、力をこめて言った。
「ひどい目に合わせて申し訳なかった。今から、俺の全ての力を使って、姫さまをもとの姿に戻します。どんなことがあっても、なんとかしますから」
モルーニアは、そんなルビーチェに優しく言うのだった。
「ルビーチェさま、いつもありがとう。でも、無理はなさらないで」
ルビーチェの決死の覚悟を感じとっている姫は、続けた。
「あなたの命の方が、わたくしには大事ですから」
「姫さま……」
二人はしばし見つめあった。
そんな二人をグレンとシャスカは傍で見ながら、小声で言った。
「おい、なかなか、いい雰囲気だな」
「失礼だぞ、グレン」
「ははは」
グレンは声を出さずに笑った。
すぐに笑みを消すと、ふっと厳しい顔になり、
「だが、シャスカ」
「ああ、わかっている、やむを得ない」
「お前、最初から分かれよな」
「だから、嫌なんだよ」
二人がそんなことをコソコソ話しているうちに、
「では、始めます、姫さま……」
ルビーチェが表情を引き締めて、宣言した。
79)
「四大よ、応えよ、魔導師ルビーチェの名において呼びかける、その全霊の声に……」
ルビーチェの詠唱が始まる。
魔法陣の輝きがその強さをまし、そして発せられる光が、柱のように立ち上がると、渦となり回転を始めた。
いかなる仕組みなのか、床に描かれた魔法陣自体もゆっくりと回転する。その向きは、光の渦の向きとは逆方向であり、魔力がその間でギリギリと捻られて集中していく。
その引き絞られた焦点にあるのが、姫の首である。
姫の長い金色の髪が、ふわりと持ち上がった。
その目がカッと見開かれた。
瞳孔が全開になっている。
「う、う、うおおおおおおん!」
姫の首から雄叫びが吹きこぼれた。
(姫! 耐えてくれ)
ルビーチェはそう声をかけたいが、今は詠唱を止められない。
(ぐううう!)
空間に満ちた魔気が、怒濤のようにルビーチェにながれこむ。ルビーチェは力をふりしぼり、それを魔力に転換し、
(この魔力によって、姫の身体を復元していくのだ……!)
だが
(んんんっ? うぁっ! ま、まずい!!)
魔気の強さは、ルビーチェの想定をさらに超えていた。無尽蔵に湧き出してくる魔気を転換しきれない。溢れた魔気が、ルビーチェの身体を、精神を、鋭い刃のようにさいなみ、傷をつけていく。
ただそれだけならまだルビーチェに耐える覚悟はあった。自分の傷などなにほどのこともない。
だが、転換しきれなかった魔気が、そのまま、モルーニア姫に流れ込み始めたのだ。姫の身体に流れる王家の血、そしてこの洞窟に来てから摂取した魔の肉と酒、姫の身体には魔気にたいする親和性が、これ以上ないくらいに高まっていた。
噴き出した魔気は、モルーニア姫という器に惹かれ、もはやルビーチェを経由することなく、そのままの、いわば生のかたちで、どんどんモルーニアに注ぎ込まれていった。
「ごおおおおおおおおおおうううう!」
モルーニアが吠える。
弾かれたように、身体のバネだけで立ち上がった。
漆黒の翼が、薄絹を突き破り、大きく羽をひろげた。
その右手は、今も叫び続ける姫の首を、髪を掴んでぶら下げている。
右手が持ち上がり、首を高々と掲げた。
姫の目が光る。
そして、左手が添えられ、首を本来の位置に置いた。
ビカリ! ビカリ!
その瞬間、稲妻のような青白い光が、姫の身体にまとわりつく。
何匹もの輝く蛇がからみついたようだ。
おおおおおおおおおーーん!
光の蛇が去ると、両手を突き上げ、顔をそらし、口をばっくりと開いて、姫は雄叫びをあげた。その口には鋭い牙がのぞいていた。
そうだ。たしかに、首は元通りにつながった。
ルビーチェの魔術はその意味で成功したのだ。
だが、その結果、生まれるのは、姫なのか。それとも——。
蝙蝠のような、毛の生えた翼が、バサリ、バサリとはためく。
魔気は際限なく姫に流れこんでいく。
薄絹が破れて落ち、剥き出しとなった白い姫の身体が、黒いものに覆われ始める。
「だめだ、これではだめだ!」
ルビーチェは叫んだ。
首はつながったが、姫にしみこんだ魔気がそのままだ。
このままでは、姫が完全に魔に変じてしまう。
(どうする?)
ルビーチェの脳裏で、必死の思考が走った。
この過程をとどめるためには、姫に流れこむ、この魔気の流れを、絶つしかない。
例え、自分の命が失われようとも、この身をもって魔力の盾となり、姫に流れこむ魔気を遮断するのだ。
覚悟をきめたルビーチェは、新たな魔法の詠唱を始める。
命がけの魔法である。
これほどの魔気の流れを、この自分の存在ひとつで、一気に遮断するのだから、その反動がどれほどのものになるのか、想像もつかない。大瀑布を身体をはって止めようとするようなものなのだ。
たぶん、おれは生きていられないだろう。
しかし。
もはや、その先のことを考えている場合ではない。
いま、やるしかないのだ。
「姫っ、今、助けるぞ!」
ルビーチェが、自らの全存在を盾へと変えて、姫の元に飛びこもうとしたその時、
「待て」
ルビーチェの肩が、グレンの力強い手に掴まれた。
その膂力に、とびだそうとしたルビーチェは、一歩も動けない。
「いかせろ! モルーニアはこのままでは!」
グレンに制止され動けないまま、ルビーチェは身もだえして叫んだ。
「大丈夫だ、
グレンが静かに言った。
ふりかえると、グレンの右手には、いつのまにか大ぶりな剣が握られていた。
黒い束、深紅の鍔、そして禍々しく赤黒い刀身。
異形の剣である。
「グレン、お前、その剣は——」
これこそが、<鏖殺の剣>であった。
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