第40話 首と身体

75)


 ルビーチェは、姫の首の前に膝をついて、うめくように言った。


「すまない、姫。おれの力がおよばず、こんなことになってしまって……」


 姫は、静かに答えた。


「ルビーチェ様。あなたは、いつも、わたくしのために……。申し訳ないのはわたくしのほう。もう、わたくしのことなど放っておいて、どこか安全なところに逃げて下されば良かったのに……」

「そんなことができるわけがない、姫をおいて逃げるなど」

「そうだな。なにしろこいつは、たった一人ですべてに立ち向かうつもりだったからなあ」


 と、横から言ったのはグレンである。

 その言葉に、姫の首は、この巨漢の戦士に目をむけて


「あなたが、グレン様ですね。お一人で一国を滅ぼすこともできるというお方……」

「ん……シャスカが適当なことをいったかな?」


 シャスカに目をやり、つぶやくと、姫に頭をさげた。


「お初にお目にかかります、姫様。そうです、おれは戦士グレン、そのシャスカとは腐れ縁の男ですよ」

「グレン様——」


 姫は、その澄んだ榛色の瞳で、グレンの目をまっすぐに見て、真摯な声で言った。


「ルビーチェ様に助太刀して下さって、ありがとうございます。わたくしの心よりのお礼を」

「はっ」


 グレンは照れたように


「いや、なに、ほんのついでというやつなんで、ね」


 と横をむいて答えたのだ。



76)


  

全員——つまり、姫の首と身体、ルビーチェ、グレン、シャスカは、いったん、洞窟の中に戻ることにした。


「アイッ!」

「アイッ!」

「アイッ!」


 そう決まると、輿の脇で膝を付き、ひかえていたキノコ人間たちが、以心伝心、皆の意をくんで、再度姫の首ののった輿を持ち上げ、


「アイッ!」

「アイッ!」

「アイッ!」


 足並みをそろえ、先頭をきって進んでいく。

 その後を、首のない姫の身体が、優雅に歩いて、ついていく。

 三人がその後に従う。

 麟足キンダリは、そんな一同を見送ると、自らのすべきことを終えたというふうに、くるりと向きをかえ、そして谷のどことも知れない場所に戻っていった。


 洞窟の奥で、姫の首は、再び祭壇の上に据えられた。

 その瞬間、姫の瞳が、カッと大きく見開かれ、


 ごおおおおおおおおおおぅ!


 姫の口から、あの咆吼がほとばしった。

 ぽっかりと開いた姫のみずみずしい唇の合間には、鋭く伸びた、白い牙がのぞいた。


「……すみません……」


 我に返った姫が、恥ずかしそうに言った。


「ここにきてから、こうなってしまうのです。なにか熱いものが突き上げてきて……」

「大丈夫だ、姫様」


 グレンが、その身体に似合わぬ、やさしい口調で言った。


「なぜそうなるか、もう分かっている」

「えっ?」

「王家の血にまつわる秘密があるのだ……」


 そして、四人は、それぞれが、ここまでの経緯を語った。

 姫は、谷に棄てられてから、キノコ人間たちによりここに運びこまれ、シャスカにであうまでのことを。

 シャスカは、街道を西に逃げながら見聞きしてきたこと、そしてここで姫の首をみつけてからのことを。

 ルビーチェは、隣国から、王位簒奪の知らせを聞き、姫を救うために駆けつけたところ、国境の森でアルベルトの手のものに包囲されて危機に陥ったが、そこでグレンに助けられ、そして姫の身体を奪還しながら、ここまでたどりついたことを。

 グレンはルビーチェの話を補足し、そしてさきほどの麟足キンダリとの会話で知らされた情報を姫に伝えたのだ。


「そんなことが! まさか我が王家にそのような由来が……」


 王家の始まりがこの穢れの谷であり、王家には魔の血が流れていると言うことを初めて知らされ、姫はおもわず驚きの声を上げた。


「姫様、だから、これは、あなたの中の、王家の血の為せるわざなのだ」

「……そうだったのですか。わたくしは知りませんでした……」


 姫は、はじめて知るその事実を、かみしめるようにいった。


「王家の先祖はこの谷から……半人半魔の」

「姫……」


 と、ルビーチェが、あらたまった口調で言った。


「はい」

「いまグレンが言ったように、姫の存在に、この穢れの谷の魔気が共鳴して、影響を及ぼしている。それは、姫の身体にも変化をもたらしているんだ」

「?」

「たぶんひどい衝撃を受けると思うのだが、落ち着いて、理解してほしい。大丈夫だ、おれがぜったいになんとかするから」

「なにをおっしゃりたいの、ルビーチェ様」


 姫の形の良い眉が、疑問の表情にもちあがった。


「とにかく、だいじょうぶだから。驚かないで。いいね、姫様」


 ルビーチェは念を押すと、じっとたたずんでいる首のない姫の身体の手をひいて、姫の首の前に、背を向けて立たせた。

 今は、ルビーチェの魔導師のローブで覆われているその身体から、ルビーチェは、そっとローブを脱がした。ローブの下は、薄絹の衣をまとうだけだ。

 グレンは、あわてて目をそらした。

 姫の首に向いた、その背中では、衣が不自然に盛り上がっている。


「姫様、失礼」


 そういって、ルビーチェがその衣も取り去る。

 輝くばかりの、姫の裸身が剥き出しになった。

 だが、その美しい背中には、ありえないものがあったのだ。

 翼——黒い、蝙蝠のような肉質の大きな翼が、肩甲骨のあたりから生えていた。

 衣が取り去られ自由になったためか、その翼が、ばさり、大きく広がった。

 姫は、黙ってその翼、自分の身体に生えた不気味な翼をみていた。


「……つばさだけじゃないんだ。腕には鱗が生えているし、足にも鋭いかぎ爪と獣毛が……」


 ルビーチェが、不安げな声で説明した。姫がこの異変にどれほど怖れ、傷つくだろうかと、ひどく心配しているのだ。


「……あら、まあ、まあ」


 姫の声は、意外なほどあっけらかんとしたもので、ルビーチェは拍子抜けしてしまった。

 それでもルビーチェは


「姫様、美しいお体がこんなことになってしまって、さぞや」


 と姫を慮って言葉をつづけたが、


「ああ、そうだったのね、王家の紋章の中央にある蝙蝠の翼は、これだったのね」


 と、姫は納得したように言うのだった。


「姫様……」


 とシャスカが聞いた。


「なんか妙に平然としていらっしゃるようですが?」

「うーん……」


 姫は、シャスカの問いに、おそらく小首をかしげるような仕草、(じっさいにはかしげようがないのだが)をして、答えた。


「わたくし、どうもここに来てから、なんていうのか……なにか深いところから強い力が湧いてくるような……そして、自分のことにはいちいち動じないというか……なるようになるというか……そんな心持ちになってまいりましたの」


 それは、つまり魔の血が活性化したことが、姫の精神にも影響を与え、その心に魔の持つ強靱さのようなものが現れてきたのかも知れなかった。


「それは……たいしたものだ」


 すこしあきれたようにシャスカが言う。


「良かったというべきなのか、それとも憂うべきというべきなのか……」


 姫の身体をふたたびローブで覆ったルビーチェがつぶやく。

 そして、姫の首に向かって、決意をみなぎらせた悲壮な顔で言った。


「姫様、今から、首と身体をつないで、姫を元の身体にもどします。心配しないで。わたしのもてる力をすべて使って、かならず、元に戻して見せますから」

「あなたのなさることですから、わたくしは、なにも心配などいたしませんわ」


 答える姫のその顔には、ルビーチェに対する全幅の信頼が浮かんでいた。

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