第38話 出迎え

72)


「そうか。全兵力を動かして、西に向かって進軍中と」


 帝国皇帝は、皇帝の間で臣下からの報告を受けていた。

 隣国である王国には、当然ながら以前より間諜が多数忍びこませてあり、王国の情勢などは全て、帝国には筒抜けであった。


あの男アルベルト、そうとう慌てているようだな」


 と、おかしそうに言った。


「農民兵も徴兵したようです」

「はっ」


 王国の状況をすべて把握している皇帝は、それを鼻で笑った。


「この状況では、それは逆効果だろう。悪手だ」

「魔道士も全てかき集めて、動員しています、多分それは……」

を出すつもりか? できるのかね」

「まともに使い物になるかどうか……大魔導師ルビーチェなら、一人でも問題なくできますが。おそらく、魔導士の数で動かすつもりでしょう……」

「まあ、『剣の男』に対抗するために思いついたのだろうが……」


 皇帝は首を振った。


「無駄だな」


 そして、命じた。


「すべての片がつくまで、王国との国境を封鎖しろ。何か起きるか分からぬが、とばっちりがきてはたまらん」

「御意」


 臣下は深々と頭を下げた。

 皇帝の命により、すみやかに、帝国と王国との国境は閉ざされ、それ以降、人は王国に入ることも、出ることもできなくなったのである。



73)


 青く生い茂る森の樹々。

 はるか空高く、何頭もの鯨気ヴァルガイストが、気ままにのんびりと漂っているのが、そんな樹々の葉の合間から見えていた。

 グレンとルビーチェ、そして姫の身体は、繁茂した植物の中、森の奥に向かって進んでいた。


 おおおおおお~


 遠くから、微かになにものかの咆哮らしきものが聞こえた。

 とたんに、それまでゆったり揺蕩っていた鯨気が、慌てたように動きを乱した。

 同時に、ルビーチェは、背負った姫の身体が、びくりと強張るのを感じた。


(あの声に、怯えているのだろうか?)


 と、姫を気遣う。


「フンっ!」


 前を行くグレンの小刀が、そんなささやかな刃物とは思えない威力で、壁のように生い茂った、枝と蔦の塊を易々と切り裂き、そして彼らは、開けた場所に出た。

 そこは、両側が切り立った壁であり、まるで切り通しの道のように、谷の奥に向かって、平坦な地面が続いていた。


「ふうむ」


 グレンがいった。


「ルビーチェ、お迎えが居るようだぞ」

「なにっ?」


 ルビーチェが、前に踏み出して、グレンの横にならぶ。


「おう、あれは——」


 二人は見上げるように顔をあげた。

 彼らの前に、まるで神殿の太い柱のようにそびえ立っていたのは、足であった。

 身体はない。

 ただの足が一本、屹立していた。

 巨人の足を切り取って、そこに置いたかのように、足が立っていた。

 人の足ではない。

 猛禽類のような鋭いかぎ爪をもち、鱗の生えたその足は、おそらく長さが二十メイグはあり、その上部は、森の中にあれば樹冠をこえるほどであろう。

 その足の、人間で言えば、ふくらはぎにあたるあたりからは、鱗は茶色い獣毛に変じていた。


「ううむ……麟足キンダリか……」


 とルビーチェがつぶやく。

 麟足は、穢れの谷を徘徊する魔物たちの中でも最上位に属する存在のひとつだ。強さは計り知れない。

 ヒトがどうこうできる魔物ではなく、見かけても敬して遠ざけるのが正しい。

 その麟足が、静かにそこにたたずんでいたのだった。


「おい」


 と、グレンが、麟足に、気軽な口調で呼びかけた。


「そんなところで、おれたちを待っててくれたのか? 悪いなあ」


 それに答えるように、麟足が、関節と思われる部分(それが何カ所もあるのだが)を器用に折り曲げ、最上部の、足の付け根にあたる部分を、こちらに向けた。

 そこには、ギザギザの歯が並んだ口のような裂け目があった。

 その裂け目の奥から、ひとつの目玉が現れ、金色の瞳孔を輝かせた。

 瞳孔に、グレンとルビーチェの姿が映った。

 瞳孔がパクッと縦に裂けて、そこから深紅の唇が突き出す。

 唇は、するすると、グレンとルビーチェの前まで伸びだし、そして


「……ぞろもどあ……ずえいぶ……かればぜん……」


 人間のものとは明らかに違う発声器官から作られた声で、言葉を発した。


「これは……」


 ルビーチェが、当惑した声で言う。


「古代魔法語に似ている。いちぶ分かるような単語もあるが……いや、やっぱりよくわからないな」

「俺たちを待っていた、といっているぞ」


 グレンが言い、ルビーチェは驚愕の表情をうかべた。


「おい、グレン、お前分かるのかよ、あの言葉が?!」

「ん?」


 グレンは事もなげにいう。


「まあな」

「いったいどうして? ……いや、まあ、しかし、お前に関しては、いまさら何があっても驚くような話ではないか」

「まっ、こまかいことは気にするな」


 グレンはルビーチェをなだめ


「同胞を救ってくれてありがとう、とも言っているな」

「同胞? 同胞ってなんのことだ? おれは別に魔物を助けてなどいないはずだが」


 グレンは麟足に何かうなり声のような言葉で話しかけ


「……でねっさ……ぐろりおす……あるむっと……」


 麟足キンダリの深紅の唇が、魔の言葉でそれに答える。

 グレンと麟足は、しばらく人のものではない言葉を交わし合った。

 声だけ聞いていると、まるで、うなり声のグレンが魔獣で、麟足のほうがよほどヒトに近いように思える。


「ふうむ……」


 と、会話を終えたグレンがうなった。


「なんだって?」


 ルビーチェが待ちきれないように尋ねる。


「姫さまのことだ」

「なにが」

「同胞だよ」

「おい、どういうことだ、それは!」

「ルビーチェ、お前、王家の始まりについて、なにか伝承を知らないか?」

「いや……なにか、王位を継いだ者だけが読める古文書があるとはきいたことがあるが……」

「うん、それだ」

「?」

「たぶん、そこに記されているのだろうが、この王国の王家の始まりは、この穢れの谷なんだよ」

「まさか……?」

「王国をつくった初代の人物には、魔の血がながれている」

「なんだって? それはたいへんな秘密じゃないか?」

「だから王位を継いだものしか、その文書を読むことを許されないのだ。それでな、魔物と人の間に生まれた存在なのかも知れないが、半人半魔のその人物が、この谷を出て、そしてヒトの地に王権を打ちたてたのだろう。だから、王の血筋の中には、時を経て薄まったとは言え、魔物としての成分が脈々と伝えられてきていたのだ」

「そんな……」


 ルビーチェは唖然としている。


「では、モルーニアにも、モルーニア姫にもそれが?」

「そうだ。その姫が、この穢れの谷に放りこまれたのだ。この地に横溢する魔気が、姫にとりこまれ、その身体の中の魔物の血と反応し、姫のなかで、魔としての活性が上がりつつあるのだろう。麟足から見たら、いやこの穢れの谷の魔物たち皆から見たら、姫は、帰還した同胞なのだ」

「そんな……いや、そうか、だから姫の身体にあんな変化が……いや、まて! おい、グレン!」


 あることに気づき、ルビーチェは蒼白になった。


「姫は、モルーニアはどうなってしまうのだ? このまま完全な魔に変じてしまうのか? それはだめだ。そんなことは——」

「落ち着け、ルビーチェ」


 グレンは静かに言った。


「ひとつお前に聞きたい」

「む? なんだ?」

「姫の中に魔の血が流れていると聞いて、お前の姫に対する気持ちはかわったか? 姫へのお前の思いは」

「ばかな」


 ルビーチェは即答し、首を振った。


「変わるわけがなかろう。そんなことでなにがかわるというのだ。姫は……いや、モルーニアは、なにがあろうとモルーニアなのだから」

「うむ、そうだろうな」


 グレンはうなずいた


「それなら、心配ない」


 あっさり言った。


「心配ないって、お前……」

「だいじょうぶだ。お前がそのつもりなら、おれがなんとかする」

「おい、グレン……」


 ルビーチェは、自信たっぷりに請け負うグレンの顔を、あきれたように見ていたが、やがて笑い出した。


「グレン、お前を見てると、なんだか、ほんとうになんとかしてくれるような気がしてくるよ」


 グレンは、にこりと笑い、言った。


「まかせろ。それになあ、ルビーチェ、今回の事態は、おれにも責任があるんだよ」

「はあ? いったいなんのことだ」

「おれの片われが、この谷に逃げ込んだんだが、たぶんあいつのせいで、ただでさえ濃いこの地の魔気が、さらに強くなってしまっているんだ。そのために、魔物の活動も活発になっているし、お前が前にいってただろう、魔法が効きすぎるって。それもこれも、あいつがここにいるからだ」

「なんだそれは……」


 ルビーチェは理解できないという顔だ。


「すべての超常の力が活性化され煮えたぎっている、そんな中に、ただでさえ魔の血をもつ姫の首が放りこまれたんだ。姫が激しく反応するのも無理はない……だから、これはおれにとってもよそ事ではないのだ」

「いや、しかしだな、そもそも、いったいどうしてそんなことになる。その……シャスカといったか、お前のその片われは、なにものなんだ」

「うん、まあ……会ってみればわかるよ」


 と、グレンが答えるのだった。


「もう、すぐそこにいるからな。向こうも俺たちに気がついているし」

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