第37話 シャスカの効用
70)
シャスカが洞窟で姫の首を見つけてから、のち。
今日もキノコ人間が、
「「「アイッ!」」」
姫の口に、自らの身体を裂いて食べさせる。
「「「アイッ!」」」
そして、頭の杯に溜まった真っ赤な液体を呑ませる。
姫は、口にさしこまれたその白い肉のような切れ端を、美味しそうに咀嚼してのみこむ。
血のような深紅の液体を口に含み、うっとりとした表情で味わうと、こくり、こくりと喉を動かす。
洞窟の壁にもたれたシャスカは、その様子を、
(それにしても、姫は首から下が無いというのに、あれはいったいどこに行くのだろうな)
と、不思議に思いながら眺めていた。
普通に考えれば、首の切り口から溢れ出てきそうなものだが、そんな気配はないのだ。
大魔導師の魔法の力により、何らかの方法で、あの首は、実はここにはない身体とつながっていて、食べたものはそちらに送りこまれているのだろうか?
キノコ人間が奉仕した食事を摂り終わると、ほうっと息をついた姫の目が、すっと焦点を失う。
その美しい榛色の目の瞳孔が、大きく開くのが、離れたシャスカからもはっきりと見えた。
なにかの激しい衝動が、その目の奥に充ちてくる。
そして
ごおおおおおおおおおおうううう!
姫の口から、とうていこの臈長けた姫のものとは思えない、獣のような咆吼が発せられた。
その声に含まれる威圧は、普通の人間など魂が消し飛ぶほどのもので、たとえ魔物であろうと、この雄叫びを耳にしたら、おののき、思わず後ずさりをして逃げ出すだろうと思われた。
うおおおおおおおおおおおおぅ!
ふたたび姫の首が吠える。
シャスカは、もたれていた岩壁から離れ、姫の首に少し近づいた。
「……」
シャスカが近づくと、姫は、口を閉じ、そして目をしばたたかせた。
「あら……?」
そう口にした声は、柔らかで美しい、本来の姫の声であった。
「わたくし……また?」
おずおずと、シャスカに尋ねる。
「はい、いつものように」
「……そうでしたか……」
姫は恥ずかしそうに、瞼を伏せた。
「あのモノたちのくれる食べ物を口にすると、なにか頭がぼうっとして、そしてわたくしの身体の奥の方から、突き上げてくる大きな力のようなものがありますの……そうすると、われしらず、まるで獣のような叫び声をあげてしまうのですが、自分ではどうすることもできないのですわ……」
「あの肉と飲み物が、姫様の精神になんらかの作用を及ぼしているのはたしかのようですね」
「はい……ならば、食べなければいい、飲まなければいいと言われてしまうかもしれませんが、わたくしにはどうしてもあれを拒むことができなくて……拒んではいけないと命じる声が、わたくしの中にあるのです。シャスカ様、わたくしは、なにか、おかしくなってしまったのでしょうか。このまま、こころが獣に変わっていってしまうのでしょうか」
「いや」
とシャスカは静かに言った。
「事態をおそろしく思う姫様のお気持ちはよくわかります。しかし、そんなふうにはなりませんよ、姫様。姫様は、ルビーチェ様のことを思いやる、やさしい姫様のままです。……たぶん、ここで起きていることには、必然とも言うべき大きな理由があるのでしょう。おそらく、今、姫様の身に起きていることも、おこるべくして、起きているのです。ただ」
シャスカは、優しい声でつづけた。
「けして姫様の悪いようにはならないと思いますよ。だから私がここにいて、そしてグレンがやってくる……」
姫はしばし黙って、シャスカを見ていた。
やがて、また口を開いた。
「シャスカ様……あなたは、不思議な方ですね」
美しい瞳で、シャスカを見つめながら言った。
「でも、仰るとおりです。あなたがこうしてわたくしの近くにいて下さると、わたくしの中の、あの得体の知れない、強い衝動が、押しとどめられるような気がするのです。シャスカ様がここに来て下さる前までは、わたくしの中で、どんどん強く、大きくなる、恐ろしい力に、わたくしは呑みこまれて、自分というものが完全に無くなってしまうのではないかと思っておりました。それが恐ろしかった。ですが、今は、たとえあの衝動が湧き上がりわたくしを覆ったとしても、
真剣な声音で、シャスカに問いかけた。
「シャスカ様、あなたはいったい何者なのですか? けっしてただのヒトなどではない、わたくしにはそう思えてなりません」
「それは……」
シャスカは口ごもった。
ためらったあと、けっきょく、こう口にした。
「モルーニア姫、あなたのおっしゃることは正しい」
「シャスカさま、では」
なおも聞くモルーニア姫に
「それは、グレンと、そしてルビーチェ様がここにたどりつけば、自ずと分かることですから……」
そういって、口を閉じた。
その顔は、ひどく悲しげであったため、モルーニアはそれ以上深く聞くことができなかったのだ。
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そうして二人は、グレンとルビーチェを待ち続けた。
娘を助けようと
娘のために命をかけた若い男の力になれたことを、モルーニア姫は喜んでいたが、
「シャスカ様、とはいえ、やっぱり、あんなふうに叫び声を上げるのは、若い姫として、はずかしいものですわよ」
と、顔を赤らめていたのだった。
そして、ついに——
二人の待ち人が来たる。
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