第35話 王宮

65)


 土埃を巻き上げ、早馬が王都の城門に駆け込んだ。

 強化魔法を使い限界まで酷使された、汗みずくの馬は、乗り手が鞍から降りると、泡を吹いてがっくりと膝をつき、そのまま倒れ伏して息絶えた。心臓が破裂したのだった。

 王国の最西部、最果ての長城都市ゾトから、ほとんど休まず、馬が潰れるたびに乗り換え、ようやくこの王都までたどりついた騎士は、疲労困憊して、こちらも倒れる寸前であった。

 使者がそれほどまでに必死になり、王宮に伝えようとした知らせは。


 魔導士ルビーチェが、戦士グレンとともにゾトを襲撃。

 守護を打ち破り、まんまとモルーニア姫の身体を奪って、穢れの谷に逃走した——というものであった。


「そんなことが——!?」


 簒奪王アルベルトは、息も絶え絶えの騎士から報告を受け、愕然とした。


「まさか、あのゾトの守護が」


 あの守護が、一騎打ちで戦士グレンに叩きのめされ、戦闘不能になったという。

 そのありさまに兵士たちはもはや戦意を喪失し、狼藉者に立ち向かうことを放棄したのだと。


「そんな、ばかな。たった二人で」


 アルベルトは玉座でうめいた。

 信じられなかった。

 魔物の侵入を防ぐために、ゾトに配置された部隊は精鋭中の精鋭だ。よく訓練され、実戦経験も豊富だ。それも、穢れの谷からくる、人間の能力を超えた化け物たちとの戦いで鍛えられた、胆力も戦闘力もかね備えた兵士たちだったのだ。

 そしてそれを率いる守護は、王国でも一二を争う豪の者だったはずだ。

 それが、どうして、たった二人の謀反者に思うままにされるのか。

 いったい、なにがどうなっているのか。


 (まずいぞ)


 アルベルトは考えを巡らせた。

 もっともまずいのは、あの娘の身体を奪還されたことだ。

 ウズドラで、アラハンで、そしてゾトで、やつらはモルーニアの身体を取り返した。

 そして穢れの谷に逃げ込んだという。

 穢れの谷には、娘の首が転がっている。

 余が投げ捨ててやったのだからな。

 やつらの最後の目標は、まさにその、モルーニアの首なのだ。

 もし、体が全部揃ったらどうなる?

 いや、ルビーチェがいかに優れた魔導士であろうと、あんなにバラバラになったものを、つなげて元に戻すなどということができようはずもない。

 万が一、魔法で身体を繋げ直すことができたとして、それは元通りの娘なのだろうか。

 首だけになったあの娘が、魔物に喰らわれずに、まだ生きながらえていたとしても、悍ましいモノが徘徊する、あんな呪われた土地で、どこまで正気でいられるだろうか?

 そんな気の狂った首に身体を繋いだとして、どうなるというのか。

 それはもはやヒトではない。魔物に近い、生きる屍だ。

 だが、それでも、安穏としてはいられないのだ。

 なぜなら、そんなモルーニアでも、利用価値はあるからだ。

 あの娘は、旗頭にできる。

 復讐に燃えた魔導士が、蘇ったモルーニアを押し立てて、この娘こそが正当な王位の継承者であると、我が王権にたいして戦いをいどんでくる可能性がある。現在のやつらの戦力は、ルビーチェと、グレンとかいうあの得体の知れない戦士のただ二人ばかりだとはいえ、片をつけるのが長引くと、妙な勘違いをしてあいつらの側につこうとする馬鹿者がでないとも限らない。

 あの娘は人気があった。

 なにしろ、あの美貌だ。


「くそっ」


 思い出すと、欲望が疼いた。


 ——ばかめ。余の言うことを素直に聞いていればよかったものを。

 そうすれば、それなりに遇してやったのだが。


「ええい」


 アルベルトは、王笏を握る手に、ぎりっと力をいれ


「時間はかけられぬ。謀反者は早急に、たたきつぶす!」


 がつり、

 王笏の石突を、床に叩きつけた。

 王宮の床に、火花が散った。

 アルベルトは血走った目で、側近のものたちを睨んで言った。


「すべての兵力を動員して、後顧の憂いを断つ。皆のもの、出陣の準備をせよ」


 あわただしく、配下の者たちが動き始める。



66)


 王宮の奥深くに、王位を継承したもののみが立ち入ることのできる宝物庫があった。

 アルベルトは王宮を占拠してすぐに、部下を引き連れて宝物庫に向かったのである。

 宝物庫の扉には、円形に絡まり合って取り囲む蔦のような植物、その中に、剣と魔導士の杖を脇侍として、中央に蝙蝠のような翼が広がるという、玉座の後ろにも掲げられているのと同じ、あの王家の紋章が浮き彫りとなっていた。

 アルベルトは、宝物庫を守る衛士に、扉を開けるように命じた。無法な命令に頑なに抵抗する、前王に忠実な衛士をためらいなく斬り捨て、宝物庫に押し入った。

 松明を掲げたアルベルトの目を奪ったのは、そこに鎮座する巨大な魔涎香の塊であった。

 黒光りし、その表面のそこかしこで、キラキラとまたたく宝石のような粒。

 ただでさえ貴重な魔涎香である。

 これほどの大きさともなると、いったいどれほどの価値があるのか見当もつかない。


「ふふふ、これが、すべて、余のものだ……」


 満足げにつぶやく。

 アルベルトは、懐刀をとりだすと、稀少な魔涎香から大きな塊をざくりと削り取った。

 切り口で光の粒が弾け、えもいえぬ香りが匂った。


「うむ、これは玉座で焚くのに、ちょうどいいわ」

 

 にやりと笑った。


 宝物庫には書庫も備えられ、王家が歴代にわたって保管してきた種々の古文書も収められていた。

 アルベルト簒奪王は、その輝きが目を惹くような宝物には強く関心を示し、あれこれ手に取って眺めてみたが、古びた文書の類にはいっさい興味をもたなかった。

 そのため、王位を継承したもののみが読むことのできる、ある重大な文書にももちろん目を通したりしなかったのである。

 それには王家の歴史、その始まりが、古語で記されていた。

 文書は、このような一文から始まる。


 ——我ラ谷ヨリ来タリ。


 と。


 文書の続く頁には、このような記述もあった。


  ——人ト魔、今ヒトトキ分カレタリト雖モ

  ■■アラバ、合一ス

  故ニ心セヨ

  王ノ血ヲ継グモノタチヨ。我ラノ血ヲ畏レヨ……


 永い星霜を経たその文書は傷み、一部はすでに読み取れなくなっていた。それでも、遺されている記述を虚心に読み解けば、そこにはこれからアルベルトを待つ運命も記されていたと言えるのだが。

 しかし、仮にアルベルトがこの文書を読むことがあったとしても、もはや手遅れであったのだ。

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