第32話 首だけの姫(2)
55)
ズシン!
地面が揺れる。
キノコ人間が跳ね上がる。
ズシン!
私には見えない上の方で、ベキベキと生い茂った樹の枝が折れ、木の葉が舞い散り、
ズシン!
視界の上から私の目の前に降りてきたのは、かぎ爪、そして鱗の生えた——なにものかの足。
まるで、猛禽類のような、鋭いかぎ爪をもった巨大な足が、すぐそこにあった。
目線をあげると、鱗は途中から茶色の獣毛になって、そして高く高くのびている。
こんなふうに首だけで、動けない私には、その先がどうなっているのかはわからない。しかし、とんでもなく長い足だった。
こんなに長い足をもつ魔物——これがふつうの生き物のはずがない——とは、いったいどんなものなのか。
ベキベキッ
また木の枝が折れる音ともに、木の葉が舞い散る。
そして、ふわりと私の首が持ち上げられた。
なにかが私の首をささえて、持ち上げていった。
持ち上げられるにつれて、私の前にいる、そのものの姿が下から順に明らかになっていく。
といっても、ただ毛のはえた茶色の足が続いているだけだが。
とうとう私の首は、森の樹冠をこえた高さまで上がった。
そしてわかった。
この魔物には足しかなかったのだ。
長さ二〇メイグはありそうな、毛の生えた一本の足。
平らになったそのてっぺんには、ギザギザの歯が並んだ丸い空洞がひらいていた。これは口なのか。
足の上部には、蛇のような鱗におおわれた長くしなやかな触手が何本も生え、いま私の首を支えて持ち上げているのは、そんな触手の一本である。
ぽっかり開いた歯の生えた口、そしてその口の中で不気味に蠕動する肉襞を目にし、私はとうとうこの魔物に食べられてしまうかと覚悟した。
しかし——。
その肉襞の奥から現れてきたのは、大きなひとつの目玉だった。
金色の虹彩をもった、その目玉は、私をじっと見た。
瞳孔がひらく。
そして、その瞳孔の奥から、さらに突き出してきたのは、唇だった。
深紅の唇が、瞳孔からずるっと伸び上がってきて、私の耳元に近づく。
「……ねまり、どぞわ、んん……んがれださい……びき……」
深紅の口が、ささやいた。
その異様な声が、私の鼓膜を震わせる。
人の出せる音ではない。
人間の言葉ではない。
なにを言っているのかも分からない。
しかしそこに、害意はなかった。
考えてみれば、私の首を持ち上げたのも、けっして獲物を捕らえるような乱暴な動きではなく、それはまるで大切な宝物を捧げ持つような、優しい動きだったのだ。
ぐうっと足が上がった。
ズシン!
私の首を支えたまま、足が一歩を踏み出す。
ズシン!
足は進んでいく。
ズシン!
穢れの谷の奥に向かって。
56)
穢れの谷の奥にそれはあった。
両側から迫った谷の岩肌が狭まる、その先。
岩肌が四角く張り出し、そこに洞窟がひらき、それはまるで古の神殿の入り口のようだった。
よく見ると、岩壁にはなにか異様な形状をした獣や、大勢の人の姿が刻まれているようでもあり、私は、これは本当にかつて祭祀がおこなわれた場所ではないかと訝しんだ。さもなければ、これは、高貴なるものの墓ではないのか。
人がけして立ち入ってはならない穢れの谷にこのようなものがあるなんて……。
王家の古い記録を探せば、ひょっとして何かがわかるのかもしれない。
もっともその王家自体がもはや簒奪され滅んだも同然だが。
私をここまで運んできた一本足は、入り口の前に、そっと私をおろした。
私の顔を、洞窟の闇の奥に向けている。
どうしようというのか?
やがて、パタパタという小さな音が、奥の方から聞こえてきた。
足音のようだ。
それも大勢の。
そして現れたのは、
「あら、キノコさんたち」
もうおなじみの、キノコ人間たちだった。
かれらは、全員で、青っぽい金属の、平たい四角形の台のようなものを、担いで運んできていた。
青っぽい金属でできたその台は、柵のようになった縁に精巧な浮き彫りがなされ、大きさを気にしなければ、
私の目の前にやってきたキノコ人間に、
「……ぎぶれすと……どろもぞご……う」
上から一本足が何か命じるように言って、私の首を、そっとその輿の上に載せる。
「「「アィッ!」」」
いっせいに甲高い声で答えたキノコ人間は、私の首を輿にのせたまま、洞窟の中に進んでいくのだった。
57)
なんどか曲がりながら、長い洞窟を進むにつれて、あたりは明るくなっていった。
なにがこの中を照らしているのかはわからない。
ひょっとしたら、魔気が光を放つほど濃いのかもしれない。
ようやくたどりついた洞窟の最奥部には、まるで岩を刳り抜いて作ったかのような、垂直の壁と水平の天上で構成された大広間のような空間があり、磨き上げられたその床には、魔法陣とおもわれる文様が刻まれていた。
もっとも、まったく見覚えのない文字や記号でつくられていたが。
そして、その中央に、巨大な黒曜石を削り出してつくられた直方体が鎮座していた。
これは——祭壇にしかみえない。
黒曜石の上部には四角く溝が刻まれており、キノコ人間たちが、私を載せた輿をその上に置くと、輿はピタリとそのくぼみにはまり込んだ。
「あっ?」
その瞬間、私の奥で、なにかがうごめいた。
私というものの、奥深いところで、なにか大きなかたまりが、もぞりと動いたような気がして、私の、ここには存在しない胸がドキリと大きく拍ったのだ。
「う……ふぅ……」
私は思わず、吐息のような声を漏らした。
58)
そして私はまるで女王のように、キノコ人間に
今も、私の目の前に、一体のキノコ人間がうやうやしく跪いた。
そのままの姿勢のまま、にじり寄ってくる。
「どうしたの?」
「アィッ!」
キノコ人間は一声鳴くと、その細い腕を、自分の頭部にまわして、
ピリッ
「あっ」
傘に裂け目を入れた。
「痛く……ないの?」
私は心配したが、キノコ人間はかまわず
ピリッ
両手で自分の頭部、盃のような傘を裂き、とうとう扇形に切り取ってしまう。
その扇形をした傘の切れ端を、両手で捧げ持ち、私ににじりよって、私の口元に差し出す。
キノコ人間の頭には、裂け目ができてしまっているが、気にするそぶりは全くなく、何かを期待するようにじっと待っている。
「ね、これって……まさか」
私の口元にあるその白いかけらは、瑞々しく、そして、えも言われぬ馥郁たる香りがした。
キノコ人間の身体の一部なのに、なぜか気持ち悪いとは思わず、それどころか、身体がバラバラにされてからこの方、私が感じたことのなかった、食欲が湧き起こってきたのだった。
「私に、これを食べろってこと?」
と、私が聞くと、
「アィッ!」
返事が返ってくる。
私は、飢餓感にも似た衝動に突き動かされ、口を開けた。
すかさず、キノコ人間が、自分のかけらを私の口に押し込む。
「ああ……」
口に入ったキノコ人間のかけらは、私の舌の上で、ホロリと溶けた。
香気あふれる滋味が、口いっぱいに広がる。
「美味しい……」
声に出た。
「アィッ!」
キノコ人間が答える。
あまりの美味しさに、私は勧められるままに口にしていったのだ。
陽の光もはいらず、いつも同じ明るさのここにいると、時間の経過もよくわからなくなる。
私がここに運びこまれてから、いったいどれだけの日が経ったのだろう。
キノコ人間の身体には、ずいぶん栄養があるのかもしれない。食べるほどに、私の身体(といっても、ここには首だけしかないのだけれど)に、力がみなぎってくるような感覚がある。
だが、食欲のままに、このまま食べ続けていいのだろうかという疑問が、次第に大きくなってくる。
ある時。
うぉおおおおおおーーーーおぅうううう!
はっと気づくと、洞窟の中に獣のような叫びの残響がこだましていた。
今の咆哮はなに?
どこから聞こえてきたの?
耳をすますが、もう声は聞こえない。
洞窟は静まっている。
そんなことが何度かあったのだ。
いつも私にわかるのは、叫びの残響のみだった。
そして、私は恐ろしいことに気がつく。
この雄叫びを発しているのは、まさか――。
この私?
私が私でないものに変わっていく、そんなことが今、ここで起こっているのではないの?
しかし、首だけになって、祭壇に供えられている私にできることは何もない。
こんな私を救える人がいるとしたら、それは。
でもその人は、多分、ここには来られない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます