第31話 首だけの姫(1)

54)


 私は、穢れの谷の底に向かって、放り棄てられた。

 正確には、首だけになった私だ。

 乱暴に髪を掴んでぶら下げられた私の首は、二度、三度、勢いをつけて振られ、そして虚空に放り出された。

 私は、私をこんな目にあわせた者たちを、一瞬、見た。

 崖の上にならぶ甲冑の騎士たち、その中央に立ち、私を憎しみのこもった眼つきで見下ろす、あの男、アルベルト。血走ったその眼と、憎しみに歪んだ口元。卑しい表情かおだ。

 民の上に立てる器ではない。

 王国の運命を背負える資質はない。

 しかし、こんな男に、私の父である王は弑されたのだ。

 こんな男のめいに従う者たちがいて。

 そして、私は——。



 私の視界は、それからぐるぐる回転した。

 青い空がみえる。

 白い雲がみえる。

 緑の木々がみえる。

 ゴツゴツした岩肌がみえる。

 私の金色の髪がなびいて、視界をさえぎる。

 首だけにされた私は、くるくる回りながら、谷底に落ちていった。


 生い茂った樹の枝にぶつかり、なんどか跳ね返り、転がり、そして、とうとう私は、土の上にたどりつく。

 横倒しになったまま、私は動けない。

 当然だ。私の身体はここにはない。

 手も足も胴体もない。

 驚くべき事に、こんなふうになっても私は生きている。

 ウズドラで左腕を、アラハンで右足を、そしてゾトで首を斬られたのに、私は死なない。

 手足を斬られても血も流れず、平然と生きている私に、目を剝いて驚愕しているあの男の顔を思い出す。

 思わず私は笑ったが、それがあの男の怒りをさらにかきたてたようだ。


 ああ、まちがいなく、これは、ルビーチェ様の魔法だ。

 大魔導師ルビーチェ様が、隣国にゆく前に、私も知らないうちに、護りの魔法をかけて下さっていたのだ。

 ——ルビーチェ様。

 私の心配ばかりして、いつも少し疲れたようなその顔を思い出すと、私の心は切なくなる。

 今、この国はこんなことになってしまい、ルビーチェ様は、どこでなにを思っていらっしゃるのか。

 私がこうして生きているということ、かけられた魔法が続いているということは、つまり、ルビーチェ様が無事であるということだ。

 王位が簒奪され、武人たちがみなアルベルトの指揮下にあるこの状況では、いかに優れた魔法使いのルビーチェ様といえども、たった一人では、もはや、為すすべもないだろう。

 王国にはもどらず、なんとか、安全なところに逃げ延びてほしいと思う。

 まさか、ただひとり私を助けに来たりはしないと思うけど。

 でも——無謀であっても、そうしかねないのがルビーチェ様なのだ。


 カサリ

 カサカサ

 カサリ


 横倒しのまま、ルビーチェ様のことを考えていたら、小さな物音がした。

 はっと視線をむける。

 と、私のすぐ目の前に、湧いてきたかのように、いくたりもの異形のものたちがいた。

 彼らは、真ん中がくびれた円筒形——そう、酒杯に、細く小さな手足がついたような外見をしていた。

 その大きさも、ちょうど杯くらいしかない、小さな者たち。

 胴体のなかほどには、睫毛のある人の眼がひとつ、ついていて、その目で私をじっと見ていた。

 これも、穢れの谷に住む魔物なのだろうか。

 でも——魔物にしては、ずいぶん可愛い。まるでキノコのようなこのモノたち。

 私は、不思議と怖くはなかったのだ。


「お前たち、私を食べにきたのかしら?」


 私が声をかけると、その杯たちは、いっせいにその場に跪き、うやうやしく頭をさげた。


「えっ?」


 私は驚いた。


「私は、お前たちの王女ではないわよ」


 もはや、公式には王国の王女でもないのだろう。

 だが、キノコ人間たちはその姿勢のまま動かない。


 そして、


 ズシン!


 地面が揺れ、跪いたままのキノコ人間たちの身体が、跳ね上がった。


 ズシン!

 ズシン!

 ズシン!


 これは、足音だ。

 それもかなり、大きなものだ。

 それが、次第に近づいてくる。

 いよいよ、穢れの谷に棲むという恐ろしい魔物がやってくるのだろうか。

 私をひと呑みにするような、巨大な魔物が。

 ルビーチェ様の魔法がすばらしくても、さすがに、まるごとパクリと呑みこまれてしまえばどうにもならない。


 ズシン!

 ズシン!

 ズシン!


足音がどんどん近づいてくる。

 

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