第18話 道端の老人
32)
王都から南下してウズドラを経由し、西に向かってアラハンからゾトへと続く、王国の大街道。
人馬が足しげく往来するのは、アラハンまでである。
アラハンから西は、辺境の地とされ、荒れ野が続く。
そしてその終点にあるのが、最果ての城塞都市ゾトだ。
一人の老人が、アラハンからゾトへと向かう街道のわきで、道端の大きな石に腰かけ休憩を取っていた。街道のそのあたりには木立があり、日かげとなっていた。休むには都合がいい。
白髪、しわの刻まれた顔、背もずいぶん曲がっている。
身なりもずいぶんくたびれていた。
そこに、ゾトの方角から、二人の男がやってきた。
二人とも大きな荷物を背負っている。
見たところ、二人は旅の商人らしかった。
王都で商品を仕入れ、それを、王都の品物がなかなか手に入らない地方で売る。
その売り上げをもとに、その地方の特産物などを仕入れ、それをこんどは王都で売る。
そうやって、利益を得ているのだ。
今も、二人は、ゾトで売り物を仕入れ、街道を上っていくところなのだろう。
二人は、休憩する年寄りにちらりと目を向け、そのまま通り過ぎようとしたが、
「あの……もし」
そこで、老人から声をかけられた。
「ん?」
二人は立ち止まる。
物乞いとでも思ったのか、ちょっと警戒した口調で言った。
「なんだい、じいさん。悪いが、恵んでやれるようなものはないぞ」
「いえいえ」
老人は、笑い顔で首を振る。
目尻に深いしわかができた。
その人のよさそうな様子に、二人は警戒を解く。
「そうではありません」
「じゃあ、なんだい?」
「はい……お二人は、ゾトからいらっしゃったとお見受けしますが」
「ああ、その通りだが、それが?」
「教えていただきたいので。ここからだと、ゾトまでどれくらいかかりますかな」
二人は老人をまじまじと見て
「じいさん、あんたゾトまで歩いていくのか?」
老人はうなずく。
「うーん……」
「そうだなあ、俺たちの足で、十日というところか……」
「だけど……じいさん、だいじょうぶか?」
老人の横には、大きな杖が立てかけてあったのだ。
働き盛りの商人の健脚で十日かかるところへ、杖をついた年寄りがいったい何日かかるものか。危惧するのは無理もないだろう。
「じいさん、ゾトに大事な用事でもあるのかい?」
「娘が、嫁いでおりましてな。孫もいるのですが、もう長いこと会っておらんので、老い先も長くないこの身、死ぬ前にひと目でも、と」
「そりゃあ……」
商人は、気の毒そうな顔をした。
「気持ちはわかるが、たいへんなこった、その足でなあ……」
「あんた、どこから来たんだ」
「アラハンからですわ」
「なんと。よくもまあ、あんな遠くから」
老人はにこりとわらい、
「それも、あと少しですな。せいぜい、ふんばって歩きますわい」
「そうか……まあ、無理しないようにな」
「気をつけてな」
「ありがとうございます」
老人は深々と頭を下げた。
「ああ、そうだ」
と、老人は思いついたように
「なにか、ゾトの町に、変わりはないですかな」
と、尋ねた。
「町にたどり着いて、娘に会う前に、知っておいたほうがいいようなことは」
「かわり、か」
商人二人は、顔を見合わせた。
「かわったことと言ったら……」
「あれか」
「あれだな」
言い交わす二人をみて、老人の目に一瞬鋭い光が浮かぶ。
「ま、じいさんには関係ない話なんだが……」
そう商人が話し始めたときには、もう老人の顔には、最初の人のよさそうな表情しかみられない。
「姫さまの身体のことだ」
「ほう、姫さまといえば……」
「そうだ、じいさん、あそこで磔にされている、モルーニア姫の首なし死体だよ」
「ああ、アラハンでも見ましたわい」
老人は、憤った顔でいった。
「あれは、酷いもんですなあ、もしもわしの娘があんな目にあったとしたら、例え
「しっ、じいさん」
と、商人の一人があわてて止めた。
「誰が聞いているかわからんのだから、うかつなことを言うもんじゃないよ」
「そうですかの……こんなじじいが何を言っても、目くじら立てるような」
「いや、じいさん、気持ちはわかるが、やめてくれ。ひやひやする」
汗をかいて、手を振った。
ほんとうにおびえているようだ。
「ちょっと同情するようなことをいっただけで、ひどい目に遭ったやつもいるんだよ」
「はあ……」
老人は納得していないようだった。
「それで、その姫さまの身体が?」
「そう、その姫さまの身体だ。それがな、恐ろしいことに」
商人は、身体を震わせた。
「腐っているんだ、無残にも」
「腐っている?!」
老人が、おもわず声を上げた。
その目がぎらりと光った。
「そうなんだ、どろどろに腐って、酷い臭いが広場中にたちこめているんだ。……たまらんよ」
「ああ、あれは……うぷっ……思い出しただけでも胸が悪くなる……」
顔をしかめる二人に、老人が腑に落ちない顔で、きく。
「しかし、おかしいですな、それは。あの、なんとかいう魔導師がかけた魔法で、姫さまの身体は生きているままだと」
「そういう話だったんだ。だがな、俺らが見た身体は、腐っていた、あれは完全に——」
「いったい、なにが起きたのでしょうな?」
「町のものは、魔導師ルビーチェが死んだのではないかと噂している。魔導師が死んだから、魔法が解けて、それで姫の身体は本来の死体に還ったのだと」
「なるほど、それは理屈ですな」
と老人はうなずいた。
「ルビーチェも、なんとか姫の身体を取り戻そうとしていたらしいが、とうとう力尽きたんだろうな」
商人は悲しげに言った。
「ここだけの話、俺らは、ルビーチェ様を応援していたんだ。みんな、そうだ」
「おい、よせよ」
もう一人の商人が、そういう彼をつつく。
「そうだな、しゃべりすぎたな」
そういって、商人たちは、荷を背負い直した。
「じゃあ、俺たちは行くよ。じいさん、あんたも気をつけてな」
「ありがとうございました。きっと、ルビーチェも、草葉の陰で感謝してますよ」
「そうかな……」
商人は、アラハンに向けて街道を歩き出す。
老人は、杖をついてよたよたと腰を上げ、二人に頭を下げて見送った。
33)
商人の姿が見えなくなり、辺りに人影がなくなった。
と、老人の容姿が、にじむようにぼけた。
そして、次の瞬間、そこに現れたのは、ローブをまとったやせぎすの眼光するどい男。
背筋も、すっと伸びている。
男は、早足で、街道のわきの木立に入り込む。
木立の奥、街道からはみえない場所に、野営地がしつらえられて、火が燃えていた。そこにどっかり腰を下ろしているのは、ほれぼれするような巨漢の戦士。
グレンである。
「おう、ルビーチェ、どうだった?」
戻ってきた男——ルビーチェに、声をかける。
「こっちでは肉が焼けてるぞ、食おうぜ」
「ああ、すまんな」
グレンは、肉を刺して火にかけてあった木串を掴むと、腰に付けた袋から塩と
「ほらよ」
ルビーチェは、グレンの手から、木串を受け取る。
木串に巻きつくように刺してある、よく焼けた青い肉からは脂と肉汁がしたたり、いかにも食欲をそそる。
実際腹が減っていた。
魔法で老人に偽装し、情報を集めるために、道端にずっと座っていたのだ。
「おう、美味いな」
「だろう?
「これはいける、たまらん」
八尾蛟というのは、蛇の類縁の魔物であるが、一つの巨大な頭から、身体が八本に分かれて伸びており、そのそれぞれがまるで触手のように自在に動いて人を襲う、凶暴な存在である。動きが素早い上に、身体は硬いうろこで覆われ、生命力も強く、倒すには完全武装の兵士の一団が必要とされているのだが。
「で、どうだった?」
グレンに聞かれ
「おかしい……」
と、ルビーチェが表情をかえて、言った。
「なにか、あったのか」
「ゾトからやってきた商人から聞いたのだが、モルーニアの……姫さまの身体が、腐っているというんだ」
ルビーチェが商人たちの情報をグレンに話した。
「おかしいじゃないか、それは」
グレンが問う。
「お前の魔法がかかっているかぎり、姫さまの身体は護られているんじゃないのか? それとも、魔法が切れたのか?」
「そんなことはない、見ろ」
ルビーチェは、野営地に安置してあった大きな布の包みを、両手でかかえて、グレンの横に置いた。
包みをほどいていく。
包みから現れたのは、輝くように、白くたおやかな女性の右腕と、左足。
奪還したモルーニアの身体の一部である。
それは美しく、血も通っているかのようで、腐敗の兆候などどこにもない。
ただ、謎のうろこと、獣毛のようなものが禍々しかったが、この腕と足に、今も生命が通っていることは否定のしようがなかった。
グレンはその腕と足をちらりとみて、顔を赤らめ目をそらした。
ルビーチェは、そうっと、丁寧に姫の手足を布で包み直した。
「おれの魔法は、ちゃんといまも働いているんだ。それは確かだ。この魔法は、姫さまの存在全体にかかっているのだから、一部分だけ腐るなんてありえないんだよ」
「そうか……お前がそういうなら、そうなんだろうな。ということは……」
ルビーチェはうなずく。
「これはどうも、正面からのりこんで、姫さまの身体を奪い返す、ってわけにはいかないようだな」
「ううん」
グレンが、めんどくさそうにいった。
「おれは、そろそろ真っ向から突撃して暴れたいんだがなあ……」
「グレン」
ルビーチェがあきれたように言った。
「あんた、いつも大暴れしてるじゃないかよ」
「お? そうだったか?」
グレンは、豪快にわらって、肉にかぶりついた。
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