第17話 尋問の果てに
29)
あっけなくシャスカは捕縛された。
シャスカの体格は、上背があるわけでもなく、大して筋肉があるわけでもない。そして、シャスカには、何の武技の心得もないのだ。武器の一つも身に持たず、逃げることしかできないシャスカが、武装した兵士たちに抵抗できるはずもなく、追いつかれたらもうそれまでである。
地べたに座りこんだシャスカを、屈強な兵士が取り囲む。
「おい、なぜ逃げた!」
「お前、何者だ」
口々に問い詰める。
「お、おれは……」
へどもどと口ごもるシャスカ。
その様子は、兵士たちの不審をかき立てるばかりである。
他の兵士が武器を突きつける中、一人の兵士が進み出て、おかしなものを持っていないか、シャスカの体をあらためる。
「ん?」
服の襟からのぞくシャスカの首に気づいた兵士が、その襟を両手で掴んで、ぐいと広げた。
意外に高級そうな服の布地が裂けて、シャスカの首筋が露わになる。
「なんだ、これは……首輪か?」
赤黒く光る硬質の首輪が、シャスカの首にはまっていたのだ。誰も見たことのない材質だった。
そして不思議なことに、その首輪にはどこにも継ぎ目がなかった。
「どうやってはめたんだ、これ?」
兵士は、指先を、シャスカの首と、赤い首輪の間に差し込もうとして、さらに驚くことになる。
隙間がない。
その赤い首輪とシャスカの首の皮膚には、まったく隙間がなかった。まるで首輪それ自体が、シャスカの体の一部のようだった。爪のように、体の中から首輪が生えているような不気味さがあったのだ。
「なんなんだ、これは一体」
兵士はぞっとして手を放した。
「詳しく調べる必要がありそうだ」
兵士は捕縛用の縄でシャスカを縛り上げ、
「さあ、立て。大人しくついてくるんだ」
縄を引いて言った。
「おかしな動きをしたら、斬る」
シャスカはうなだれて、連行されていった。
30)
縄で厳重に拘束され、兵士に囲まれシャスカが、一般の通用門とは別の出入り口に吸い込まれていくのを、先ほどの商人たちが見ていた。
「捕まったか……」
「ずいぶん、怪しいやつだったな」
「まあ、あの様子では生きては帰れないだろうな。可哀想だが」
城内をうつむき、引き立てられていくシャスカだったが、ふとその顔を上げて、視線を走らせた。
不快な甘さを含んだ、胸の悪くなるような臭いが、どこからともなく漂ってきたのに気がついたのだ。
シャスカの鼻が嗅ぎつけたのは、紛れもなく死臭。
それはシャスカのよく知る臭いであり、間違いようもなかった。
シャスカは、臭いの元をさがした。
そして、見つけた。
今シャスカのいる場所からはかなり距離が離れているが。
あれだ。
厳重に柵で囲まれた中に建てられた磔刑の柱。
そこに吊り下げられたもの。
死臭はそこから来ているのだ。
だか、なにかおかしい。
あの柱は、ウズドラで見たものと同じだ。
となると、あそこには姫の身体が吊るされているはずだ。
しかし——今見えているあれが、姫の身体などということがあるだろうか?
姫の身体には、ルビーチェの魔法がかかっているために、生きている時のままの状態が維持されているのではなかったか?
だが、あの身体は、あの吊るされているものは——。
本来なら白く美しいはずの肉体は、ある部分はどす黒く、ある部分は黄色く、ある部分は緑色に変色していた。
そして、だらしなく弛緩し、膨れ上がり、ドロドロとした液体が、石畳に滴っていたのだ。
無惨で、おぞましい姿だった。
あれは、完全に腐っている。
広場に吊るされているのは、腐乱した死体だった。
「なぜだ……?」
シャスカは訝しげに、その死体をみつめた。
その目の奥が赤く光った。
「ああ、そういうことか……」
そうつぶやいたシャスカの背が、ドン、と蹴られた。
「止まるな! さっさと歩け」
兵士が怒鳴りつける。
「おとなしく従わないと、お前もすぐにああなるぞ」
歩き出すシャスカの後ろから、別の兵士が小声でもらすのが聞こえた。
「うえっ……ひどい臭いだ……きれいなお姫さまも、ああなっちゃあおしまいだな……」
31)
シャスカは、城塞の一角に連行されていった。
窓がなく日の光もささぬその暗い部屋は、異様な臭気に満ちていた。
血と糞尿の臭いだった。
ぬれた石の壁には四本の太い鎖が打ち込まれ、その先には手枷、足枷がついている。
シャスカは両手を広げた形で、後ろ向きに、固定された。
部屋の壁には、まがまがしい拷問のための道具がぶら下げられていた。
鞭や、棍棒などの単純なものから、締めつけて指や関節を粉砕するねじのついた金具、爪や肉をむしりとるためのペンチ、皮膚を削るのであろう下ろし金のような、刺の並んだ板、さらには刺股のようなもの、わざと粗っぽく歯を刻んだ鋸などなど……。
道具はどれもこれも、赤黒く汚れ、この部屋に連れてこられた大勢の人たちの生き血を吸ってきたことが明らかだ。
部屋の隅では、大きな金属の壺の中で火がたかれ、金属の棒が赤く熱せられていた。
炎のあかりが、部屋の石壁を照らして揺れる影を作っている。
(前にもこんなことがあったような……)
シャスカはそんなことをぼんやり考えた。
(辺境の開拓村で、尋問されたんだったか……)
そのときの、自分を取り囲んだ村人たちの顔を思い浮かべた。
(あの人たちは、あれは生き残るために必死だったんだ)
シャスカは乱暴な扱いを確かにうけたのだが、彼らのことを恨みに思ってはいなかった。
しかし、よく思い出せないのは、あのあと何があったかだ。
(おれは、彼らから解放されて——)
ビシリッ!
「ぐわっ!」
回想するシャスカの背に激痛が走った。
焼けつくような痛みに突き刺される。
ビシリッ! ビシリッ! ビシリッ!
「ぐうううっ!」
金属の柄の先に、革紐を何本も取り付けた、いわゆる薔薇鞭。
打撃が分散されるため、致命傷を負わせることはないが、そのぶん、ひどい苦痛をあたえることができる。拷問のために特化した残酷な道具である。
兵士長は無言でシャスカの後ろに立ち、斟酌なく、何度も鞭をふるった。
たちまちシャスカの上衣は裂け、生白い肌が露出するが、その肌もミミズ腫れにおおわれて、流血する。
「ううう……」
うめくシャスカに、話しかける。
「さて……胡散者、名をなのれ」
「いや、おれは少しもあやしくなんか……」
ビシリ!
「ぎゃっ」
「聞かれたことのみ、答えよ」
弁解しようとするシャスカの言葉を鞭で断つ。
「おれは……おれの名はシャスカ、だ……」
「シャスカか。身分を言え」
「身分……身分は……」
シャスカはためらって、それから言った。
「身分はない」
「流れ者か、それとも言えない理由があるかだな」
シャスカが言いよどんだことが、不信感を高めたようだ。
実際のところは、シャスカ自身にもわからないのだった。
「奴隷印はないから、逃亡奴隷ではなさそうだが……」
(この男、武技のたしなみはないな、そして魔法もつかえない。危険はなさそうだが、どうも、つかみどころがない)
兵士長はそう思いながら、尋問を続けた。
「どこから来た」
「ひがし……東からだ」
「東? アラハンか?」
「ちがう……アラハンはたちよってない」
「では、ウズドラか」
「ウズドラ……ウズドラは通った。だが、もっと東から」
「もっと東だと? では、東の関を越えてきたのか」
「そう……そうだ。ずっとずっと東から」
「きさま、いったい、出身はどこだ。帝国か」
「……」
黙り込んだシャスカに
ビシリッ!
「うぐぅ!」
また鞭が飛ぶ。
「なぜ黙る。言えないわけがあるのか? 隠すとためにならぬぞ!」
「……わからん……」
「なにいっ!」
ビシッビシッビシッ!
何度も薔薇鞭が炸裂する。
もはやシャスカの背は、皮がはぜて、血まみれだ。
「ふざけるな! さあ、正直に言え」
シャスカは苦痛にうめきながら
「ほんとう……だ。おぼえていないんだ。気がついたらおれは逃げていた……」
「なんだそれは……逃げるとはいったい何からだ。お前、お尋ね者か? なにをやった? 殺しか? いやお前みたいな人間には似合わないな、盗みか? それとも、女絡みか」
「ちがう」
シャスカは首を振る。
「おれはべつに法を破ってはいない……」
「ではなんだ? 何からにげる?」
「……おそろしいものから……おれをおれでなくする、とてつもなく恐ろしいものから……」
そういって、シャスカが体を震わせるのを、兵士長はみた。
「こいつ、何を言っているのか、さっぱりわからんな」
兵士長は、部屋の後ろに待機している拷問官に目をやった。
「もうすこし、まともなことをしゃべってもらわねばな。やれ」
「はっ!」
拷問官は、火が焚かれている壺に近づくと、そこから突き出ている鉄棒の握りを、手袋をした手で掴んだ。
鉄棒の先端は平らに加工されており、今、真っ赤に熱せられている。
拷問官は、わざわざ、その熱せられた先端を、見せつけるようにシャスカの顔に近づける。
シャスカの髪が焦げて、焼ける臭いが漂う。
拷問官は、シャスカの頬に、灼けた先端を押し当てた。
「ぎゃあああああああああっ!」
シャスカの絶叫が響き渡る。
32)
拷問は続いた。
シャスカが一向にまともなことをを言わないため、拷問する側も止め時を失ってしまい、延々と続く。
さすがにだれもがうんざりしてきた。
兵士長も、これ以上は拷問を加えても無駄だろうという結論に達した。
(おかしなやつだが、これ以上関わってもな。もう外に放り出すか)
そう思い、中止しようとしたところに
「なにかあったか?」
上官が姿を見せた。
「はっ!」
兵士長は姿勢を正し、報告する。
「不審な者を発見したので、捕縛し、尋問しておりました」
「ふむ」
上官は無残なシャスカの様子を見て、顔をしかめ
「ずいぶん派手にやったな……それで、何か分かったか」
「それが、どうも頭のおかしい流れ者だったようです。無害と考えますが、言うことがさっぱり要領を得ないので、こうなってしまいました」
上官はシャスカに近づくと
「おい」
「う……う……」
「自業自得だ。釈放してやるから、どこへなりとも行け」
鷹揚に言った。
上官の命により枷が外され、シャスカはその場にくずおれた。
「あ……ああ……」
シャスカは息も絶え絶えにうなずき
「わかった……おれは……だれにもいわない……」
小声でいった。
「ん? 何をだ」
上官が、シャスカの口元に顔をちかづける。
シャスカが上官の目を覗き込み、息をついた。
シャスカの息は血の匂いがした。
シャスカは、腫れ上がり、裂けた唇の下から、ひっそりと言った。
「あの……お姫さまのからだが……どう」
「きさまあああっ!」
上官の表情がこわばった。
シャスカの言葉は上官にしか聞こえなかったため、その場にいたほかの者たちは、何が起こったのかがまったく理解できなかった。
「それ以上、口にするなっ!」
上官は、剣を抜き放ち、躊躇なく、それをシャスカの胸に突き刺した。
「えっ?」
「あっ?」
「どうして?」
みな、突然のことに唖然としている。
剣はあやまたずシャスカの心臓を貫通し、そして、背骨に当たって止まる。
「げふっ!」
シャスカは、大量の血を吐いて、がくりと頭を垂れ、息絶えた。
シャスカを始末したことを確認し、上官は剣を引き抜こうとした。
「むっ? 固いな…」
骨に刺さった剣は抜けず、上官は悪戦苦闘したが、とうとう
ベキッ
剣は途中から折れてしまったのだ。
「剣をだめにしてしまったか……迷惑なやつだ」
汗だくになり、つぶやく上官に
「あ、あの……」
兵士長が、おそるおそる尋ねる。
「これは、いったい……?」
上官が、ぎろりと兵士長をにらむ。
そして、部屋にいる者たちを順にねめつけた。
その険しい目つきに、その場のものは凍りついたように立ちすくんだ。
「こいつの、最後の言葉を聞いたものはいるか?」
厳しい声で問われ、全員が首を横に振る。
「そうか……ならいい。こいつの骸は、さっさと壁の向こうに捨ててしまえ」
「はっ、仰せの通りに!」
状況が理解できないまま、兵士長は上官の指示にしたがい、ずたぼろになって倒れているシャスカの死体を桶に詰めた。
死体は桶ごと、長城の上から、その外へ。穢れの谷に続く荒れ地へと放り出された。
その作業を行った兵士は、高い壁の上から投げ出された桶が、地面に激突してばらばらになり、シャスカの屍が転がりでて、横たわるのを確認し、戻っていく。
夜のうちに、魔獣の餌となることだろう。
事実、翌朝には、桶の残骸のみがちらばり、死体は影も形もなかったのである。
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