第16話 長城都市

27)


 アラハンには近づかず、ひたすら街道を西に逃げるシャスカの目に、やがて驚くべき光景がひろがった。

 荒れ地の向こうにそびえ立つ要塞都市ゾト。

 しかし、シャスカが目を見張ったのは、それではない。

 その、さらに向こう。

 王国の西に鎮座する娥々たる山並みが見える。

 高く連なる山々の頂には、常に白く雪が冠している。

 そして、その山並みを横切るように、いや遮るように、延々と連なっているのは壁である。

 山も谷もかまわず、石材を積み上げて建築された壁――ゾトの長城である。

 その上部には一定の間隔で見張り台と防御のための櫓がつくられている。

 おそらく、何十キラメイグ、ひょっとしたら百キラメイグか——どれほどの長さがあるのか、視界の端から端までつづく、そそりたつ防壁。

 あの壁の向こうには、それほどまでに恐れなければならないものがあるのだ。

 それがすなわち、穢れの谷であった。

 穢れの谷から、民を、王国を護るために、これほどの壁を作る必要があったということなのだ。

 穢れの谷にいったい何があるというか。

 だが――。

 シャスカは、街道を振り返り、険しい顔になった。


「おれは、あの壁を越えてでも、逃げねばならんのだ……」


 そういって、さらに歩みを続けるのだった。



28)


 やがてシャスカは、ゾトにたどり着く。

 城塞都市の門につづく橋では、大渋滞がおきていた。

 アラハンでの出来事は当然、ここゾトにも伝わっていた。

 辺境の守護としてもともと警戒はきびしかったが、さらに拍車がかかっている。

 門での人改めも念入りに行われている。

 農民が運んでくる荷車も、一つひとつ、穀物袋を槍で刺し、なかに不審者が潜んでいないかを確かめている。そのため、門の辺りでは、散乱した豆や麦が山を作っていた。


「通ってよし」


 ようやく通行を許可され、動き出した荷車の車輪が、それを踏みつぶしていく。


「ああ、難儀なこった」

「まったくだ」

「こんなんじゃ、今日中に町に入れるのか分かりゃしないな」


 と、列の最後部で、足止めされた商人二人が愚痴を言っている。


「それにしても、アラハンでは、とんでもないことが起きたものだな」

「ああ、あの騎士団が全滅するとは」

「ハーブグーヴァが、下水から侵入して、暴れたんだろ?」

「いや、どうもそれだけじゃないらしい……」

「どういうことだ」

「魔導師だ、ルビーチェが姫の体を取り戻しに来たんだ」

「えっ、生きてたのか、ルビーチェ」

「そうだ。しかも、仲間を一人、連れていたらしいぞ」

「いやいや、ルビーチェはもはやお尋ね者なんだろう。いまさら味方するやつなんているのか?」

「それがいたんだな、どうも」

「なんとまあ酔狂なやつがいたもんだな……命知らずというか」


 一人が首を振りながらいった。


「で、どんなやつなんだ」

「それが、とんでもないやつらしい。見上げるばかりのでかい体で、二の腕は棍棒のよう、その暴れっぷりは、まるで魔神のようだったというぞ」

「おいおい、ほんとかよ」

「騎士団の団長を、素手で殴り殺したそうだ。兵士が束になってかかっても、手も足も出なかったらしい」

「いや……どうにも信じがたいが……魔神のような巨体で、武器も持たず大暴れか?」


 そこまで話して、二人は、自分たちの傍らに立っている男の様子がおかしいのに気がついた。

 男は、真っ青な顔で、がたがた震えていた。

 汗の粒がいくつも、額に浮かび、目は焦点があっていない。


「おい、あんた、どうした? 大丈夫か?」


 商人は、みかねて声をかける。


「う……うう……」


 男——シャスカには、もはや聞こえていないようだ。


「おい、体の具合でも——」


 商人が、その肩に手をかけようとすると


「ひいいいいっ!」


 悲鳴をあげて、後ずさった。


「だから、どうしたんだ、あんた」

「やつだ……まちがいなく、やつだ……グレン……グレンだ」


 うわごとのようにつぶやく。


「だめだ、どんどん近づいてきている……うああああああっ!」


 ついには絶叫をあげて、きびすを返し、走り出した。


「いったいどうなってるんだ?」

「さあ?」


 逃げ出すシャスカの後ろ姿を、商人たちは呆気にとられて見ていた。



 常軌を逸したかにみえるその姿は、人々の注目を引かずにはいられない。

 城門を警備している衛兵にも、その様子は目に留まった。


「おい、逃げていくあの男」


 と、衛兵長が部下に命じる。


「不審だ。とらえよ」

「はっ!」


 逃げるシャスカをとらえるべく、兵士たちが駆け出していく。


「お前っ! 待てっ!」

「とまれ!」


 もっとも、呼びかけながら自分を追いかける兵士たちなど、シャスカの目には入らない。

 シャスカは、もっと恐ろしいものから、逃げているのだから。

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