第15話 それぞれの思惑

24)


 簒奪王アルベルトは、その知らせに衝撃を受け、王座から転げ落ちそうになった。

 アラハン陥落——。

 こんどこそ、ルビーチェを始末したという吉報を待っていたところに届いたのは、およそ想定外、まったく逆の知らせだったのだ。


「そんなっ……ばかなことがあるか!」


 しかも、報告によれば、アラハンに侵入し暴れまわった敵は、ルビーチェと、もう一人、巨漢の戦士の、たった二人だというのだ。

 二人は、ハーブグーヴァとともに地下の下水道から現れ、配置されていた城の兵士たち、そしてアルベルトが送りこんだ騎馬軍団を壊滅させて、まんまとモルーニア姫の足を奪い、逃走したという。

 あの凶暴な魔獣ハーブグーヴァを操ったというルビーチェの魔法も危険だが、そのルビーチェを手助けしている戦士も、常軌を逸している。なにしろ、素手で軍団長のあの赤槍を受け止め、さらには軍団長が渾身の力で切りかかった大剣をこぶしでへし折って、殴り殺したというのだ。ありえない。

 いったい、あの魔道師、どうやってそんな戦士を味方につけたのか。

 これは、ルビーチェの危険性を甘く見ていたかもしれぬ。

 どうすべきか?

 アルベルトは、焦った頭で考えを巡らせた。

 帝国に助力を頼むか?

 だが、すぐにその考えは振り払った。

 そのようなことをすれば、その後も干渉を招くだろう。

 やはり、帝国の力を借りるのは愚策、これは最後の手段だ。

 それに——と、アルベルトは考えた。

 やつらが次に向かうだろうゾトは、ウズドラやアラハンとは違う。

 もともと、ゾトは、西の穢れの谷からさまよい出てくる凶暴な魔獣たちと戦い、王国をその侵入から護るために整備された、城塞都市なのだ。

 実戦によって鍛えられた兵力が常に駐屯している。

 ゾトの守備隊が相手では、いくら魔導師と戦士といえども、二人でどうなるものでもないだろう……。

 ここは、城塞都市ゾトの戦力に任せることにするか。

 自分に言い聞かせるように、そう考えた。

 実際のところ、今から早馬を走らせようと、位置的に、二人の方が早くゾトに到達するのは明らかで、ゾトを援助するために、アルベルトに今すぐできることはないのだった。


 ——しかし、まあ、帝国に情報を求めるくらいは、してもよいかもしれない。


 そこで、アルベルトは帝国皇帝に書簡をおくった。

 わが王国に、グレンとかいうならず者の冒険者が侵入し、狼藉を働いている。もちろんすぐに捕縛し、厳罰に処する予定ではあるが、この冒険者について、なにかご存知ではないですか、と。

 返事は来なかった。



25)


 アルベルトからの書簡は、帝国皇帝のもとには届いていたのだ。

 皇帝は、目を通した書簡を放り出し、横に控える宰相に顔を向けて、苦笑した。


「なんとも愚かだな……」


 首を振る。


「あのグレン——『鏖殺の剣を持つ男』と事を構えようとはな」

「御意」


 と宰相が同意する。


「おそらく、あのもの、なにも知らないのでしょうな……」


 皇帝は命じる。


「言うまでもないが、関わってはならぬぞ。何も答えるな。以後、あの男アルベルトが何か言ってきても、ほうっておけ」

「はっ」


 皇帝は玉座に肩肘をついて、


「そこに鏖殺の剣がいる以上、あの王国の命運はもはや……」


 と、つぶやき、この先に予想される混乱から、自らの帝国がどう利益を引き出すか、冷たい思案を始めるのだった。



26)


 ゾトは、王国領土の西の外れにある城邑であるが、その規模は大きい。

 ゾトの、さらに西に、穢れの谷があるからである。

 穢れの谷から湧き出してくる、獰猛な魔獣の脅威を防ぐために作られた砦が、ゾトの始まりである。

 砦は大きくなり、そこに駐屯する兵士の数も増え、そして関係する人々が住むようになり、城塞都市ゾトの規模はどんどん拡大して、今に至る。

 人々の奮闘で、魔獣たちはかろうじて谷に封じ込められ、ゾトの町が化け物たちに蹂躙されるようなことは永く起きていないのだが、それでも、常に、厳重な警戒はおこたらない。


 そのゾトの町の中央広場で、異変が起きていた。

 円形に封鎖された柵の中に建てられた、磔刑の柱。

 そこに、処刑された王女モルーニアの体の一部が、晒しものになっている。

 薄衣をまとった、美しい王女の身体。服の上からでも、その盛り上がった形の良い乳房や、流れるような体の線がわかる。

しかし、この体には、右腕がない。腕の付け根の、断ち切られた切り口からは、白い骨や赤い肉、腱がのぞいていた。

 左足も、鼠径部から切り落とされている。

 そして、首から上もなかった。

 そんな、まるで壊れた人形のような王女の身体が、鉄の鎖によって柱に縛り付けられている。

 処刑が行われてから、もうずいぶん経っている。

 にもかかわらず、この身体には、腐敗の兆候は一切なく、生きていた時のまま、瑞々しい状態を保っていた。

 魔法の力だ、と人々は噂した。

 大魔導師ルビーチェの魔法が、王女の身体を守っているのだと。

 だとしたら、これはなんという恐ろしい魔法だ。

 あのような状態になっても、姫はまだ生きているというのだろうか。

 人々は驚嘆と恐れをもって、広場に晒された、磔の姫の身体を横目で見て通り過ぎる。

 その姫の身体に、ある変化が生じていた。


「おやっ……?」


 警備の兵士の一人がまず気づいた。

 そして、仲間を呼ぶ。


「おい、すまんが」

「どうした?」

「これを……みてくれ」


 掲げた槍の先で、姫の背を指し示す。


「むう……」


 絶句した兵士は、慌てたように言った。


「おかしい。報告したほうがいいぞ、これは」

「そうだな……うわっ!」


 そのとき、首のない姫の身体が、びくんと痙攣した。

 背が反り返り、薄絹から白い胸がはだけた。


「どうなってるんだ!」

「たいへんだ、急げ!」


 報告のために、兵士の一人が走り出す。

 姫の身体はその間も、びくん、びくんと痙攣をくりかえしていた。

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