第12話 傀儡

20)


 すこし時間はさかのぼる。


 ――農民に扮したルビーチェは、大八車を引いて堤の道を進んでいた。

 農民のふりは演技だが、足取りがおぼつかないのは、これは演技ではない。

 重いのだ。

 荷台に積んだ袋の中には、巨漢のグレンが潜んでいる。


「くそっ、重いぞグレン。だいたい、俺はこういうのは苦手なんだよ」


 ルビーチェがぼやく。


「我慢しろ、お前が慕う、麗しの姫様のためだろうよ」


 と、袋の中から、グレンが、ルビーチェにだけ聞こえるように言う。

 そして、


「どうだ、そろそろやるか?」


 と、続ける。

 横目であたりを見て、位置を確かめ、ルビーチェが答えた。


「ああ、このへんでいいだろう」

「わかった、そおれっ!」


 袋の中で、グレンが跳ねる。


「うわあああ!」


 とたんに大八車のバランスがくずれ、土手を堀に向かって滑り落ち始める。


「早く、早く手を離すんだよ!」


 見ていたものが叫ぶが、ルビーチェがしがみついたままの大八車は、水しぶきをあげて、堀の中に飛び込んだ。

 

「よおし、予定通りだ!」


 堀に沈んだ袋の中で、グレンは、小刀をふるって袋を切り裂き、水中におどりでる。

 その手には、ぐるぐると巻いた綱のようなものを抱えている。

 グレンの横に、ルビーチェも沈んでくる。

 ルビーチェが呪文を唱え、発生した大きな気泡が、二人の頭を覆った。

 これで当面、水の中でも呼吸に困らない。

 その二人の前に、堀の底のほうで、不気味な赤い輝きが、いくつも瞬いた。


(きたな!)


 二人は、お互いに目配せをした。


 ゴワッ!

 堀の底の泥が、爆発するように膨れ上がる。

 泥を巻き上げながら、触手を網のようにひろげ、二人に向かって突進してくるのは、人食い烏賊の魔物ハーブグーヴァである。

 二人を取って喰らおうと、食欲に赤い目を光らせながら、うねるように体を泳がせ襲い掛かってくる。


 はあっ!


 グレンが、素早い動きで、手にしたものを投げた。

 グレンの手から放たれた、二つの銀色に光る金属の刃が、水の抵抗をものともせず、一直線にハーブグーヴァに向かって疾走し、


 どずっ、どずっ!


 ハーブグーヴァの、えらの下に突き刺さり、体内に潜り込む。

 そして、二つあるハーブグーヴァの神経叢に、あやまたず到達し、放射状に金属の根を広げる。

 金属の刃の柄に結び付けられている黒い綱が、ピンと張った。

 この綱は、銀を編んだ芯を絶縁体の樹脂で覆ったものである。コーティングされた電線に他ならない。

 グレンから綱を渡されたルビーチェは、それぞれの手に一本ずつ、綱の端を握った。

 そうしている間にも、触手の網をとじて、二人をからめとろうとするハーブグーヴァ。

 しかし、その前にルビーチェの手元が紫色に輝き、導線を伝わった電気刺激が、ハーブグーヴァの神経叢を貫いた。


 ぎくん! ぎくん! ぎくん!


 ハーブグーヴァの身体が踊るように痙攣し、やがてその触手を、だらりと下す。

 赤い目が点滅する。

 

「うまくいったぜ」


 ルビーチェが、綱を握ったまま右手の親指を少しひねると、ハーブグーヴァの一本の触手が、すっと持ち上がる。

 人差し指を動かすと、また別の触手が持ち上がる。

 こうなれば、綱を通して電気刺激を送り込むことで、ルビーチェはハーブグーヴァを自在に操ることができるのだ。大魔導師ルビーチェにして可能な、超高度な傀儡の魔法である。


「あとは、これを使って――」


 いったんはなんとか浮かび上がった農民が、抵抗虚しくハーブグーヴァの餌食となって水の中に沈んでいく――そんな光景を演じたのだった。



21)


 こうして首尾よく堀の中に潜った二人は、水中を移動し、アラハンの下水道が堀に流れ出る、その排出口にたどり着く。

 排出口には、ハーブグーヴァの力でも壊せない、頑丈な鉄製の太い格子がはまっている。

 本来なら通過できないその鉄の格子も、ルビーチェの腐食の魔法により腐り、ぼろぼろになったところを、操られたハーブグーヴァが触手で掴むと、あっけなく捻じ曲げられた。

 できた隙間から、ルビーチェ、グレン、そしてハーブグーヴァが侵入する。

 格子は慎重を期して、何重にも設置してあったが、すべて、ルビーチェの魔法とハーブグーヴァの膂力によって破壊された。

 下水道は巨大な隧道になっていた。

 片側に、人が並んで立てるくらいの、整備用の通路があり、中央は下水を満々にたたえている。

 ルビーチェが魔法の灯をともす。

 壁と、水面がその光を反射し、影を作る。

 二人は通路を進んでいった。

 ハーブグーヴァは、中央の下水の中を、大人しく付き従って這い進んでいく。


「うむ、臭いな」

「ひどいもんだ」


 生活上のごみや、得体のしれないかたまりで、水は濁っている。

 ある場所には、半分腐って骨が露出した、人の死体と思しきものまで浮かんでいた。

 ルビーチェの魔法の灯りが、苦し気に歯をむき出した死体の顔を、ちらりと照らした。

 地下道に逃げ込んだ犯罪者の末路か、それとも、なんらかの犯罪の犠牲者か。

 二人はそっけなくその横を通り過ぎていく。

 地下道には、ところどころに、地上にでるための縦穴があった。

 だが、梯子は埃と泥にまみれ、使うものも永くなかったようだ。

 やがて、ルビーチェが言った。


「ここだな、この上が広場だ」

「さっきのように、地上に出られる穴があれば都合がいいんだが」


 グレンが天井を見上げて言う。


「残念ながら、このあたりにはないな」

「いいさ、掘ればいいんだから」

「そうだな。どっちみち、少し時間をおいたほうが、上の連中も油断してくれるだろうよ」


 二人はその場に落ち着いて、まずは腹ごしらえをする。

 通路に腰を下ろし、煮炊きを始めた。

 そんな二人の様子を、下水から、烏賊の三角頭を突き出して、ハーブグーヴァの、一列に並んだ、大きく、丸く、赤い目が、無表情に見ている。

 ハーブグーヴァの触手が、さっと延びた。

 

 キキィッ!


 触手に絡めとられ悲鳴を上げたのは、マルモット、犬ほどもある、甲羅を持った鼠の魔物である。普通の人間がマルモットに襲われると、その防御力の高さもあって、かなり手こずる。群れに襲われたらまず助からない。

 煮炊きの匂いと人の気配に引き寄せられたようだ。

 ハーブグーヴァは、マルモットを体の下にある口に運び、鋭い嘴でばりばりとかじった。

 硬いマルモットの甲羅も、ハーブグーヴァにとってはなにほどのこともない。

 活きの良い、美味しい食料に過ぎないのだった。

 二人を餌にしようとどこからともなく現れ、押し寄せるマルモットの群れを、ハーブグーヴァは次々に平らげていった。


「こいつは、なかなかいい番犬じゃないか」


 グレンが笑った。


 それから二人は、ハーブグーヴァも動員して、地下水道の天井を慎重に崩し、広場への出口を掘り上げていった。


「このくらいで十分か」

「そうだな、あとはこいつハーブグーヴァが、一押しすれば出られるだろ」

「うむ、では、今夜くらいにやるか」

「そうしよう」


 そして、襲撃の夜が来たのだった。

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