第11話 大混乱

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 中央広場では、夜を徹して松明の火が燃えていた。

 異様な光景だ。

 磔刑の柱から吊るされたモルーニア姫の、かたちの良い白い足。

 姫の身体を奪い返されるのを防ぐために、そしてルビーチェを捕えるために、大人数の兵士が動員されていた。

槍を手にした兵士が、柱を中心に、幾重もの輪を作るように並び、警戒を続けている。

 住民は怖れて、広場には近づかないため、兵士以外の人の気配はない。

 兵士たちの鎧の音、槍が石畳をうつ音、しわぶきの声だけが広場にひびく。

 厳戒態勢が敷かれはしたものの何事も起きない、そんな夜が、何日か続いた。

そうした状況で何事も起こらないまま、夜も更けていけば、動員されている兵士たちの緊張が徐々に弛んでくるのは、仕方のないことだろう。

 兵士どうしが、ヒソヒソと声を交わしていた。


「こんなこと、いつまで、続けるんだろうな……」

「そりゃあ、あの魔導師が捕まるまでだろ」

「でもよ……来るのかね、こんなところへ」

「……おれならやめとく……」

「そうだ、罠と分かってて、むざむざ飛び込んで来ないだろうよ……」


 松明の火が弾け、煙が上がる。

 煙にむせて、兵士が咳をした。


「くそっ、けむいな……こっちに来るなよ」

「俺たちは、持ち場から動けないからな」

「ああ、早く交代時間にならないかな」

「そもそも、いかに大魔導師といったって、この町の中に入るのが無理だろ」

「ああ、俺もそう思うぞ。橋から来るしかないんだから」

「あれだけ厳重に、通行人の身元をあらためてれば、ぜったいに見つかる」

「その上、お堀には、あの化け物が棲んでるしな」

「聞いたか、農民が堀に落ちて喰われたって話」

「おお。見張りのやつが、上から一部始終見てたと。あっという間で、助けようもなかったそうだぞ」

「かわいそうにな……」

「ま、姫様の足を取り戻すつもりなら、軍隊でも引き連れて攻めこんで、町を落とさないとむりだろうよ」

「俺たちがこうしてるのは、意味あるのかね……」


 などとぼやいている。

 と、その時。


 ぐらり!


 広場が揺れた。


「うおっ?」

「な、なんだ?」


 ぐらり、ぐらり。

 まるで地震のように、広場の石畳が揺れ出す。


「おいっ、いったいなんなんだ?」


 悲鳴が上がる。

 石畳の一部が、ぼこりと盛り上がり、


「うわわっ」


 そこに立っていた兵士たちが、ばたばたと転んだ。


 ドガガッ!


 そして、敷き詰められていた石板が、数メイグに渡ってはじけ飛んだ。


「ギャッ!」


 運の悪い兵士が、吹き飛んだ石材に直撃され、下敷きになる。

 石畳がはじけた場所には、ぽっかりと黒く、穴が開いていた。

 深く、地下に続いている。

 兵士たちが唖然として見つめる中——。

 その穴から、ずるずると這い出てきたのは、緑と紫のまだらに、たくさんの吸盤を持つ、ヌメヌメとした、何本もの触手。

 一本の触手が、近くにいた兵士を巻き取ると、穴の中に引きずり込む。


「たっ、助けてくれ! ギヤアアアアアア——」


 穴の中から断末魔の悲鳴が上がり、ぷつりととぎれた。


「ハ、ハーブグーヴァだっ!」

「どうして。なんでハーブグーヴァが?!」

「地下道だ、地下の下水道をさかのぼってきやがったんだ!」


 だれかが気づいて、叫んだ。

 アラハンの地下には、排水やゴミを流すために下水道が縦横にしかれ、それは堀につながっている。これは、都市生活ではたいへん便利な仕組みだった。もちろんハーブグーヴァが、まちがって堀から侵入してこないために、頑丈な鉄格子で、幾重にも下水道の出口は閉じられているはずだ。

 その障壁を、どうやってか、ハーブグーヴァは突破したらしい。


「たいへんだ! 押し返せっ!」


 指揮官があわてて命令をする。

 だが、ハーブグーヴァの粘液におおわれた身体には、槍が滑って刺さらない。

 そうしている間にも、触手にからめとられ、次々に兵士が犠牲になる。

 兵士たちが対応に手をこまねいているうちに、触手だけでなく、本体までが穴の底から這いだしてきてしまった。

 棘におおわれた烏賊にも似たハーブグーヴァの巨体が完全に穴からぬけでて、赤い複数の目で、兵士たちをねめつける。その目は、貪婪な食欲に燃えていた。この場に餌が大量にあることを、ハーブグーヴァの鈍重な知能が、完全に把握したのだ。単純なだけに、いちど目標が定まると、方向転換はきかない。食欲が満たされるまで、その活動はやまないだろう。

 ギチリ、ギチリと、身体の中心にある嘴をかみ合わせて、触手を振り回し、ハーブグーヴァが暴れ回る。


「だめだ! 手が付けられない」

「魔導師だ、魔導師を呼べっ、炎で焼くしかないぞ」


 広場はたちまち大混乱となった。

 その混乱にまぎれて、下水道につながる穴の縁に、ごつい指がかかった。

 むん!

 ひくい気合いとともに、穴から軽々と身体をもちあげた人影。

 体格のいい一人が、もう一人を背負っている。

 二人は、音もなく、広場に侵入した。

 もちろん、グレンとルビーチェだった。

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